■区市町村別に出さなかった理由
区市町村別の感染者数は、『大都市の特性として居住地と医療機関所在地や勤務地等が異なる自治体にまたがることが多い点や、個人が特定されるリスクが高まることから公衆衛生上の対策に不可欠な感染経路の確認に支障が生じること、および人権侵害の危険性が高まることから、現時点では居住地の公表は「都内」に統一されており、感染者の居住地について市区町村単位での公表は行われておりません』(武蔵野市のサイト「市内における感染者発生時の公表の考え方について」より)とした考え方と、情報を集約している保健所を持たない(※/コラム参照)武蔵野市などでは公式な数値がないため発表ができない状況だった。これまで杉並区と練馬区など23区で感染者数を発表していたが、区内に保健所があるため可能だったものだ。
患者数に増えるにつれ、武蔵野市の感染者数はどうなっているのか問合せが多く、発表すべきとの意見も少なくなかった。
※保健所は、都道府県、政令指定都市、特別区の他、中核市で設置でき、東京都の場合、都と特別区、八王子市、町田市が保健所を設置している。
■区市町村別の公表でどうなる?
しかし、発表してどうするのだろう? の疑問を持つ。先の理由にあるように、武蔵野市の住民に感染した方がいたとしても、勤務先、通勤区間、日常の生活空間は市内に限定されることはできず、あまり意味を持たないと考えるからだ。ある自治体の企業で感染者が増えたとしても、その自治体に住んでいないと自治体の感染者数にはならないこともある。感染者数を出せと保健所に伝えることが保健所の業務に負担をかける懸念もある。
今回、都が方針を変えた理由は分からないが、区市町村別感染者数はひとつの情報として冷静にとらえるべきだ。どこの自治体が多い、少ないだけで判断することや独自解釈は風評被害につながりかねない。さらに、この流れがさらに加速し、次には町目ごとに発表しろ、さらにマンション名も公表しろといった魔女狩りになることも心配だ。
事実、あるマンションに感染者がでたと不確かな情報が流れ、そのマンションに住む人が感染者と間違えられてしまう例が出てきている。感染者と分かっても、発症しているかは別の話。どのように保健所からの指示がでているかまで情報としてないと不安をあおるだけでなく、風評被害を広げるだけとなってしまう。余計な被害拡大だ。
自覚していない感染者もいると考えれば感染者だけの数字ではあまり意味がないのだ。
■区市町村別感染者数を別角度で見る
区市町村別の感染者が公表されたことで、新聞は世田谷区が最多などと報道している。数だけでみれば間違いではないが、そこに何の意味があるのだろう?世田谷区の人口は約91万7000人と都内で最も多いのだから、感染者数が最も多くなって当然だろう(下図)。
羽村市と西東京市の割合が高いことが分かるが、感染者数でみれば、羽村市は3人、西東京市は8人だ。それぞれどこに通勤しているか、生活圏はどこかまで考えないとこのデータも意味が薄いとも言える。極端に高い自治体が見つかり、原因が分かることで意味は出てくるが、現状の感染者数だけでは判断はできないのだ。
※感染者数は、東京都新型コロナウイルス感染症対策本部/新型コロナウイルスに関連した患者の発生について(第144報 令和2年4月1日)より。永寿総合病院関連106を含むが調査中の116は除いている
※町村、島しょでは発生していないため除外
■不安をあおる目的
これだけ広がると、どこの街にもリスクはある。自ら正しく恐れ、対応をしていくことが求められている。感染者がいる、いない。もっと大変になる、「ロックダウン(都市封鎖)」だ、「緊急事態宣言」だと不安をあおるのではなく、そのような状況にならないように、何をするのかを考え、行動するのが今ではないだろうか。そして今は、情報源が明らかでないような不確かな情報は発信すべきではない時期だ。メディを含めて不安をあおってどうするのかと聞きたい。自らに注目を集めたいとの思いから発信では、先の例のようなことが起こり、多くの人に迷惑が広がる。
それだけでなく、不確かな情報に尾ひれがつきどのようなフェイクになるか分からない。過去の災害を振り返れば、間違った情報が悲劇を生みだしているのは歴史が証明している。
検査体制が整えば、感染者数は増えるのは当然だ。情報は、発信する側も受け取る側も冷静さが必要だ。
まずは感染された皆さんへお見舞い申し上げます。ご回復を祈念しています。
---------------(コラム)-----------------------------
■保健所の再編の歴史
武蔵野市の保健所は昭和25年に昭和14年に東京府北多摩保健所が発足し、武蔵野市(当時は町)など多摩地域を所管していた。昭和25年に武蔵野市吉祥寺に分室が設置され昭和26年に都北多摩第三保健所となった。その後、府中、田無に保健所が設置され、武蔵野市、三鷹市を所管する武蔵野保健所となり、現在の西久保に移転。昭和44年には三鷹保健所が設置されたため、武蔵野保健所は武蔵野市のみを所管することになった。
しかし、平成6年に保健所法の改正などにより母子保健事業などが市町村へ移管され、平成9年に武蔵野市と三鷹市を所管する三鷹武蔵野保健所となり、平成16年には再編が行われ三鷹武蔵野保健所や小金井、狛江調布保健所が統合され多摩府中保健所が発足することになった。
現在、旧三鷹武蔵野保健所の施設には、食品衛生関係の一部の業務を行う分室として残されている。(東京都福祉保健局 事業概要 保健所のあらましより)
今回のようなことが起きると、保健所の再編がよかったのか、再検証することも必要になりそうだ。