
新型コロナウイルスによって、数ヶ月前には予想だにしなかった状況に置かれてしまった。現実ではないような現実。まるで映画のような世界。そこでいま、世界に何が起きているのか、自分はどこに置かれているのか、それらを俯瞰して、全体像を捉え、把握の一助として、浮き足立ち気味な足を地につける・・・ために、「映画のような現実を、映画で捉え直す」ことをしてみた。
振り返ると「ウイルス、感染、パンデミック」、そういうジャンルの映画をことごとく見逃してきていた。「映画とは人生の予行演習だ」という言葉がある。映画評論家の町山智浩氏が頻用しているのを水道橋博士が紹介していて目にした言葉だ。この言葉に照らすと、少なくとも自分はウイルス関連の予行演習がずいぶんとおろそかだったわけだ。
最近では、謎のウイルスによって超活発なゾンビが増殖する「新感染ファイナル・エクスプレス」(2017年)とかが大ハマりだったが、その手の非現実的な「ゾンビ系ウイルス」ではなく、基本的に感染した際にゾンビ化はしない、生死の問題にとどまる、現実方面のウイルスが登場する映画をセレクトして立て続けに観た。
立て続けに観たことでわかったのは、どの映画に登場するウイルスもそれぞれに始まりから終わりに至る基本プロセスがあるということ。これをシンプルに要約すれば――、
ウイルスの発生(と理由) → ヒト感染 → 感染拡大 → 医療崩壊 → 社会パニック → 治療法及びワクチン開発 → 終息
となる。この基本展開の中で描かれることは、すでに起きたことであったり、これから起きうることとして、地に足を付けるためのさまざまな参考となり、幾つもの予行演習になった。
ということで、「ウイルス、感染、パンデミック」を描いた映画を「人生の予行演習」の教材として捉え、未見の方が今後観賞する際には参考となるよう、「観るならこの順」的な順番をつけてみた。なのでこれは、映画のクオリティに順番をつけているわけではなく、あくまでどういう順番で観ると、より入ってきやすいか、というご参考であります。
『コンテイジョン』(2011年 スティーブン・ソダーバーグ監督)

いまこの映画を観る意義は大きいぞと、感じ入った。パンデミックを描いた映画の中では新しい作品であり、専門家の最新の監修が映画の隅々(脚本、セット、アイテム)に行き届いているのだろう。
自分自身、ウイルスにまつわる情報や知識ににわかな素人ながらも、登場するワードやビジュアルに近さを感じる。全編を通してリアルを積み重ねた世界を描こうという気概が伝わってきて、見えているようで見えきれてないパンデミック世界の全体像を見る思いだった。
ストーリー展開を支えるリアルが「怖さ」を醸す。劇中に手からのルートでウイルスが感染するというくだりから、「人は1日に顔を2千~3千回さわる」という台詞が登場してハッとさせられた。昨今まさしく感染症予防の対策として「手洗いをする」「むやみに顔をさわらない」という基本的なことを叩き込まれている最中だが、いやいや、いくら何でも1日に2千~3千回も顔をさわるか? それは盛ってるだろうよ、と、すかさず計算してみる。例えば、習慣的に1分間に2回ほど顔にさわるとして、2回×60分×18時間(起きている時間)→2160回・・・。
「R(=再生産数)」というワードの登場にもうなずく。ウイルスの増殖率に関した情報から最近にわか覚えしたのだが、それがこの映画内に登場し、やっぱり専門家が使うワードは全世界で共通なんだな、と。
新型コロナの影響で、アメリカ国内では2月下旬から銃の「弾薬」の売上が急増しているというニュースが聴こえてきたのは3月上旬だった。それを聞いて「アメリカ、そこまでする?」と対岸の出来事のような印象を抱いたりした。
しかし「コンテイジョン」で、人々が追い詰められて限界を超え、暴徒化して薬局やマーケットを襲ったり、治安が維持しきれず無秩序になり、悪が表面化して住宅街が荒らされる・・・という場面は大げさではなく、当然の推移として描かれていた。「安全」「防衛」が自己責任となるアメリカ的な状況に納得がいく。なるほど弾薬買い込むな、と。
「コンテイジョン」は、いま置かれている状況の答え合わせのような世界を見せてくれる。もしこの機会に観るならば、まずはこの作品だろう。
※「コンテイジョン」 Amazon Prime Video、Netflix、等で配信中