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【追悼】志村けんが語った笑いと人生「笑ってるとさ、また頑張ろうって思えるじゃない」 2012年のロングインタビュー公開 - 中村 竜太郎

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 新型コロナウイルスによる重度の肺炎を患い入院中だった志村けんが、3月29日に逝去したことが分かった。70歳だった。

【画像】「8時だョ! 全員集合」の収録風景

 自分のことはあまり語りたがらない志村だが、芸能界40周年という節目にその半生を語った「週刊文春」2012年10月11号掲載のロングインタビューを再編集の上、公開する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。

(出典:「週刊文春」2012年10月11日号 取材・構成:中村竜太郎)

◆ ◆ ◆

「8時だョ! 全員集合」で活躍し、その後は自らの番組で「バカ殿」をはじめ様々な人気キャラやギャグを生み出してきた志村けん。実は私生活では寡黙で、マスコミに自らについて語ることも少ないが、芸能生活40周年を機に、その半生を秘話を交えて振り返った。

志村けんさん ©文藝春秋

苦く切ない小1の時の運動会

志村 俺、東村山出身でしょう。俺の子供の頃は本当に田舎で、小学校4年までは分校に通ってたんだ。小1の時の運動会でね、徒競走のスタートラインで並んで待ってたら、緊張で胸がドキドキしてさ、スタートのピストルがパーンと鳴った瞬間、ブリブリッと、うんちを漏らしちゃったのよ(笑)。パンツがじっとり重くなって、やっぱ、なんだかにおうんだよねえ(笑)。

 他のみんなは夢中でトラックを走っていくじゃない? けど俺はその背中を一瞬目で追って、その場にしゃがみこんじゃって、恥ずかしいやらなにやらで、今でもよくわかんないんだけど、誰かに声を出して、何かを訴えるわけでもなく、左腕で両目を押さえてそのまま号泣したのよ(笑)。まわりの大人に「志村くん、志村くん」って体を支えられて、たぶんトイレに連れて行かれたのかなあ、その後のことはあんまり憶えてないんだよね。応援していた家族も心配しただろうね、けど、後で真相を知って「困った子だね」と笑ったんだろうね。

 青く澄んだ秋空に万国旗がはためく晴れの運動会は、苦く切ない思い出。しかし、今ではそれも人を笑わせるための小話だ。

 志村けん、職業コメディアン。1950年2月20日生まれの62歳。あの北野武が「天才」と絶賛するお笑いの才能を持ち、ザ・ドリフターズの一員としてはもちろん、「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみばあさん」などのキャラクターや「アイーン」などのギャグで、日本中を笑いの渦に巻き込んできた。

お笑い以外の仕事はほとんど断ってきた「コント職人」

 お笑い一筋で、「コント職人」とも称される。お笑い以外の仕事はほとんど断り、これまで映画に出たのは高倉健に直接頼まれて断れなかった「鉄道員(ぽっぽや)」だけだった。それだけに、2012年、アメリカのアニメ映画「ロラックスおじさんの秘密の種」(10月6日公開)で、初めて主人公の声優(日本語吹き替え版)に挑戦したことは話題になった。

志村 慣れないから、意外と苦戦しましたね。タイミングの取り方とか、声の抑揚とか、アニメの動きに合わせるのって簡単じゃないですよ。普段やってるおじさんはちょっと下ネタ関係が多いけど(笑)、この映画の主人公はすごくいいおじさん。いい経験をさせてもらいました。

 そんな志村を周囲は「もともとは極度の照れ屋」と評する。そのため自分のお笑い人生を語ることもほとんどなかった。そんな志村が芸能生活40年を機に、第一線を走り続けてきた足跡を語った。

父は元軍人の小学校教諭、厳格な家庭だった

志村 俺の父親は元軍人で、戦後は小学校の教諭をやって、僕が子供の頃は教頭だったんです。厳格な家庭で、冗談言うのもはばかられるような空気。地元の友達も「志村の親父は怖い」っていうくらいの人で、柔道も師範五段の猛者なんです。本来なら文武両道で教育されるんでしょうけど、上に兄貴が2人いたせいか、末っ子の僕は「勉強しろ」って言われた記憶はないです。父親は校長に昇進する試験かなんかで、帰宅すると書斎にこもりっきり。だから父親と喋った記憶がなくて、和気あいあいなイメージはまったくない(笑)。

 父親がそんなだから家は重苦しい雰囲気なんだけど、中学時代テレビで放映していたエノケン(榎本健一)さんの「雲の上団五郎一座」が、僕大好きで、家族でそれを見てると、あの堅物な父親が笑いをこらえてんだよ。それを見て、素直にお笑いっていいなって思ったのが、お笑いを志すきっかけかな。

 志村は東京都立久留米高校に進学。同校ではサッカー部でゴールキーパーとして在籍。後輩には日本代表の中村憲剛がいる。

高校卒業間際、いかりや長介の自宅を訪ねて……

志村 高校2年くらいからまわりが全部受験勉強ばっかりやりだして、高2の最初の頃、進路相談で担任の先生に「志村、どうするの? 大学行かないの?」って聞かれたから「大学は行きません」って答えた。「じゃ、何するの?」って言うから「お笑いです」ときっぱり答えたんです。先生が「どこかあてがあんのか?」って言うから、「ないですけど」って言ったら、「由利徹さんの知り合いがいるから」って紹介されて、由利さんに会いに行ったんですね。そこで「大学へ行くべきですか」って聞いたら、「大学へ行ってる4年間、もったいないよ」って言われて。ただ、その時由利さんはお弟子さんがたくさんいらして「うちでは雇えない」って言われたんです。

 で、どうしようかなと思った時、コント55号かドリフのどちらかに弟子入りしようと考えたんです。どっちがいいかなと迷ったんだけど、子供の時から音楽が大好きで、コミックバンドをやっていたドリフにしようと。

 昔、月刊平凡にスターの住所が載っていたんですよ。それを頼りに、卒業間際の2月にいかりや(長介)さんのご自宅へ訪ねて行きました。朝から待って、寒くてね、雪が降って、夜中にいかりやさんが戻ってらして。おっかなかったんですが、「付き人になりたいんです」って直訴したんです。そしたら「バンドボーイは定員の3人いるから、今はダメだ」って断られちゃった。ところが1週間後に「すぐ後楽園ホールへ来い」って連絡があって、後楽園に行った。「一人辞めたから、使うから」って言われて、「じゃ卒業したらお願いします」って言ったら、「いやいや、いますぐ」って。で、その次の日から東北に1週間巡業に行きましたね。卒業式の日だけ何時間かもらって、卒業式だけ出たのは憶えています。

「いろんな職業をしたいんで、1年間だけ時間をください」

 ドリフでは3年バンドボーイをやり、72年にマックボンボンというお笑いコンビを結成した。

志村 2年間やったんだけど失敗でしたね。相棒は僕より年上だったんだけど、「ネタが作れない」って辞めちゃうし。でも不思議なもんで、その頃僕が考えたネタは今でも「バカ殿」の定番コントで使ってますよ。

 そうそう、3年間ドリフのバンドボーイやってる時、「いろんな職業をしたいんで、1年間だけ時間をください」っていかりやさんにお願いして、職業を転々としたことがありました。バーテンとか、工事現場の点灯標識を作る会社とか。いかりやさんには「また帰ってきますから」って説明したんですけど、いかりやさんが勘違いして「志村は逃げた」って言われましたね(笑)。で、僕、加藤(茶)さんにお願いして、またドリフの仲間に入れてもらったんですよ。

 1974年、荒井注が脱退し、ドリフの正式メンバーになった。特に加藤の推薦が功を奏したという。「8時だョ! 全員集合」にも出演するようになったが、子供たちにギャグが受けず、スランプに悩んだこともあったという。

「ひげダンス」誕生秘話

志村 転機はやっぱり「東村山音頭」でしょうね。当時、いかりやさんがふざけながら僕のことを「おい、東村山の田舎もん」と言ってたんで、それに反抗して「東村山音頭」を(楽屋などで)歌ってたんですね。いかりやさんが「何だ、その歌は?」、「いや、地元ではみんな各家庭に必ずあるレコードで、三橋美智也さんの歌なんです」。それで(「全員集合」の)合唱隊の中で地元の歌を歌うって回があって、初めて歌ったらすごくうけたんですね。で、「あれ、もう一回やろう」ってなって、なんだかわからないんだけどうけちゃったんですね。

「ひげダンス」も、僕がその頃、ソウルミュージックばっかり聞いていて、加藤さんが「俺、しゃべるの疲れたよ、たまには動きだけでギャグやらない?」って言って始めたのが最初ですね。無理に流行(はや)らそうとか、全然ないですよ。生放送ですし、「反応がいいな、あれ。じゃ、もう一回やるか」っていうのがずーっと続いて、お客さんの反応を見ながら、気がつけば1年半とかなっちゃうんですよ。

 ドリフのいいところは、リーダーのいかりやさんがきちっとまとめているんだけれども、各メンバーのアイデアを積極的に取り入れる柔軟性や自由な雰囲気があったことですね。「面白そうじゃん、やってみよう」みたいなノリで、僕みたいな若造の意見もずいぶん取り入れてくれました。

「カラスの勝手でしょ」っていうギャグも、偶然の産物。リハーサルをやっていた赤坂のTBSの近所で子供が歌っていたんです。あんまりくだらないから、面白いなあって思って(笑)。あれも1年半くらいやりましたね。自分で飽きて、「もうあれ、やめていいかなあ」って言ったら、「ああ、いいよ」って。で、やめたその週にTBSにすごい電話が殺到しちゃった。「うちの子供が寝ない。どうすんだっ」って(笑)。

「子供たちが大笑いしているのを見ると、本当に気持ちがいい」

 視聴率50%を稼ぐ「怪物番組」だった「全員集合」。子供には見せたくないワースト番組とも言われていたが、当時はまさに社会現象だった。

志村 ステージから子供たちが大笑いしているのを見ると、本当に気持ちがいいですよ。会場がドーンと地鳴りするように湧いたりするのを肌で感じると、快感ですね。

 ギャグはすべてに対して思い入れがあるので、どれが一番というのはないです。ただ全員集合時代は毎週ですから、ネタ作りがしんどかったですね。番組が終わるまで、視聴率がどうこうという話は一切なかったですし、フジテレビが裏で「オレたちひょうきん族」をやってる時も、勝ち負けという話も出ませんでしたね。むしろ僕は、番組の時間帯をずらせば、お笑い番組が両方見れるのになあと思ってたくらいです。

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