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民主主義をめざさない社会

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「サンデー毎日」に不定期連載という欄を持っている。三月に一度くらい思い立ったことを書く。5000字ほど頂いているので、わりとややこしい話が書ける。今回3月29日号に寄稿したのは民主制論である。「存在すべきもの(ゾルレン)」が「存在するもの(ザイン)」を律するという、宗教や武道では当たり前の話は政治にも当てはまるよという話である。

 統治機構が崩れ始めている。公人たちが私利や保身のために「公共の福祉」を配慮することを止めたせいで、日本は次第に「国としての体」をなさなくなりつつある。
 誰かの怠慢や不注意の帰結ではない。過去30年ほどの間、日本国民一人一人の孜々たる努力の成果である。

 私はこの現象をこれまでさまざまな言葉で言い表そうとして来た。「反知性主義」、「ポピュリズム」、「株式会社化」、「単純主義」などなど。そして、最近になって、それらの徴候が「民主主義をめざさない社会」に固有の病態ではないかと思い至った。その話をしたい。

 過日、「表現の自由」について講演を頼まれた。頼まれてから、「表現の自由」とはそもそも何のために存在するルールなのか考えた。

 たしかに、私たちの民主主義的な憲法は「表現の自由」を保証し、「公共の福祉」に反しない限りその自由を抑制することはできないとしている。でも、「表現の自由」を保証することでどのような「善きもの」がもたらされるのか? 人を憤激させるような表現や、人が大切にしているものを踏みにじるような攻撃的な表現にも自由は保証されるべきなのか? 表現してよいものといけないものを公的機関が判定することは許されるか? こういう問いに即答するのはむずかしい。

 なぜ「表現の自由」は守るに値するものなのか? 
 残念ながら、その問いに対する答えは憲法本文には書かれていない。書かれていないのは、それが自明だからではない(自明なら「表現の自由」をめぐって論争が起きるはずがない)。書かれていないのは、その答えは国民が自分の頭で考え、自分の言葉で語らなければならないことだからである。

 表現の自由にしろ、公共の福祉にしろ、民主主義にしろ、それにいかなる価値があるのかを自分の言葉で語ることができなければ、「そんなものは守るに値しない」と言い切る人たち(それはすでにわが国民の相当数に達している)を説得して翻意させることはできない。

 憲法の定める「表現の自由」はいかなる「善きもの」をもたらすのか? 
 それを語らない限り、民主主義を語ったことにはならないと私は思う。
 というのは、「民主主義とは何を目指した制度なのか?」を愚直に思量し、条理を尽くして語る努力そのものが民主主義の土台をかたちづくると私は考えているからである。だから、「民主主義とは何のためのものか?」という問い手離した人々はもう民主制国家を維持することはできない。

 民主主義というのはどこかに出来合いのものがあって、それを「おい、民主主義一丁おくれ」と言えば誰かが持って来てくれるというものではない。それは私たちが今ここで手作りする以外にないものなのである。いま日本の民主主義が崩れつつあるのは、私たちがそのことを忘れたからである。

 第二次世界大戦が終わった後に、ウィンストン・チャーチルは下院の演説において民主主義についてこう述べたことがある。
「この罪と悲しみの世界では、これまでに多くの政治体制が試みられてきたし、これからも試みられてゆくであろう。民主主義が完全で全能のもの(perfect and all-wise)だという人はいない。事実、民主主義は最悪の統治制度(the worst form of Government)だとこれまで言われてきた。これまで試みられてきたすべての統治制度を除けばだが。」

 広く人口に膾炙したフレーズであるが、この言葉を引用する人たちは「民主主義は最悪の制度だ」という点を強調し過ぎるように私には思われる。民主主義は「ろくでもない制度」である。だが、それ以外の政治体制は「さらにろくでもない制度」である。それゆえ、われわれは民主主義をいやいや採用している。多くの人はそういうふうに論を運ぶ。なんだかシニカルで頭よさそうである。だが、私はその解釈を採らない。チャーチルはこの時に「民主主義は最も実現することが困難な政体である」ということを言いたかったのではないかと思うからである。

 民主主義はまだ存在しない。私はそう思っている。「まだ」というか、たぶん永遠に存在しない。民主主義は「それをこの世界に実現しようとする遂行的努力」というかたちで、つまりつねに未完のものとしてしか存在しない

 それでいいのだと思う。
 高い目標をめざす努力というのはどれも「そういうもの」だからだ。こちらの目の黒いうちに民主主義を実現することがかなわなくても、それを目指して前のめりに息絶えたということなら私の方には特段文句はない。

 この世界には一神教徒が25億人ほどいる。彼らは世界の終わりの時にわれわれを救うために現れる救世主(メシア)の到来を信じている。だが、預言者がそう説いてからそろそろ3000年ほど経つのに救世主はまだ来ない。これまで一度も起きたことがない出来事は、帰納法的に推論すれば、これからも起きない。だが、一神教の信者たちは彼らが生涯ついに出会うことのなさそうな救世主の到来を勘定に入れて今ここでの彼らの生活を律している。

 ある概念の持つ指南力はそれが現実化する蓋然性とは関係がない。メシアが永遠に到来しなくてもメシアニズムは今ここで機能する。それと同じである。「完全で全能の民主主義」が永遠に到来しなくても、その概念が今ここにおける政治的指南力を持つことはあり得る。「民主主義」は一神教における「メシア」に比すべき超越的な概念なのだ。というのが私の仮説である。そんな変ちきなことを言う人は他にいないと思うが、そう考えると現代日本における民主主義の空洞化の説明がつく。

 民主主義あるいは民主制(democracy)とはどういう制度なのか? 
 定義はそれほど難しくない。これは主権者が誰であるかによる政体の分類だからである。民主制の他には、君主制(monarchy)、貴族制(aristocracy)、寡頭制(oligarchy)、無政府(anarchy)などいくつかの政体が同列に並ぶ。チャーチルが「これまで試みられたすべての統治制度」と呼んだものがそれだ。だから、「私は民主主義に反対である」と言う人は、これらのうちのどれかの政体を選択したと見なされる。
 では、「主権者」とはどういう人間のことか。私はこれを「自分の個人的運命と国の運命の間に相関がある(と思っている)人間」と定義したいと思う。これもまた個人的な定義であり、一般性を要求するわけではない。とにかくこの定義で話を進めさせてもらう。

 帝政や王政においては皇帝や国王が主権者である。だから、明君賢帝であれば国は治まり、暗君愚帝であれば国は乱れる。貴族政や寡頭制でも話は変わらない。主権者の賢愚や善悪がそのまま国運を決する。それなら民主制でも話は同じはずである。民主制は国民が主権者である政体、すなわち国民ひとりひとりが「自分の個人的運命と国の運命の間には相関がある(と思っている)」政体である。そして、実際に国民ひとりひとりの賢愚や善悪が国運の帰趨を決するのである。

 アンドレ・ブルトンがどこかで「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ」と書いていたが、私はこれはそのまま民主制国家の主権者の条件として使えると思う。つまり、「自分の生活を変えることと国を変えることが一つのものであると信じられること」それが民主制国家における主権者の条件である

 自分のただ一言ただ一つの行為によって国がそのかたちを変わることがあり得るという信憑を手離さない者、それが民主主義国家における主権者である。だから、主権者は「自分が道徳的に高潔であることが祖国が道徳的に高潔であるためには必要である」「自分が十分に知的な人間でないと祖国もまたその知的評価を減ずる」と信じている。遠慮なく言えば、一種の関係妄想である。だが、このような妄想を深く内面化した「主権者」を一定数含まない限り、民主制国家は成り立たない

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