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- 2012年08月06日 11:44
【赤木智弘の眼光紙背】芝が人間を排除するとき
赤木智弘の眼光紙背:第232回
大飯原発の再稼働に対して、大飯郡おおい町の公園にテントを張って過激な反対運動などを繰り返していたグループが、7月の18日に撤退したという。
夜中まで騒いだり、なぜか男根型の神輿を持ち込んで抗議活動をしてみたり、公園を占拠しトイレから電気を盗んでいたような訳の分からぬ集団であるから、さぞ地元の人たちも、彼らの撤退に胸をなでおろしたに違いない。
しかし、彼らが長期にわたって公園に滞在をしたことの爪あとは、彼らがいなくなったあとに残されていたようだ。地元の人がテントによって荒らされた芝生の跡をレポートしている。(*1)
同じ場所に長い間テントが張られ続けた結果、太陽の陽が行き届かずに芝がテントの形に枯れている様子が見て取れる。また出入りも激しかったのだろう、土が露出している場所もある。
こうした無残な芝の姿を見て「芝を荒らしやがって!」と思う感情は理解できなくはない。
しかし、私はそこで「公園の芝」というものが、単純に「緑化」という意味ではなく、「排除系オブジェ」としての意味合いをも合わせ持っていることに気がついた。
排除系オブジェとは、公園や広い通路の隅などに置かれた、突起物や不安定な形をした物体のことである。表面的には「アート作品」ということになっているが、実態はダンボールなどを置けないようにして、そこに住み着いているホームレスを追い出す目的で作られている。
代表的なものとしては、新宿西口の地下通路に作られた斜めにカットされたカラフルな円柱が挙げられる。また、中央に突起物があったり、不自然に座りにくいベンチなども、ホームレスなどが寝ることを阻止するための設計である。(*2)
しかし、ベンチや町中の一部のスペースであれば、アート作品を置いてホームレスや好ましくない人の長期の滞在を阻止することができるだろうが、公園の広い土地全体を守ることはできない。そこで芝なのだ。
芝を公園に植える。するとその土地は緑化された「キレイな土地」となる。そのキレイな土地を保つという口実において、公園の管理者が芝の養生のために「芝生への立入禁止」などを命じるようになる。そして公園における管理者の権限が肥大する。芝でキレイにされた公園は「公共の土地」というよりは「管理者の土地」として多くの人に認識されるようになるのである。そして今回のような「芝を荒らす人間は悪である」という論理が成り立ってしまう。そうした公園のイメージがあれば、テント村やホームレスなどは当然「悪」として排除される対象となる。
キレイな公園を守るために、公園の利用形態を管理者の都合のいいように選別するような権限が、当たり前のように国民によって認められてしまうのである。
しかし、それでいいのだろうか。
公による土地の専有は、私有の土地のように、管理者が絶対の権限をもって行うべきことなのだろうか?
公園はいつでも管理者の思惑の通り「清浄」に保たれるべき場所であろうか?
そうした偏狭な公共のイメージが、現実の人間を排除することが健全だとは、とても私には思えないのだけれど……
*1:#大飯テント の残していったもの(Togetter)http://togetter.com/li/342486
*2:公園のベンチが人を排除する? 不便に進化するホームレス排除の仕掛け(Petite Adventure Films Blog)http://brianandco.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-4ddf.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)
1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。
・@T_akagi - Twitter
大飯原発の再稼働に対して、大飯郡おおい町の公園にテントを張って過激な反対運動などを繰り返していたグループが、7月の18日に撤退したという。
夜中まで騒いだり、なぜか男根型の神輿を持ち込んで抗議活動をしてみたり、公園を占拠しトイレから電気を盗んでいたような訳の分からぬ集団であるから、さぞ地元の人たちも、彼らの撤退に胸をなでおろしたに違いない。
しかし、彼らが長期にわたって公園に滞在をしたことの爪あとは、彼らがいなくなったあとに残されていたようだ。地元の人がテントによって荒らされた芝生の跡をレポートしている。(*1)
同じ場所に長い間テントが張られ続けた結果、太陽の陽が行き届かずに芝がテントの形に枯れている様子が見て取れる。また出入りも激しかったのだろう、土が露出している場所もある。
こうした無残な芝の姿を見て「芝を荒らしやがって!」と思う感情は理解できなくはない。
しかし、私はそこで「公園の芝」というものが、単純に「緑化」という意味ではなく、「排除系オブジェ」としての意味合いをも合わせ持っていることに気がついた。
排除系オブジェとは、公園や広い通路の隅などに置かれた、突起物や不安定な形をした物体のことである。表面的には「アート作品」ということになっているが、実態はダンボールなどを置けないようにして、そこに住み着いているホームレスを追い出す目的で作られている。
代表的なものとしては、新宿西口の地下通路に作られた斜めにカットされたカラフルな円柱が挙げられる。また、中央に突起物があったり、不自然に座りにくいベンチなども、ホームレスなどが寝ることを阻止するための設計である。(*2)
しかし、ベンチや町中の一部のスペースであれば、アート作品を置いてホームレスや好ましくない人の長期の滞在を阻止することができるだろうが、公園の広い土地全体を守ることはできない。そこで芝なのだ。
芝を公園に植える。するとその土地は緑化された「キレイな土地」となる。そのキレイな土地を保つという口実において、公園の管理者が芝の養生のために「芝生への立入禁止」などを命じるようになる。そして公園における管理者の権限が肥大する。芝でキレイにされた公園は「公共の土地」というよりは「管理者の土地」として多くの人に認識されるようになるのである。そして今回のような「芝を荒らす人間は悪である」という論理が成り立ってしまう。そうした公園のイメージがあれば、テント村やホームレスなどは当然「悪」として排除される対象となる。
キレイな公園を守るために、公園の利用形態を管理者の都合のいいように選別するような権限が、当たり前のように国民によって認められてしまうのである。
しかし、それでいいのだろうか。
公による土地の専有は、私有の土地のように、管理者が絶対の権限をもって行うべきことなのだろうか?
公園はいつでも管理者の思惑の通り「清浄」に保たれるべき場所であろうか?
そうした偏狭な公共のイメージが、現実の人間を排除することが健全だとは、とても私には思えないのだけれど……
*1:#大飯テント の残していったもの(Togetter)http://togetter.com/li/342486
*2:公園のベンチが人を排除する? 不便に進化するホームレス排除の仕掛け(Petite Adventure Films Blog)http://brianandco.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-4ddf.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。
・@T_akagi - Twitter



