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「障害」ということ、「自立」ということ──映画『インディペンデントリビング』から見えるもの - 熊谷晋一郎×田中悠輝

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障害があっても、地域の中で自立して暮らしたい──。「インディペンデントリビング(自立生活)」を選択して生きる障害者たちの日常を追ったドキュメンタリー映画『インディペンデントリビング』が全国で公開中だ。「障害」とはそもそも何か、自立とはどういうことなのか、そして障害者の「自立生活運動」が直面する課題とは──。田中悠輝監督が、自身も脳性麻痺の障害をもつ小児科医の熊谷晋一郎さんと語り合った。(取材・文 / 仲藤里美)



「自立生活運動(IL)」が直面する「孤立」の問題

熊谷 映画『インディペンデントリビング』を見せていただきました。まさに障害者自立生活運動(IL)の最前線をとらえた、今の時代にしか撮れない貴重な場面を切り取った作品だと感じました。後々まで、ずっと残っていく作品になるのではないでしょうか。

田中 ありがとうございます。

熊谷 少し歴史を振り返っておくと、ILはもともとアメリカで誕生した運動です。それまで施設など隔離された場所に押し込められ、自由を奪われていた障害のある人たちが、「それは間違っている」と声をあげ、地域の中で自立して暮らすことを目指して社会に出て行ったところから始まりました。

その大きな功績は、障害に対する考え方を180度転換させたことです。たとえば、足が悪くて階段を上れないという人がいたときに、「それは足に障害があるからだ」と考え、リハビリなどを通じて健常者に近づけるか、それが無理ならば社会から排除するという「同化と排除」の二択のみを提示するのが従来の「医学モデル」でした。それに対して、「そもそも階段しか準備していない建物のほうに障害がある」として、個人の身体ではなく社会の側が変わるべきだと主張する「社会モデル」と呼ばれる新しい考え方が登場してきたのです。

アメリカでは、1960〜80年代に医学モデルから社会モデルへの変換が進みます。その中で、同化でも排除でもない形で社会の中へ参入していこうとするILが大きなうねりとなっていきました。

これが日本にもたらされるのは、80年代に入ってからです。しかし実はそれ以前にも、日本固有の障害者運動というべき動きがありました。「青い芝の会」(※)などがそうです。そしてそこには、個人が介護サービスを利用して自立生活を果たす「アメリカ的」なILとはまた異なる、障害を持つ人たちの共同体的な思想があったように思います。

この映画にも、そういう雰囲気がにじみ出ている気がしました。たとえば、障害者施設に対する視線。「施設」というのは「隔離」の象徴なので、ILにおいてはある意味で全面的に否定されるべきものとされるのですが、一方で障害をもつ人たちの共同体を生み出す場となってきたのも事実です。この映画に登場する人たちは、そうした引力を施設に感じつつも、地域の中にそれとは異なる新たな共同性を構築してきたように感じました。

※青い芝の会…1970年代に日本の障害者運動を牽引した脳性まひ者の団体。車いすでのバス乗車拒否に抗議して28時間にわたる「バスジャック」を行うなど、「過激」とも称されるさまざまな活動を展開した。

田中 「青い芝の会」が、介助者との間に報酬を挟まない関係性をよしとしていたのも、そうした「共同体」的な感覚を思わせますね。一方ILでは、介助者にきちんと「仕事」として報酬が払われる仕組みが基本です。それは持続可能性という意味では大切なことなのですが、一方で介護サービスの利用者が非常に「消費者」然としてしまって、連帯による「運動」としての枠組みを保ちにくくなる面があるように思います。

田中悠輝氏

熊谷 介助者との関係にお金を介在させるのは、確かにとても大切なことです。私は、「必要な 介助サービスを、少数の介助者に独占されると、その介助者から支配される。自立するには、 介助サービスの調達先を多くの介助者の中から選べる状態を維持する必要がある。」 と強調してきました。つまり、なるべく介助を、家族や一部の介助者に独占されないようにする 必要があるということです。そして、独占を最小化するために発明されたのが、市場です。 市場の外にある、無償の愛によってお金を介さずに介助が提供される空間が、いかに障害者の尊厳や、 場合によっては命をも奪いかねないものだったのかは、強調してもしすぎることはありません。

そういう意味で、お金や市場を活用するのは良いことですが、その一方で、今、ILの中では「自立生活」ではなくて「孤立生活」運動になってしまっているのではないか、という危惧の声が出ているんですね。ILによって介護サービスなどさまざまな制度が整備されてきたけれど、それによって以前のような仲間同士の連帯が薄れつつある。充実したサービスに囲まれ、誰ともつながらずに暮らす。それは自立ではなくて孤立ではないのか、という問いが投げかけられているわけです。

田中 僕はずっと生活困窮者支援の活動をしているのですが、生活保護を得て路上生活からアパート生活に移行した人が、それによってむしろ地域で孤立した状態に置かれてしまうというケースが少なくありません。その「孤立」の問題にどう踏み込めばいいのかが大きな課題だと感じてきました。ILにおいても、同じ問題が起こっているというのは興味深いですね。

熊谷 制度を勝ち取っていく過程で、制度化による孤立化が起こるというのは、どの現場にもある逆説なのかもしれません。その局面を切り開くヒントが『インディペンデントリビング』の中にはあるように感じました。ILの思想をしっかりと受け継ぎながらも、それが直面している新しい課題にも真摯に向き合おうとする人たちの姿が映し出されていると思うからです。

熊谷晋一郎氏

参加する人の多様化。「自己決定」とは何か?

熊谷 ILが直面している課題というのは、今言った「孤立化」の問題だけではありません。制度整備が進んでILが広く知られるようになるとともに、そこにやってくる人たちもどんどん多様化しています。かつては、志を同じくする人が自発的結社のような形で運動を担っていたのが、モチベーションも身体的なコンディションも、背景として背負っているものも多様な人々が集まるようになってきた。

それによって、ILの背骨ともいえる理念が、さまざまな意味で「挑戦」され始めているといえます。たとえば、「障害者の自己決定が大事だ」というのもILが掲げ続けてきた重要な理念ですが、映画の中にも高次機能障害の方が出てきたように、認知機能などが十分ではない高次機能障害の人、あるいは知的障害の人の「自己決定」をどう考えるのか。そこが問われてきています。

田中 これまでのILは、主に身体障害の人たちが牽引してきた部分があったんですよね。それが2014年の制度改正で、24時間介護を可能にする「重度訪問介護」サービスを重度知的障害や精神障害の方たちも使えるようになり、自立生活の間口が大きく広がった。映画に登場する大阪の自立生活センター「夢宙」代表の平下さんも、「しゃべれる人だけじゃなくて、しゃべれない人たちの自立をどう考えていくかが問題だ」と言っていました。

実は、生活困窮支援の活動の中にも、非常によく似た課題があります。路上で暮らしたりしている人たちの中には、精神的、知的な課題を抱えている人が少なくないんですね。そして、その中には僕たちが「ヘルパーを使いましょう」という提案をしても、その意味をうまく理解できずに「俺は自分で全部できる」と拒否して、結果としてアパート生活と路上生活の行ったりきたりになってしまう、というケースもあります。そういった人の「よりよい生活」にどう関与していけばいいのかということを、僕もずっと考えてきました。

そんな中、以前に熊谷先生がご著書の中で「コミュニケーション障害」について書かれていた部分を読んで、とても納得が行ったんです。コミュニケーションというのは相手がいるからこそ成り立つものであって、それがうまくいかないのを個人の責任に付するのはおかしい、その意味で「コミュニケーション障害」という言い方は言葉としてそもそも崩壊している、というご指摘でした。誰かが発する言葉を僕たちがきちんと受け取れなかったとしたら、それはうまく受け取れない僕らのほうにこそ「障害」があるといえるのではないか、と思いました。

熊谷 ILはこれまでずっと「障害」を個人化させない「社会モデル」の重要性を訴えてきたわけですが、そこでも医学モデルの名残があって、例えば「あの人は自己決定できる」という言い方がされたりします。でも、実はそれは「自己決定できる/できない」「選択できる/できない」という出来事を個人の問題に切り詰め、序列化をしていることにほかなりません。ILの中に、再び医学モデルが「密輸入」される事態が出てきているのではないかという気がします。

そもそも、多くの人が口にする「自己決定能力」なんていうものが、個人の中にあるのか。そこから考えていくべきであって、「知的障害の人の自己決定能力をどうするのか」というのは、問いの立て方自体がおかしいんじゃないかと感じています。

(C)ぶんぶんフィルムズ

健常者は「自己決定」できているのか?

田中 僕もこの映画を撮影しながら、「健常者」である自分はこれまでの人生の中で、そんなに主体的に「選択」「自己決定」してきただろうか? ということをずっと考えていました。進学にしても就職にしても、自分の成績なら行ける大学はこのくらいかな、といった「相場感」の中で生きてきただけであって、そこに主体的な選択が果たしてあったかと言われたら、そうでもないんじゃないかと。障害のある人ばかりが「自己決定」を問われるけれど、健常の人だって、本当に主体的な選択をしている場面がどのくらいあるだろうか、と思ったんです。

熊谷 国連の障害者権利条約は、後見人制度のような代理型の自己決定を「障害のある人の権利を奪うもの」だとして退け、誰もが自ら意思決定することができるよう、必要な支援を可能な限り尽くすことが必要だと述べています。これが「意思決定支援」ですが、その前提になっているのは、健常者はすでに意思決定支援を存分に受けているという認識なんですね。

つまり、何も支援を受けずに自分で選択・決定できる人間は誰もいない。健常者もその例外ではない。ただ、彼らは自分が取得しやすい形で情報を取得でき、あらゆる選択肢を提示され、ロールモデルに恵まれ、何かを調べようとすればいつでも調べることのできる状況が与えられている。意思決定に必要なさまざまな資源が非常にアクセシブルな形で提供されているわけです。

ところが、障害のある人など一部には、受け取りやすい形で情報が提示されなかったり、選択肢が保障されていなかったり、ロールモデルがいなかったりと、意思決定に必要な条件が満たされていない人たちがいる。そうした人たちにも健常者と同等の条件を保障しましょう、というのが意思決定支援の中核にある考え方なんです。

田中 障害があってもなくても、どんな障害であっても、その人が自分で判断するのに必要な情報を保障するということですよね。

それは従来型の、本人の意思が分かりやすい形で発露されることを前提とした「意思決定支援」のモデルだけでは絶対に対応しきれません。人によっては分かりやすい言葉にはならない思いをどうくみ取れるか、一緒に考えていけるのかということだと思います。

ただ、そうした言葉にならない「意思」もくみ取って、すべての人に必要な情報を十分に保障する、そんな支援が現実的にできるのかと考えてみると……。僕は介護の仕事にも携わっているので、時間や人員の面からいって、どこまで可能なのか、とも思ってしまうんです。

熊谷 健常者の受けている意思決定支援は、9割方は友人知人といった、制度ではないインフォーマルな領域によるものなんですよね。それを障害のある人の場合に限って専門職だけに担わせようとするのは、あまりにも無理がある。インフォーマルな領域に働きかけない限り、支援は絶対的に足りないのだから、地域の中にインフォーマルな意思決定支援の文化みたいなものを根づかせていく必要があると思います。

私はよく、「周縁」にこそ問題解決の糸口がある、という言い方をするんです。つまり、社会全体の構造に「中心」と「周縁」があるように、運動の中にも必ず中心と周縁が存在する。そして、まだ制度化が及んでいない「周縁」の領域にこそ、非常に重要な問いかけがいっぱいある。そこから新しく生まれる理念や言葉が、運動が抱えている問題の解決につながる可能性を持っていると思うのです。

ILでいえば、知的障害や精神障害の人たちの存在は未だに「周縁」に置かれてしまっている。その「周縁」を、社会全体の縮図のように排除していくのか、それとも包摂する形で運動を進化させていくのかが問われている。ILの理念からいえば、進むべきは当然後者の道であるべきでしょう。社会から排除されてきた人たちが立ち上げたILが、今度は排除する側に回るというのは筋が通りません。

田中 映画で取り上げた自立生活センター「夢宙」においても、そこはまだ途上にある部分だと思います。でも、そうして「周縁」に一歩踏み込んでいこうとしている場があること自体が、大きな希望だという気がしますね。

(C)ぶんぶんフィルムズ

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