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  • 佐々木俊尚

なぜフリージャーナリストは震災後に劣化したのか?

 2000年代半ばごろまでは、ノンフィクションの書き手が仕事を覚え、ステップを上がっていくという仕組みが雑誌業界の中にあった。正社員として新聞社やテレビ局、大手出版社などに在籍していなくても、20代の右も左もわからないフリーランスであってもプロのライターとして独りだちしていくスキームがあったのだ。

 典型的なパターンとしては、週刊誌の契約記者から論壇誌での単独記事執筆へという流れがある。この週刊誌の契約記者というのは、ジャーナリズム志望者の入り口としては恰好の職場で、仕事はきつくて汚いものの、取材仕事を覚えられるし、そこそこの収入も確保できた。たとえば大手総合週刊誌の契約記者なら、仕事を選ばなければ月額30〜40万円ぐらい稼ぐことは十分に可能だった。

 大手出版社の場合、社員編集者はたいていは3つの分野に分かれている。「文芸」「報道」「マンガ」だ。文芸は小説。報道は週刊誌や論壇誌、それに新書とノンフィクション。そしてマンガは文字通りマンガ雑誌やコミックスの単行本を扱う。これら三つの分野ごとに編集者がある種のコミュニティみたいなものを作っていて、それぞれの分野同士での人事交流は実はあまりない。

 「報道」系グループは月刊の論壇誌や総合週刊誌、ノンフィクション書籍、新書などの編集部のことで、この間では人事交流が盛んだ。この正社員の場に、契約編集者やノンフィクション作家、ジャーナリスト、契約記者といった外部の人材が入り交じって、ゆるやかに大きな共同体のようなものを形成している。

 だから週刊誌で仕事をしてきた新人フリーライターが「今度はじっくり論壇誌で長い取材記事を書いてみたい」と熱烈に願えば、このゆるやかな共同体の中で論壇誌の編集者を紹介してもらい、そこで新しい仕事に挑戦するというようなことが可能だった。

 署名入り原稿中心の論壇誌にも、ステップアップがある。たとえば文藝春秋社で言えば、休刊してしまった『諸君!』は登竜門的扱いで、新人の書き手にも広く門戸が開かれている。文春社内で「本誌」と呼ばれている月刊の『文藝春秋』はもう少し格上で、以前は論壇誌の総本山とも言える雑誌だった。「右の『文藝春秋』、左の『世界』」などと岩波書店の『世界』と並び称される存在だったのである。今となっては『文藝春秋』はすっかりオジイサン雑誌になってしまい(毎号、病気特集と死に方特集を繰り返しやっている‥)、『世界』は見捨てられた老リベラルの寄り合い所みたいになってしまっているが‥。

 このような論壇誌で腕を磨き、有名な書き手の取材原稿の下働きをしながら、自分の署名1本で書けるように独り立ちしていく方向へと進むというのが、かつてのフリージャーナリストの「出世道」だった。そうしてついには書籍を書き、これをやはり出版社の「報道」コミュニティの中で紹介してもらった書籍編集者につなぎ、刊行へとこぎ着ける。実力があり運が良ければ、その出版社が主催している「ノンフィクション賞」なども受賞できるかもしれない。そこまで進めば、報道コミュニティの中ではひとかどの存在として一目置かれるようになる。

 このような形でフリージャーナリストは出版業界の中で仕事を覚え、原稿料をもらい、知名度を上げて生活をしていく。そういう大まかなスキームができあがっていたということだ。そんなに大金持ちにはなれない(ベストセラーの本を連発できるようになれば別だが)が、編集者との人間関係の中でそこそこ実力を発揮できていれば、生活をしていくのは難しくはなかった。

 しかしいま、このコミュニティ構造がはかなくも崩壊している。

 論壇誌はほとんどが消え去った。『諸君!』『論座』『月刊現代』などが休刊し、有名どころで残ったのは『世界』と産経の『正論』ぐらいで、「中庸が消滅して極左と極右だけが残った」などと揶揄されるありさまだ。総合週刊誌はそれでもまだ大半が残っているが、以前と比べれば部数も減り、それ以上に広告収益が激減して、取材にかけるコストはどんどん減ってきている。雑誌が消滅していく時代状況の中で、雑誌を中心になり立っていた出版ジャーナリズムが維持されるはずもない。

 気がつくとフリーライターの仕事をしている人は中年ばかりになった。私のところにもときおり雑誌のインタビュー取材がやってくるけれども、執筆を担当する外部ライターの人たちはたいてい40歳代か50歳代、中には60歳代とお見受けするような人もいる。20代のライターなんて、めったに見ない。

 著名なライターでも、雑誌中心にやっていた人の中には食べられなくなっている人もかなりいるらしい。けっこう著名なジャーナリストで「年収が半減した」と愚痴をこぼしていた人もいる。以前は若いライターはまず編集プロダクションに所属して雑誌の仕事をするというようなラインもあったが、編プロ自体もどんどん減っている。「(編プロ社長が)首を吊った」なんていう嫌な話をこの5、6年のうちに何度も聞いた。

 もちろん、全員が悲惨な目にあっているわけではない。私のように雑誌の仕事にとっとと見切りを付け、トークイベントやメルマガといった新たなビジネスへと少しずつシフトしている人間も少なくない。ジャーナリストやライターが自分自身で自分のビジネスをマネジしなければならない時代になってきたということだ。以前のように出版のコミュニティに人的関係でぶら下がっていれば何とかなったという時代は終わったのだ。

 そういう移行自体は、私は悪いことではないと思っている。インターネットによって情報の発信者と受信者が相互に交換可能になっていけば、そういうクローズドなコミュニティを維持することで発信者の枠組みを確保するというようなやり方はパワーを失っていくのは当然のことだ。それは至って民主主義的であるし、情報をオープンにしていく不可避の流れでもある。

 しかしここに来て、思いも寄らない「副作用」みたいなものが生じ始めている。

 出版業界のこの報道コミュニティは、プロフェッショナルのコミュニティだった。このコミュニティの中で評価されれば、それは閉鎖的な人間関係であるとはいえ、とりあえず「プロに評価されている」という一定の指標にはなっていたのである。プロに評価されなければ、このコミュニティの中では生きていけない。

 そういう評価の在り方には、プラスもマイナスもあった。プラスの部分はプロの編集者や記者による一定した視点で評価されていたことだが、それは一方で気持ち悪い派閥やセクショナリズムを生み出し、狭い世界で人間関係がどんどんややこしくなるというマイナスにもなっていた。

 そして2000年代後半からこのコミュニティが崩壊し始めると、このプラスの部分もマイナスの部分も一斉に消えてなくなってしまった。オープンな場で仕事が評価されるようになり、派閥やセクショナリズムが意味を持たなくなったのは良かった。マイナス部分が消えたのである。しかし一方で、「プロの評価」というプラスの部分も消えてなくなった。その結果生まれてきたのは、「読者の評価」だ。つまりプロの世界での評価システムが消滅した結果、フリーのジャーナリストやライターは直接読者と向き合わざるを得なくなったのである。

 今までは、以下のような構造だった。

(1)書き手 → プロの編集者(出版社) → 読者

 これがダイレクトに以下のような関係に変わった。

(2)書き手 → 読者

 これは先にも書いたようにオープンな場で読者とダイレクトにつながるという意味で良いことなのだけれども、一方で容易に衆愚化してしまう。これまでは読者が俗悪で勧善懲悪なくだらない記事を求めたとしても、間に入る編集者が「いや、これは読者には理解されにくいかもしれないが、いい記事だから」と評価してくれていた。しかしこの中間の編集者がいなくなったことによって、書き手は直接読者のニーズと向き合わなければならなくなる。

 これは簡単なようでいて、落とし穴だらけの難しい関係性だ。読者の中には優秀で理解力のある人もたくさんいるが、一方で頭が悪く俗悪で単純な構図しか理解できない人はそれ以上にたくさんいる。書き手はそれらの読者のセグメントを分けて判断できればいいのだけれど、ことはそう容易ではない。俗悪で単純な記事を書いたとたんにページビューが跳ね上がったり、そういう内容の本が売れたりしてしまうと、「これが読者の求めているものなのか!」と思い込んでしまって、明後日の方向へと突っ走ってしまうということになるのだ。

 これこそがジャーナリズムの衆愚ビジネス化というたいへん暗く深く、大きな問題である。

 ここ数年、フリージャーナリストの劣化が著しいと指摘されている(佐々木俊尚よお前もそうだ、といわれてしまえば詮無いが)。名前を挙げるのは名誉毀損に当たるので止めておこうと思うけれども、ただ自分の知名度を上げるためだけに扇情的な記事を書き、ウソをまき散らしてるようなジャーナリストはひとりやふたりではない。その傾向はここ数年徐々に増えてきていた感があるけれども、震災以降になって急速に加速してきた感がある。

 彼らはおそらくは望んでそうしているわけではない。プロの報道コミュニティが消滅してしまった状況の中で、誠実に読者と向き合おうとした結果、読者のニーズをそのように読み過ぎてしまい、そっちの方向へと走ってしまったということなのだ。しかしこの「読者ニーズ」というのは、正しいニーズではない。このニーズを正しいと思ってしまう人は、ワイドショーが俗悪なゴシップや人権無視の酷い事件報道をしていることを批判できないし、写真週刊誌『FOCUS』を創刊した名物編集者斎藤十一の言葉「おまえら、人殺しのツラを見たくないのか?」を否定することもできないのだ。

 さらにいえば、この数年はフリージャーナリストだけでなく新聞もソーシャル化が進み、ネットでの読者からの反応を著しく気にするようになってきた。そういう中で日経がやたらと飛ばし記事を書くようになり、産経に至っては捏造としか思えない報道まで量産しつつある。新聞がこういう状況に踏み込んでしまっているのも、私がここまで書いてきたジャーナリズムの衆愚ビジネス化と無縁ではないだろう。

 この落とし穴を乗り越えるためには、単純なページビューや広告効果、本のベストセラー化といったマス指標ではなく、読者と書き手である自分との間にどれだけ誠実なエンゲージメントを構築できるのかというような考え方が必要になってくる。しかし今のところ、そのようなやり方で安定的に収益を生む方法はなかなか見つからない。メルマガはそのひとつの方向性だが、まだ(私にしても)試行錯誤の状態だ。だからどうしてもページビューや広告効果、ベストセラーといったわかりやすい数字、そしてわかりやすいマネタイズモデルへと突き進んでしまう。それで儲けて収益が安定してしまうのだから、ますますそこから脱却するのは難しい。

 少なくとも言えるのは、マス至上主義を捨てて良質で小規模なコミュニティへとビジネスを帰することの可能性だ。しかしそのようにコミュニティ化を推し進めていけば、タコツボ化は防げない。どのように開かれた公共圏を形成し、世論を作っていくのかというより大きな問題との間に再び深い陥穽が空いてしまう。

 プロのジャーナリストに対して「信者ビジネス」というような非難がある。形成された読者コミュニティと、その読者コミュニティに向けて記事や情報を配信するようなやり方を揶揄した言葉だ。そしてこの「信者ビジネス」という言葉はなぜかジャーナリストに向けられることが圧倒的に多い。マンガ家や小説家やミュージシャンに対して「信者ビジネス」という言葉が投げ掛けられるケースはあまり見ない。マンガ家や小説家やミュージシャンの方が熱烈なファンを囲い込んでいるケースがずっと多いのにもかかわらず、だ。

 これはとりもなおさず、ジャーナリストに対して「公共圏の担い手」という期待がいまだ寄せられていることの裏返しでもある。マンガ家や小説家やミュージシャンがファンコミュニティに向けてコンテンツを配信するのは当たり前。しかしプロのジャーナリストであれば、ファンコミュニティだけではなく、もっと開かれた大きな社会に向けて記事を配信し、世論を動かすようなことをしてほしいーーという期待感があるからだ。

 マスメディアが衰退していく中で、世論の形成プロセスが曖昧になってきている。ソーシャルメディアの勃興によって世論形成はネット上にゆるやかに移行していくのでは?というのが将来像だが、現時点ではそこにはたいへんな移行期的混乱が起きているのも現実だ。この混乱を乗り越えていくためには、世論に対して触媒的な役割を果たすような存在が必要で、それはジャーナリストをはじめとするプロの言論人の仕事になってくるのかもしれない(いや、必ずしもプロである必要は無いが)。とはいえそれがどのようなかたちを持つようになるのかは、まだ明確ではない。ただの夢想の段階だ。

 だからこの問題はまだ、答が無い。これから私もさらに模索していく。

※上記は7月30日(月曜日)配信のメールマガジン「未来地図レポート」204号から、特集記事のうちの1本の要約です。メルマガは本サイトのmail magazineからお申し込みいただけます。

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