記事

私たちは、誰もが「弱者」であることを忘れてはいけない 「賢人論。」第111回(前編)中島岳志氏

報道ステーションなどニュース番組のコメンテーターとしても知られる東京工業大学教授の中島岳志氏。同氏は『石原慎太郎-作家はなぜ政治家になったか』『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』など多数の著作でわかるように、ジャンルを超えて活躍する気鋭の政治学者だ。そんな中島氏は、相模原事件や国会議員の「生産性」発言に対して、「弱い立場の人々が『不要なもの』とされつつある」と日本社会に警鐘を鳴らしている。今一体、日本社会に何が起きているのか、お話を伺った。

取材・文/木村光一 撮影/公家勇人

コミュ力がない人間は「不要な人間」だとみなされる時代

みんなの介護 以前、中島さんが2016年に起きた相模原事件について書かれたコラムの文中に「不要なものとされる不安」という表現がありました。それまでニュースなどを見ていて漠然と感じていた気持ちの正体を言い当てられた気がしてとても印象に残っています。

中島 相模原殺傷事件の3ヵ月後に書いたコラムですね。あのとき、私は何人かの著名人が発した暴言を例に挙げて次のような仮説を提示しました。

社会によって暗黙のうちに決められた〝標準モデル〟の中にいることが日本社会での「集団的価値」になっている。そのため、そこから一歩外れれば「不要なもの」とみなされてしまうのではないかと皆が不安を抱えている。

おそらくは相模原事件の犯人もそんな不安を抱えており、〝標準モデル〟に適合しない「障がい者」を憎んで排除することで、自分は集団的価値の側にいると認めてもらいたかったのではないか。

事件の背景には、ある時期から日本の社会に根ざしてしまった〝必要な人間〟〝不要な人間〟という暴力的な二分法が影響を及ぼしているのではないか。

みんなの介護 そこでいう〝標準モデル〟〝必要な人間〟というのは、例えばどんな人を指していたのでしょう?

中島 ひとつ例を挙げるなら「コミュニケーションが上手で人間関係を円滑化できる人」となります。

実際、企業も採用の際にはコミュニケーション能力を重視していますし、学生の話では合コンで一番モテるのも話し上手や、場を盛り上げる男子だそうです。

逆にコミュニケーションの苦手な人は「コミュ障(コミュニケーション障がい)」というレッテルを貼られて敬遠されてしまう。昔はひとつの物事に集中して寡黙に取り組む姿勢は日本人の美徳として評価されていましたから、この1点を見ただけでも日本社会の〝集団的価値〟が明らかに変わったことがわかります。

こういった基準の流動化が「いつ何時、自分も〝必要ではない人間〟の側に立たされるかわからない」という不安を多くの人々に抱かせ、それを解消しようとする方へと向かわせているのだと私は考えています。

「リア充」に見えたひとりの若者が抱えた、心の闇

みんなの介護 相模原事件を起こした植松聖被告も、実は自分自身を「不要な人間」とされてしまうことへの不安を抱えていたということでしょうか?

中島 一見、植松という人は若者言葉でいえば「リア充」。彼女もいればパーティーを一緒に楽しむ友達もたくさんいる。決定的な行き詰まりに直面しているようなタイプとはほど遠い。それだけに、はじめは私も首をひねりました。

そのうち、彼が教師を目指したものの挫折していたこと、自分の人生が思うようにいかないことに対して悔しさや不満を持っていたことが徐々にわかってきた。

そして植松被告を知るうえで最も興味深かったのが、事件の半年前、彼が衆議院議長宛に出した犯行予告の手紙でした。

そこには陰謀論やナショナリズム、そしてスピリチュアリティー(神秘主義)、ナチズムに対する思い入れや持論が書かれていました。この持論が論理的であるかどうかはさておき、それら4つの事柄をつないでいくと見えてくるものがあります。

なぜ、今弱い立場の人々へ「暴力」が向かうのか

中島 まず「陰謀論」に飛びつく人は、とにかく何か邪悪なものに世界が支配されていて、本来あるべきもの、純真・純粋なるものが歪められているというイメージを持っています。自分の人生がうまくいかないのもすべてそのせいだと考えれば納得できるからです。

よって本来的なものに回帰しようという発想に至りやすく、結果、陰謀論者はナショナリストになっていくケースが少なくありません。

次に、その陰謀によって隠されている真実にたどりつくには常識を超えたパワーや超常現象が必要だという発想が連結されます。それが「スピリチュアリティー(神秘主義)」。UFOが見えるとか波動を感じられるとかは、純粋なるものを知る選ばれし者だけに備わった特別な能力だという理屈です。

そしてそれらの行き着く先にあるのは〝不純物〟は排斥しなければならないという排除の論理。植松被告にとってその不純物が〝障がい者〟でした。

みんなの介護 〝不純物〟が「本来あるべき世界を邪魔する邪悪なもの」はわかります。しかし、それがなぜイコールで〝障がい者〟となってしまうのでしょうか?

中島 植松被告が拘置所の中で描いた絵を見ると「美」へのこだわりが格別で、一方、「醜」に対して強い憎悪を抱いていることがわかります。

衆議院議長に宛てた手紙でも美容整形に言及し「進化の先にある大きい瞳、小さい顔、宇宙人が代表するイメージを獲得したい」などと述べていました。一見、意味不明ですが、彼なりに理想とする幸福のイメージがあり、それがすなわち〝美しいもので満たされた世界〟であったことが読みとれます。

そしてその価値観に照らせば障がい者は醜くて価値のない存在で、さらに、障がい者福祉にお金と時間が奪われているせいで、本来、皆を幸福にする「美」へ金が回っていない──だから障がい者は〝不純物〟=〝本来あるべき世界を邪魔する邪悪なもの〟なのだというのが植松被告の主張でした。

みんなの介護 その植松被告の考えが、どう今の日本社会とつながっているのでしょうか?

「生産性」発言と相模原事件に共通する問題

中島 植松被告の歪んだ考えを妄想の一言で済ませるのは簡単です。しかし、その向こう側にそのまま今の日本の社会が透けて見えてしまう。だからそうはできない。そこが一番の問題なんです。

例えば少し前の、杉田水脈(みお)衆議院議員による「LGBT(性的少数者)の人たちは子どもを作らない。つまり〝生産性がない〟」という暴言からも同じ構造が見てとれます。

性的マイノリティーの生き方を否定し、子どもをつくることを「生産性」などという言葉で語る態度は、結局、障がい者を〝不要なもの〟と見なした考え方と何も変わらない。そんな偏見に満ちた差別的発言を現役の国会議員が公然と発信している。

それが今のこの国のあり様なんです。

みんなの介護 杉田水脈代議士の発言に対し、中島さんは即座に「弱くある自由を守らなければならない」と反論を述べられていました。この〝弱くある自由〟とはどういう意味でしょうか?

中島 大前提として、私たちは「弱者」であることを忘れてはいけません。

誰しも最初は親の保護がなければ生きられなかったし、年老いてしまえば、また誰かに助けられなければ生きていけなくなる。いつ、交通事故に遭うかわからないし、突然、難病や大病を発症する可能性だってある。

自分が強いと思っていられるのは、実は人生の一時期に過ぎないんです。

だから、社会が弱い者に手を差し伸べなければならないのは人間本来のあり方であって、「弱くある自由」とは「弱さが人間の本質」だと受け入れ、互いに認め合うことに他なりません。

今日と同じ明日を迎えられるかはつねに不透明です。身体の不順やリスクに対して自己責任論を適用するのは大きな誤りといえます。

なのに、そんな自明の理さえ想像できない人、あるいは頑なに認めようとしない人が増えている。それもこれも世の中全体が、短いスパンの中でしかものを考えられなくなってしまったからです。これは大変な不幸だと思います。

あわせて読みたい

「コミュニケーション」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    渋谷で「一揆」補償巡りデモ行進

    田中龍作

  2. 2

    電通らが甘い汁を吸う給付金事業

    青山まさゆき

  3. 3

    コロナが炙り出す質低い大人たち

    毒蝮三太夫

  4. 4

    重症者少ないアジア 人種要因か

    大隅典子

  5. 5

    報道番組をエンタメにしたTVの罪

    メディアゴン

  6. 6

    米で広がる分断 アジア人も下層

    WEDGE Infinity

  7. 7

    学校で感染集団 予防はまだ必要

    中村ゆきつぐ

  8. 8

    宗男氏 共産党議員に厳しく対処

    鈴木宗男

  9. 9

    木下優樹菜が復帰できない事情

    文春オンライン

  10. 10

    「北九州第2波」の表現は大げさ

    木走正水(きばしりまさみず)

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。