- 2020年03月11日 09:09
事実と表現、記録と記憶
1/2東日本大震災から9年たった。新型コロナウィルス感染症のため大がかりな式典は行われないが、多くの人たちがそれぞれの場所であのときを思い出し、犠牲者を悼み、今なお苦しんでいる人たちに心を寄せたりするのだろう。このタイミングに合わせてだろうが、福島第一原発事故の際、多くの職員が避難した中、原発にとどまった人々を描いた映画『FUKUSHIMA 50』が公開されている。
https://www.fukushima50.jp/
震災もそれに続いた原発事故もまだ記憶に新しいこのタイミングで、実際のできごとを映画化したとなれば、映画を語りながら現実の人々や組織、状況を語ることになってしまうのはある程度はやむを得ない。事故自体についてもいろいろな意見がある以上、本作への評価も割れるのは自然なことだろう。実際、みる限り反応は賛否が真っ二つに分かれているようだ。
原作者の政治的方向性に近い考え方をする人には比較的支持されやすい作品なのだろうが、糸井重里氏のように、そうした方向性とはやや異なる人々にも支持者は少なからずいるようだ。賞賛する意見の中には、絶望的な状況での一部の人々の英雄的な行動について、あるいは極限状況下での人間ドラマとして、作品を高く評価しているケースが少なからずみられる。
震災の日、福島第一原発の現場では何が起きていたのか? 感動の実話『Fukushima50』
(紀平照幸 - Yahoo!ニュース個人2020年3月5日)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20200305-00166180/
戦争映画や、時代劇だと「いのちを捧げて」やらねばならないことがでてくる。いまの時代は「いのち」は無条件に守られるべきものとされるから、「いのちを捧げる覚悟」は描きにくい。映画『Fukushima50』は、事実としてそういう場面があったので、それを描いている。約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。
戦争映画や、時代劇だと「いのちを捧げて」やらねばならないことがでてくる。いまの時代は「いのち」は無条件に守られるべきものとされるから、「いのちを捧げる覚悟」は描きにくい。映画『Fukushima50』は、事実としてそういう場面があったので、それを描いている。約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) March 6, 2020
一方、これを批判する人は、この作品をすべて実際にあったことととらえることへの懸念や反発を表明している。そしてそれは、現政権への批判的な態度と重なる部分が少なからずあるようだ。たとえば編集者の中川右介氏は、この作品で悪者として描かれている首相が現実と異なると批判している。当時は民主党政権下であったことを考えると、その首相を悪者として描くことは、結果的に民主党(現在は分裂しているが)への批判となる(裏返せばその後現在まで続く現政権を擁護することになる)ということだろうか。
映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?
(現代ビジネス2020年3月6日)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70707
糸井重里氏のツイートに対しても強い批判が寄せられている。作品自体より糸井氏本人に向けたものとみえなくもないが、少し引いてみれば、これは現政権を概ね支持する社会の空気、現代日本の国のあり方全般への批判ということになろう。
糸井重里さんが原発を守るために命を捧げた映画を絶賛して泣いている。糸井さんは、忌野清志郎ボスが原発や戦争を恐れた歌を「くだらない」と批判した人だ。原発を恐れるのはくだらなくて、命を捧げるのは素晴らしいのか。
糸井重里さんが原発を守るために命を捧げた映画を絶賛して泣いている。糸井さんは、忌野清志郎ボスが原発や戦争を恐れた歌を「くだらない」と批判した人だ。原発を恐れるのはくだらなくて、命を捧げるのは素晴らしいのか。 https://t.co/u74Mbj4UjL
— 町山智浩 (@TomoMachi) March 7, 2020
https://twitter.com/TomoMachi/status/1236323811101782016
福島の原発事故を描写する際に、現場で戦った人間を英雄視することで、東電という組織ならびに原発というシステム自体が内包していた根本的な問題点を看過させてしまう手法は、先の大戦を語るに当たって英霊を称揚することで、国の戦争責任から目を逸らさせる手口とまったく同じだと思う。
福島の原発事故を描写する際に、現場で戦った人間を英雄視することで、東電という組織ならびに原発というシステム自体が内包していた根本的な問題点を看過させてしまう手法は、先の大戦を語るに当たって英霊を称揚することで、国の戦争責任から目を逸らさせる手口とまったく同じだと思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) March 7, 2020
ざっと見渡した限りでは、よい評価をしている言説も批判している言説も、映画を現実と結びつけてとらえる傾向があるようにみえる。危機に陥った日本を救った人々の実話とみる人が肯定的に評価している一方で、過剰に美化された虚構とみる人は否定的に評価しているわけだ。