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3月10日の東京大空襲

 昭和20年は、今から75年前のことになる。この日というよりも、実感としては3月9日の深夜なのだが、東京の下町に10万人の死者を出す大空襲があった。私は当時、国民学校の5年生で、疎開もせずに東京都滝野川区(今の北区の東部)の自宅にいた。この夜のB29(爆撃機)の行動は複雑で、ラジオの東部軍管区情報は、「敵ノ少数機ハ、房総半島南部デ旋回中ナリ」と伝えており、警戒警報のままだった。

 待ちくたびれた私は、家族に勧められて、着衣のまま布団で寝ていることになった。やがて「おい、来たぞ」という兄の声に起こされて戸外の防空壕へ向かったのだが、当時はもう空襲には慣れているから、私は敵機が頭上に来るような危険がない限りは、家の中でラジオを聞いて、それを壕内の家族に伝える連絡係を勤めるのを例にしていた。(携帯ラジオなどは存在しない時代である。)

 この夜のB29は、編隊を組まずに一機ずつが低空で飛んでくるのが特徴だったが、見える範囲の空で投弾することはなかった。やがて空襲警報のサイレンが鳴り、高射砲の炸裂音も始まったのだが、それらはいつもの空襲より、むしろ散発的のように思われた。いつもよりダラダラと長引く印象のあった空襲も、やがて長いサイレンで空襲警報解除となった。しかしそれでも、高曇りだった東側の空が、いつまでも赤く染まっているのが異様だった。

 私は父に連れられて、見通しのきく田端の高台まで行ってみた。すぐ下に京浜(東北)線の線路が通っている。その向こうの遠くに、今まで見たことのない大規模な火災が見えていた。近くには同じように見に来た人たちが大勢いたが、大声で話す人はなく、あの辺が浅草だというようなことを言っていた。風は左から右へ、つまり北西の風が強く吹いているらしく、煙は低い角度で流れて行くのだった。

 その次の日あたりの新聞には、「生かせ、戦訓」といった記事が出ていたが、もちろん死者の人数などには触れていない。ただ、どこかの新聞に、かなりリアルな記者の体験記が出ていたのを覚えている。掘割に飛び込んで難を避けたというのだ。たぶん「燃えてきたら逃げるしかない」ことを伝えたかったのだろう。

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