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ソーシャルファイナンスとしてのクラウドファンディング  山口浩

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2012年7月9日(月)、「ニュースを読み解け!ニコ生シノドス7月号」 というニコ生番組に出演した。特集テーマは「ソーシャルファイナンス~世界を変える新しいお金の集め方...」というもので、司会はいつもの荻上チキさん。もう1人のゲストに、最近「ソーシャルファイナンス革命 世界を変えるお金の集め方」という本を出版された慎泰俊さんをお迎えした。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv99354966

その際に参考になるかと思って、言いたいことを書いておこうと書き始めたはいいが結局間に合わず、しかたなく事後にこうやって、少し内容を付け足して「いまさらながら」と出そうとしているのがこの記事だ。生番組ではまとまった内容を伝えるのがけっこう難しかったりするので、補足、ぐらいにとらえていただけるとありがたい。

「ファイナンス」と「ソーシャルファイナンス」


「ソーシャルファイナンス」ということばは、複数の意味で使われる。英語だと、「社会的意義のある事業にお金を集めるしくみ」といった意味で使われることが多いかもしれない。当然、日本語でもこの意味で使われることはけっこう多いが、慎さんの定義は、「人と人とのつながりを活用するファイナンス」ということらしい。もちろんこれはこれでアリだし、後記の理由でこちらの方がいいと思う。

ファイナンスとは、ごく簡単にいえば「お金のやりくりにまつわる活動」だ。お金には、価値の基準、交換の媒体、価値の保存などの機能があるわけだが、それらはいずれも、お金が人と人との間でやりとりされることを前提としたものであり、その意味ではファイナンスはもともとソーシャルな活動ということになる。その中でも、人と人とのつながりがこれまでより大きな役割を果たすものが、ここでいう「ソーシャルファイナンス」、ということになろうか。

この定義のしかたで気に入っているのは、「ファイナンス」ということばがニュートラルなニュアンスで使われていることだ。お金まわりの話をする人はときに、暗黙裡に、あるいは明示的に、お金への関心を示すこと自体に対するうしろめたさや言い訳のようなものをにおわせていることがある。「がめつい人、卑しい人とは思われたくない」ということだろう。「社会的に意義のある事業へのお金のやりくり」という意味での「ソーシャルファイナンス」もそうだ。わざわざ「ソーシャル」とつけることによって、「私利私欲ではない」ということを強調しようとする発想を色濃く感じる(単なるひがみかもしれないが)。そうすることの意味はもちろんわからないでもないが、ちょっと言い訳がましい印象があって今一つ気に入らない。

その点、「人と人とのつながり」はこうしたうしろめたさとは無縁のニュートラルなものであり、社会的意義やら何やらに縛られてはいない。たとえばノーベル平和賞をとったグラミン銀行などで知られるマイクロファイナンスもここでいうソーシャルファイナンスに含まれるが、同様に、ビジネスとして行われるP2Pファイナンスや、ネタのようなお遊びのプロジェクトのためのクラウドファンディングも、やはりソーシャルファイナンスの一種だ。

本来、利潤動機自体を恥じたり隠したりする必要はない。「利潤」を古典的なミクロ経済学でいう「超過利潤」(「レント」ともいう)のような狭い意味でいうならともかく、「付加価値」のような広い意味でとらえれば、古来、人は利潤によって生計を立て、社会は利潤動機によって発展してきたといっていい。その結果集まる富の公正な分配を求める指向も、人間が持ち合わせた性質の一部であるとする研究がある。もしそうなら、人間の社会性は市場メカニズムの中に内在しているわけで、社会的価値の実現をはかることは、利潤を求めることと必ずしも矛盾するものではない。

遊びやネタでお金を集めることも、同様に、恥じたり隠したりする必要はない。「お金に色はついていない」という表現があるが、名目はどうあれ価値を伝える媒体であるお金がスムーズに流れていくことには、それなりの意味がある。もちろん、社会的意義の高い(と世間的に解される)事業への資金提供を誇りに思うことを否定はしないが、それをことさら自慢げに強調するのもいかがなものかと思う。

お金を集めて投じるしくみ

上記のような考え方に基づいて、「ニコ生シノドス」の中では、お金を集めて投じるしくみ全体をまとめて考える枠組みを提示した(図参照)。この中には投資も融資も、募金もパトロンによる支援も、もちろんソーシャルファイナンス全般も含まれる。必要なときに、必要な人にお金がわたるようにするためのしくみをすべてカバーするイメージだ。

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一般に、取引は何らかの価値を交換する行為だが、お金のやりとりの場合、価値が移動する時点にずれがあったり、あるいは一方向に動いたまま返ってこないこともあったりする。つまり、お金の出し手と受け手がいるわけだ。

ここで問題となるのが、いわゆる情報の非対称性や取引コストだ。金額や名目にもよるが、一般的にお金の出し手が、受け手を信用できなければ、お金を出そうとはしないだろうし、そもそも適切な受け手を見つけられないこともありうる。また、お金をやりとりする際には、さまざまな手続きのためのコストがかかる。これらは、お金のスムーズな流れを阻害する要因となる。必要なところに必要なタイミングでお金が使えなければ、経済全体として効率が低下する。

そこで、仲介者が必要となるわけだ。銀行や証券会社、NPOやクラウドファンディングサービスの事業者などがこれにあたる。こうした仲介者がお金の出し手と受け手の間を取り持つことで、情報の非対称性が低下するとともに、必要なコスト負担が規模の経済で軽減、効率化される。このために、こうした仲介者には、仲介機能そのものの他に、必要な水準で目利き機能、チェック機能を持つことが期待される場合がある。

もちろん、「お金を集める」といっても、さまざまなバリエーションがある。お金の出し手には、出すことに見返りとして何かが得られるであろうとの期待があるであろう。投資や融資であればそれは金銭であり、物品やサービスの購入という場合もあろう。また、直接の見返りを期待しない寄付でも、受け手からの感謝や社会からの評価、あるいは自己満足や死後の「救済」への期待のようなものが、疑似的な見返りになることはある。

また、金銭や物品・サービスのような、ゼロサムの価値を見返りとする場合には、そこにリスクとリターンの分配という問題が加わり、そのパターンによって、さまざまなしくみに分かれる。一般的に、リスクとリターンにはトレードオフ関係(つまり、ハイリスクのものにはハイリターンが要求されるということだ)が成立するが、分野によっては、政策的配慮等の理由で意図的にそれを歪曲したり、特殊なスキームを適用したりすることも珍しくない。

こうした、お金をやりとりするしくみがいろいろある中で、慎さんのいう意味での、「人と人とのつながりを活用するファイナンス」としてのソーシャルファイナンスは、人と人とのつながり、つまりソーシャルネットワークを活用することで、サーチコストやモニタリングコストなど、いわゆる情報の非対称性をもたらすコストや、取引コストの低減をはかるものだ。人的ネットワークの活用自体は、講などのように、はるか昔から行われてきたが、コンピュータやインターネットなどの情報技術の発達と普及に伴って、より広い範囲で、より手軽に使えるものとなってきている。利用しない手はない、というわけだ。

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