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新型肺炎と日本経済――デフレへの逆戻りは避けられるか? - 中里透 / マクロ経済学・財政運営

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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大が日常生活に与える影響が、現実の大きな問題となりつつある。最近の状況は、ちょうど9年前に起きた出来事、すなわち東日本大震災の発災後の様子を思い起こさせるものだ。日用品の買いだめと品不足、各種イベントやスポーツ大会の開催中止、通勤・通学の困難化、サプライチェーン(供給網)の寸断による生産活動への影響の懸念など、震災後と現在の状況には共通点が多い。

福島第一原子力発電所の事故と同様に刻々と状況が変化し、収束の見通しが立たないことや、不安の原因となっているのが目に見えないもの(放射能汚染とウイルス感染)であることも、不安を増幅させる要因となっている。このところ、感染の防止とは直接的な関係のない商品(トイレットペーパー、紙おむつなど)についてまで買いだめの動きが広がっているが、これは新型肺炎の問題が、感染症としての実際のリスクの域を超えて社会不安の原因となりつつあることの表れであろう。

こうした中、株価が大幅に下落し(2月後半の日経平均株価の下落幅は2千円を超え、下落率は10%超)、1-3月期のGDPが2期連続のマイナス成長となるのではないかとの声も聞かれるなど、新型肺炎の問題が経済に与える影響についての不安も急速に高まっている。中には不安を煽るような報道もみられるが、いま求められるのは「スタグフレーション」といったことを持ち出して不安を増幅させることではなく、一歩引いた視点から冷静に事態の進行をながめていくことであろう。この点からすると、経済に大きな影響をもたらした過去の災害の事例を参照することが役に立つ。

そこで、本稿では東日本大震災の発災後の経過を振り返りつつ、日本経済の先行きについて考えてみることとしたい。なお、以下では新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のことを「新型肺炎」と表記することとする。

1.新型肺炎と東日本大震災

災害のショックと増税のショックの比較

議論の出発点として、まず足元の経済の状況について確認しておくこととしよう。新型肺炎の感染拡大は、景気に対して当面大きな下押しの圧力をもたらすものと見込まれるが、留意すべきことは、世界経済の減速と消費増税後の消費の大幅な落ち込みによって、足元の景気がすでに7年前(2013年の前半)の水準に逆戻りしてしまっているということだ。新型肺炎の問題によってさらに下押しの圧力がかかるということは、一時的には景気が東日本大震災の発災直後の水準まで落ち込む可能性があるということを意味している。

もっとも、このタイプのショックについては、生産設備の大幅な毀損や雇用の喪失が生じない限り、問題が収束すると速やかに回復に向けた動きが生じることが一般的である。というのは、問題が生じていた期間中に繰り延べられた需要が顕在化したり、復旧に向けた作業に伴う新たな需要が生じることで生産も回復に向かうからだ。これを東日本大震災(2011年3月11日に本震発生)の発災後の経過についてみると(図表1)、景気動向指数(内閣府)のCI一致指数(景気の現状を表す指標)は、震災の発生後、半年程度で元の水準に戻っていることがわかる(GDPなどその他の指標については後述する)。SARSの流行が懸念された2003年の局面では、4月に低下がみられものの、5月にはすぐに元の水準に戻っている。

図表1 景気動向指数の推移

(資料出所)景気動向指数(内閣府)より作成

これらは2014年4月に実施された消費税率引き上げ(5%から8%へ)の後の状況と比べると対照的な動きだ。もちろん、実際の景気の動きはこれらのショックだけではなく、海外経済の動向など他の要因からも影響を受けることになる。以下ではこの点を踏まえて、東日本大震災の発災後の状況についてみてみることとしよう。

なぜSARSではなく東日本大震災なのか?

新型コロナウイルス感染症が経済に与える影響については、2003年に起きたSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生時のことが参照されることが多い。だが、SARSについては日本国内での感染者数が0名であり(国立感染症研究所によれば、国内医療機関から2003年6月末の時点で疑い例52例、可能性症16例の症例が報告されていたが、SARSであるとの確認例は0であったことが報告されている)、日本経済への影響は、SARSの流行がみられたアジア各国との財・サービスの取引や訪日客の減少などを通じた間接的なものにとどまっていた(しかも、インバウンドが日本経済に与える影響は最近のように大きなものではなかった)。

03年の春には景気に足踏みがみられ、株価も軟調に推移していたが、当時はりそな銀行の経営問題が景気の重しとなっており、同行に対する公的資金の注入の方針が固まると、その直後から株価は上昇に転じたことにも留意が必要である(SARSの感染者数(各国・地域計)は5月中も増加を続けており、WHOによるSARSの終息宣言がなされたのは7月5日)。

現時点における新型コロナウイルス感染症の状況は、国内での感染例が多数(3月2日正午の時点で239例)にのぼるなど、すでにSARSの時をはるかに超えており、経済に対する影響の広がりという点からすると、SARSよりも東日本大震災の局面を参照することが有益である。以下ではこの観点から東日本大震災の発災後の経過を振り返る。

経済活動にどのような影響が生じるか?

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、地震と津波による被害の生じた被災地以外の地域にも大きな影響をもたらした。そのひとつは福島第一原子力発電所の事故などによって電力供給に不安定性が生じ(ピーク時の最大電力量の不足)、これに伴う計画停電の実施やその後の節電の動きによって日常生活と経済活動に大きな影響が生じたことである。

発災直後から秋口にかけて、電力供給の制約から電車の運転本数の削減が行われ、首都圏を中心に通勤・通学の足に大きな影響が出た(JR西日本においても鉄道部品の調達に困難が生じ、一部の線区を除く在来線で4月から運転本数の削減が実施されるなど、東北地方・関東地方以外でも平常運転に支障が生じたところがある)。また、プロ野球において開幕時期の延期、東京電力・東北電力管内以外の地域の球場への開催場所の変更やナイターでの開催自粛(デーゲームへの振り替え)がなされるなど、スポーツや各種イベントの中止や予定変更が行われた。

今回の新型肺炎への対応においては、電力供給の制約はもちろん生じないが、感染拡大防止の観点から時差出勤やテレワークへの移行、小中学校、高校、特別支援学校の臨時休校、スポーツや各種イベントの中止などの措置がとられており、人の移動や活動に大きな制約が生じているという点では、東日本大震災の発災後と同様の状況が生じている。このような状況が生産活動あるいはより広く景気の動向にどのような影響を与えるかがひとつの注目点ということになる。

東日本大震災がもたらしたもうひとつの影響は、東北地方と首都圏を中心に、日用品の買いだめと品不足が生じたことである。このような動きが生じた品目は多岐にわたるが、代表的なものとしてはコメ、ガソリン、ティッシュペーパーなどがあげられる。今回の新型肺炎についてはマスク、消毒液、ハンドソープなどが店頭において品薄や欠品になっている。このような品不足が物価にどのような影響を与えるかということが、もうひとつの注目点ということになる。

さらに、中国からの輸入の途絶などによるサプライチェーン(供給網)の寸断が生産活動にどのような影響与えるかということも注目されるが、この点についてはどのような動きが生じるか現時点で見極めることが難しいことから、ここでは上記の2点について検討することとしたい(マスクの供給不足も中国からの輸入の減少によって生じている面があるが、この点については日用品の動きに含めて観察することが可能である)。

景気に与える影響は?

今回の新型肺炎の感染拡大が経済に与える影響の大きさは、感染の広がりや収束までの期間に依存する。新型肺炎をめぐる状況は刻々と変化しており、その動きは2月最終週以降さらに見通しにくい状況となりつつあるため、その経済的影響の大きさを定量的に把握することには困難が伴うが、感染の拡大の終息が見通せる状況になった後に景気がどのように推移するかについては、過去の災害などの例をもとに推し量ることが可能である。

結論を先にいえば、災害によって生じたショックについては、生産設備の大幅な毀損や雇用の喪失がなければ、問題が終息すると速やかに元の水準を回復する動きが生じることが一般的であり、3か月ないし6か月程度でほぼ元の状態に戻ることが見込まれる。経済活動に大きな混乱をもたらした東日本大震災においても、発災からおおむね半年で従来の水準を相当程度取り戻すことができている。以下ではこの点についてデータをもとに確認することとしよう。

東日本大震災の影響を大きく受けた東北地方と関東地方について、景気ウォッチャー調査(内閣府)の地域別指数をもとに景況感(現状判断DI)の推移をみると(図表2)、震災の起きた2011年3月に指数が大きく落ち込んだ後、速やかに改善に向かい、東北地方、関東地方いずれについても6月に震災前(11年2月)の水準を取り戻している。ここにあるのは変化の方向性を示す指数であるが、景気の水準を示す指数についてみても、両地域においていずれも7月にはほぼ震災前の水準を回復している。

図表2 景気の現状判断(方向性・季節調整値)

(資料出所)景気ウォッチャー調査(内閣府)より作成

地域別鉱工業指数(経済産業省)をもとに製造業の生産活動の水準をみても、震災後、両地域において順調な回復がみられるが、半年を経過した時点では震災前よりも1割程度低い水準にとどまっている。これは景気ウォッチャー調査の企業動向関連の指数において、製造業にやや出遅れ感があることとも整合的である。

このように製造業の生産の回復にはやや遅れがみられるものの、震災の影響を大きく受けた東北地方と関東地方のいずれにおいても、震災から3か月ないし半年後には震災前に近い水準まで景気が回復しており、災害による景気の下押しが継続する状況は生じていないことがわかる(ただし、発災後に生じた生産の低下分を従来の水準に上積みする形で回復が生じているとまではいえないから、期間を通してみた場合にその分だけ逸失が生じていることには留意が必要である)。

こうしたもとで全国の状況をみると、実質GDPの成長率は13年1-3月期と4-6月期に2期連続のマイナス成長となった後(それぞれ前期比年率換算▲5.5%、▲2.6%)、7-9月期には2ケタの成長となり(10.4%)、実質GDPは震災前(12年10-12月期)の495.1兆円を上回る水準(497.1兆円)に到達している。このように、災害の発生から半年程度で経済の活動水準が元の水準に戻っていることは、景気動向指数のCI一致指数(景気の現状の水準を表す指数)の動きからも確認できる(前掲図表1)。

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