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教育についての「いつもと同じ話」

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 ある媒体に教育論を寄稿した。あまり人目に触れることのないマイナーな媒体なので、ブログに採録しておく。

 そちらの編集部から教育について寄稿をお願いされたので、「いつも同じ話をしているので、改めて書き下ろすようなことがありません」とお断りしたら、「ありものの使い回しでもいいです」ということだったので引き受けた。でも、さすがに「ありものの使い回し」で原稿料頂くのは良心が咎めて、結局全部書き下ろしてしまった・・・でも、書いている人間は同一人物なので、中身は「いつもと同じ話」である。 

 教育についての個人的意見を記す。

 もう20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えている。20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えなければならないのは、私の主張が同時代日本人の同意を得ることができないからである。だから、以下に私が書くのは「日本社会のマジョリティによって受け容れられていない主張」である。

 私が言い続けてきたのは

(1)学校教育をビジネスの言葉づかいで論じてはならない

(2)学校教育の受益者は集団全体である

 という二点に尽くされる。

 それが日本社会のマジリティによって拒絶されているのは、「学校教育はビジネスの言葉づかいで論じられるべきである」と「学校教育の受益者は個人である」ということがひろく常識とされているからである。常識を覆さなければならないのであるから以下の話はいきおいくどく、長く、わかりにくいものになる。その点をご容赦願いたい。

 最初に学校教育をビジネスの言葉づかいで論じることの弊害について述べる。

「マーケット」とか「ニーズ」とか「費用対効果」とか「組織マネジメント」とか「工程管理」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう経営工学的な用語が教育についての論に繰り返し登場するようになったのは、90年代の半ばからである。歴史的に言えば、91年の「大学設置基準の大綱化」が起点となった。

 もう30年も前の教育行政の転換のことだから、若い人は何のことだか分からないだろう。まずそこから説明を始める。

「大綱化」というのは要するに「大枠だけ決めておくから、細かいところは、それぞれの大学で勝手にやってください」ということである。それがどうして「一大転換」であるかと言うと、それまで文部省は大学について、校地面積や教員数や教育プログラムについて、「箸の上げ下ろし」まで小うるさく規定していたからである。これは「護送船団方式」と呼ばれた。文部省が「戦艦隊」で、それに守られて、非武装の船舶である大学がしずしずと航海する・・・というイメージである。護送されている船舶には航路を選択したり、速度を変えたりする自由はないが、撃沈されるリスクは減ずる。

 それが変わった。戦艦がもう護送任務を行わないと宣言したのである。「これからは各自で好きな航路で進んでくれ」と告げて、船団を離れたのである。これから大学はそれぞれで教育プログラムを自由に決めてよい。もううるさい口出しはしない。その代わり、その個性的な教育プログラムが評価されず、志願者が激減して、大学が潰れても文部省は与り知らない、と。というこの方針もその後なし崩し的に転換されて、今の文科省(2001年から名前が変わった)が「口は出すが、責任は取らない」という「ないほうがまし」な省庁に劣化したことはご案内の通りであるが、それでも91年に最初の転換点があったという歴史的事実に変わりはない。

 どうして文部省がそのような劇的転換を図ったかというと、18歳人口の減少が始まったからである。大学数と大学定員は18歳人口の増大と進学率の上昇を追い風に増大し続けた。しかし、少子化でその勢いが止まった。市場がシュリンクすれば会社は倒産する。明治以来、教育行政の本務は「国民の就学機会を最大化する」ことであった学校数を増やしていれば誰からも文句が出なかった。それが「学校を減らす」という前代未聞のタスクを負託された。「増やす理屈」は熟知しているけれど、「減らす理屈」を文部官僚は知らなかった。困り果てた文部省がすがりついたのが「市場に丸投げ=自己責任論」であった

 護送を失って自由航行を始めた船舶のどれが生き残り、どれが沈没するかは一つ一つの船の自己責任である。大学の教学プログラムの適否はこれからは文科省ではなく「市場」が判断する、と。このとき、学校教育への市場原理の導入が公的に認知されたのである。

 大学は「企業」に擬された。志願者は「顧客」で、教育事業は「商品」である。だから、顧客満足度の高い商品を開発し、提供できた企業は生き延びる。それができない企業は潰れる。シンプルな話だ。

 だが、ここにはそれ以上に重大な教育についての発想の転換が含まれていた。

 それまでは「どういう教育が『善きもの』か」という原理的な議論が存在した(戦時中の軍国主義教育も、戦後の民主主義教育も、「学校はどのような国民を育てるべきか」というところから話が始まった)。それが「どういう学校が選ばれるか」という話に変わったのである。

 これからは「売れる商品」が「よい商品」だとルールが変更されたのである。仮に学校が「ジャンクな商品」を提供しても、志願者たちが「欲しい」と言えば、その選択に余人は容喙すべきではない。現に、市場ではカスな商品が好感されて、質の高い商品が見向きもされないというようなことは日常茶飯事である。だから、これからは子どもたち(と保護者たち)は学校にいったい何を望んでいるか? それが最優先の問いとなる

 だが、子どもたちが消費者気分で学校教育の場に登場すると、学校教育のあり方は一変する。というのは、もし単位や卒業証書や資格が「商品」であるならば、子どもたちがそのために差し出す「代価」には親が負担する学費だけではなく、彼らの学習努力も含まれるからである。「教育サービス・教育がもたらす利得=商品」ならば「学費・学習努力=代価」となる。これは論理の経済が導く結論である。そして、もしそうだとすると、親たちは同じ教育商品を提供する学校が複数あれば、その中で最も学費の安いところを選択するだろうし、同じ理由で、子どもたちは親が選んだその学校を最少の学習努力で卒業しようとするだろう。というのは最も安い代価で求める商品を手に入れることは消費者の権利であるだけでなく、消費者の義務でもあるからである。ここに教育をビジネスの言葉づかいで論じることの根本的なアポリアが存在する。

 ここで言う「学習努力」には勉強だけでなく、教員に敬意を表したり、校則を守ったり、級友たちと適切なコミュニケーションを行うなどの「学習環境を整える」すべての努力が含まれる。だから、消費者として学校教育の場に登場する子どもたちが学習努力を最少に抑制しようとすると、まじめに授業を聴き、教師に敬意を表し、校則を守り、級友たちと穏やかな友情を結び、親密なコミュニケーションを立ち上げるインセンティブは損なわれる。

 もちろん、子どもたちも学校教育がそれなりに「価値あるもの」であることは分かっている。でも、消費者として喫緊の問題は、それをどうやって最少の学習努力=貨幣で手に入れるかなのである。書店に行ったら、『3カ月でTOEICのスコアが100点上がる』という英語の参考書があったとする。買おうとしたら横に『1カ月で100点上がる』という本があった。当然、こちらに手を伸ばす。すると、そのさらに横に『1週間で100点上がる』という本があった。おお、これを買うしかないぜと思ったら、その横に『何もしないで100点上がる』という本があった・・・この本を「選ばないロジック」を消費者は持っていない。同じ結果であれば、最少の学習努力でそれを達することを子どもたちは文字通り強いられているからである。

 同じことを学校も実はしているのである。最近「1年間留学必須」という大学をよく見かける。これは大学にとっては「おいしい」話である。学納金から留学先の授業料を引いた分が大学に入る。何も教育活動をしないで金が入ってくるのである。人件費も光熱費もトイレットペーパーの消費量も、校舎の損耗も25%カットできる。するとそのうち「2年間留学させたらどうか」ということを言い出す人間が出て来る。それなら経費の50%がカットできる。これはよいアイディアだ。すると、それを聞いた誰かが「どうです、いっそ4年間留学させたら」と言い出す。そうしたら、もうキャンパスも要らない、教職員も要らない、コストゼロで大学が経営できるじゃないですか!

 そうなのである。教育機関の利益は教育経費を削減するほどに増大する理論的には、いかなる教育活動もせず授業料だけ取る時に大学の利益は最大化する。だから、ビジネスマンが大学を経営すると「どうやって教育活動に要するコストを最少化するか」を優先的に配慮するようになるのは理の当然なのである。彼らにとってそれが合理的なのである。しかし、「できるだけ教育活動をしたくない」という人間は教育活動には不向きであるということは誰にでも分かるはずだ。

 2003年の小泉政権時代に特区で認可された「株式会社立大学」というのものがあった。市場の仕組みを熟知しているビジネスマンたちに大学開設の機会を与えたものであった。いざ蓋を開けてみたら、学生はぜんぜん集まらず、株式会社立大学はばたばたと倒産した。

 当然だと思う。倒産は「いかに教育活動をしないで学生たちから金を集めるか」に知恵を傾注したことの論理的帰結だったのであるが、その理路がこの実務家たちには理解できなかったのである。 

 市場原理を学校教育に適用すれば、学校はできるだけ教育をせず、子どもたちはできるだけ勉強しないように努力するようになる。よい悪いではなく、「そういうもの」なのである。

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