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「不安」の季節を生きのびて

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大学の1年生を、じつは2回やった。理由は、成績不良である。理系の学部に入学したが、教養課程の理系の授業で落ちこぼれたのだ。成績表には、「不可」がいくつも並んだ。

前期後期を平均すると、かろうじて進級できない点数ではなかった。だが、わたしの入った大学では入学後も成績競争があって、良い点数を取らないと希望する学科に進学できない。「不可」のついた科目は再履修が可能で、そこで挽回すれば、平均点を上げることができる。

わたしは点数を計算し、1年生を2回やって再履修科目の試験に成功すれば、なんとか第一志望の学科に進めると踏んだ。そして、まだ4月の最初だったと思うが、教務課にいって留年の手続きを出した。自宅生で親のスネカジリで暮らしていたくせに、親に相談もしなかった。今考えると、ずいぶん身勝手な若者である。

18歳で大学に入ったのだが、だから20歳の誕生日を迎えたときも、まだ二度目の大学1年生だったことになる。その晩秋の成人の誕生日を過ぎて、少ししてから、わたしは次第にひどい精神的なスランプ状態に陥ることになった。ときおり、強い不安感情に発作的に襲われるのである。その不安とは、

「自分は精神病になるのではないか」

という恐れの感情だった。

精神の病にはいろいろな種類があるが、たとえば統合失調症(当時は精神分裂病とよばれていた)は、人口の1%近くがかかる、かなり発現率の高い病気である。そして、10代から20代の若い時期に、発病することが多い。論理的・抽象的な思考力のある知的な人も、なりうる。いったん発病すると、治りにくい。

わたしは心理学や精神医学の本をいろいろ読んで、自分はそのリスクが、かなり高いと感じた。今は正常に見えても、いつ発病するか分からない。発病すれば、最後は人格崩壊に至る。それは非常な恐怖だった。

自分はもともと、人から「多少変わっている」と思われてきたらしい。「らしい」と書いたが、まあ、事実そうであることは認めよう。ただ病的なほど変わっているかどうかは、自分ではわからない。そもそも、精神病というのは病識がない(自分が病気であることが自覚できない)点に特徴がある、といわれている。

だったら、医者に行って診察してもらえばいいじゃないか、という意見もあるだろう。だが、それはなかなかできなかった。一つには、断定的な診断が難しい、という問題がある。血液検査か何かで、「あなたは分裂病ですね」と分かるような簡単なテストは存在しない。また、現時点では正常でも、将来は発病しない保証にはならない。

それに、医者に行って白黒はっきりさせる、というのは、それ自体が不安であった。なにせ根が臆病なのである。そもそも、心配性で、怖がりな性格なのだ。もっと豪胆な性質に生まれついていたら良かったのに、と思うことも多々あった。

心理学や精神医学の本を読み漁ることは、かえってその不安をかきたてる事になっていた。だが、不安なので、やめられない。まるきり悪循環である。いったん不安の発作がはじまると、しばらくは何も手がつけられず、じっとうずくまるような状態になる。年が明けて春くらいまでの間、孤独で、非常に不安定だった。留年したのでクラスに友達もほとんどいない。親にも相談できなかった。若いうちは、妙な見栄があるのか、重大なことはかえって親に相談できないのだった。

そうした時期は、自分には、いつ果てるもなく続くと思われた。少なくとも、かれこれ4ヶ月は続いたろうか。ただ、ある時期、わたしは森田療法の本に出会い、それを読んで、少しだけ楽になったような気がした。

森田療法』というのは、慈恵医科大学の森田正馬教授が、いまから100年前の1919年に編み出した方法である。不安神経症のような、不安の強い状態に苦しむ患者たちを助ける手法で、東洋思想的な、日本独自の療法とも言える。古い療法だが、今も用いられている。

森田療法では、不安をとりのぞこうという、「はからい」をやめよ、と説く。そして、不安な気持ちを「あるがまま」として、生きることを目指す。人間の心は、ある事柄に注意を向けようとすると、それを増強する働きがある。だから、不安は不安として「気にしておく」態度をとる。不安があることを前提として、毎日の生活を生きようと言うのである。

また、人間が不安を感じる根底には、その人がより良く生きたいという、「生の欲望」がある、とポジティブに捉える。より良く生きたいと願う限り、人は不安をまったく捨てることはできない。だから、不安を邪魔者として「コントロール」しようとする代わりに、共存し、ただ自分にマイナスの害を及ぼさないようにすべきだ、といった思想がベースになっている。

わたしは専門家ではないので、あるいは正確ではないかもしれないが、森田療法では行動を通じた働きかけを重んじる。本で読んだ例では、あるとき、森田教授のもとに、重症のノイローゼに陥った青年がやってくる。その重い症状の辛さを縷々と語り、勉強も何も手につかないと訴える青年に、森田教授はまず、「来週に予定されている入学試験を受けてこい」と命ずる。青年は、言われてやむなく、試験を受けに行く。すると、なぜか幸運にも合格してしまう。

晴れて大学生になった彼は、あらためて森田博士のもとに来て感謝し、弟子入りして、やがて高弟になっていくのだが、彼の症状の基にあったのは、進学ないし将来への不安だったのだろう。だが森田博士は彼に、じっとしてその不安を直視する代わりに、具体的な行動を命ずる。それが、彼の注意を、自分の感情ではなく、具体的な外部の物事に向けたのだ。

他に、たとえば「自分の部屋を掃除する」といったことも、森田療法ではよく指導するらしい。掃除という具体的な行動と、その結果として生まれる、少し整頓されきれいになった生活環境が、不安の症状を緩和する。不安はなくなりはしない。だが、不安を感じながらも、自分に必要な行動をとることができる。そういう経験を作り出すのだ。

森田療法については、森田博士の著書をはじめ、丁寧な解説書がいくつも出ているので、素人のわたしがここで、これ以上解説することは控えよう。ただ、わたしが自分流に理解したのは、こういうことだ:表面的な不安の背景には、もっと根源的な問題への不安がある。それは生への不安である。その感情ないし心的エネルギーが、はけ口を求めて、わかりやすい対象に固着する。

自分の場合は、それが、「精神病への恐怖」だった。とはいえ、その根底にあったのは、明らかに留年して空回りしている、自分の生き方への焦りだった。学業も、サークルも、すべてがうまくいっていなかった。なのに、意識ではそれを認めようとしなかった。その心的エネルギーが選んだ出口が、病への不安発作だった。そして不安を打ち消そうともがくことで、ますます蟻地獄のような砂の深みにはまり込んだのだ。

別の心理学者は、こんなたとえを出している。新幹線の車両と車両の間には、自動ドアがついていて、ドアの前後のステップに体重を乗せると、開くようになっている。そして通り過ぎると、自動的に閉まる。だが、ときおり、ドアを開けて入ったあと、後ろを向いて、わざわざドアを閉めようと努力する人がいる。でも自分がステップの上に立っているので、自動ドアは決して閉まらない。

後ろを振り向かずに、さっさと行ってしまえば、ドアは自動的にしまる。だが、わざわざ自分で閉めようとすると、閉まらなくなる。感情のメカニズムも、これと同じだというのだ。

感情というものは、一旦生じて高まっても、自然な流れに任せておくと、弧を描くように数分から数十分の間に静まっていく。しかし、それを無理に避けようと注意を向けたり、押さえつけようとすると、かえって強まってしまう。ちょうど、意識して眠ろうとすると、かえって眠れなくなるのと同じだ。

わたし達の不安や悩みの多くは、自分がコントロールできない事を、何とかしようと、必死にもがくために生じる。人間関係とかの悩みは多いが、他人はなかなかコントロールできない。当然だろう。親でさえ、自分の子をコントロールなどできないのだ(自分と親の関係を思い出せばわかる)。まして赤の他人を、自分の望むように動かせるだろうか。

自分の感情もまた、実はうまくコントロールできないものの例だろう。不安感情は、思考によって注意を向けると、かえって思考との間に一種のハウリング現象を起こして、増幅されがちだ。

ふつう、人間は、思考→行動→感情→思考、というサイクルの中にいる。考えた結果が行いになり、行いの結果生じる事態に感情を抱く。そして感情は思考を方向づける。だから何か恐れを抱くような物事があっても、「気にしておく」だけにして、行動を変えることが、遠回りに見えても必要なのだ。

わたしの場合、最終的に4月になり、2年生の新しい課業のサイクルがはじまって、次第に不安の発作に囚われることが少なくなった。サークルにも後輩たちが入ってくるようになった。そうなると忙しくなる。次第に自分の中で空回りしている暇がなくなった。

ちょうどその時期だったと思うが、年に数回通う、かかりつけの内科(内分泌科)の医師のところに、受診に行った。診察の後、思い切って、自分はこれこれの不安にとらわれて、数ヶ月間つらい思いをしてきた、と相談してみた。すると、その医師(日比先生という方だった)は、わたしの目をじっと見てから、優しくこうおっしゃった。

「佐藤さん。本当に精神病の患者の人は、もっと迫力が違いますよ。」

こう言われたことが自分にどれほど救いだったか、多分、はたの人には分からないだろう。別に、何かを保証してくれたわけではない。それでも、専門家の言葉や見立てには、裏付けのある重みが感じられるのだ。かくしてわたしは、実験に忙しい理系の学生の日常に戻っていった。

さて、わたしのささやかな(しかも、いささか恥ずかしい)体験をふりかえり、何か教訓をまとめてみよう。漠然とした不安を感じたり、特定の事態(病など)を恐れたりして、それで自分の平常な生活がおびやかされる時は、三つのことを守る方がいいように思う。

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