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これが法解釈の限界なのか?~音楽教室 vs JASRAC 東京地裁判決に接して

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2017年に紛争が表面化し、以来、足掛け2年以上にわたって争われてきた「音楽教室に対する著作権使用料請求が認められるかどうか?」という問題。

当事者間の協議が平行線をたどったまま、JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)側が、「音楽教室における演奏等」にかかる使用料規程の新設を強行しようとする動きの中、音楽教室側(「音楽教室を守る会」の会員251社)が著作権侵害に基づく損害賠償請求権又は不当利得返還請求権の不存在確認を求めて訴えを提起する、という異例の展開を幕を開けたこの事件も、ようやく第一審判決の日を迎えることとなった。

結果は、原告の請求棄却、すなわち、JASRAC側の著作権に基づく各請求権は否定されない、という結論になったのだが、即日「守る会」のWebサイトにアップされた判決文*1を読んで、どうしても割り切れないモヤモヤした気持ちが沸き上がってしまったこともあり、裁判所のWebサイトにアップされるのを待つことなく*2、ちょっとしたメモを書き残しておくことにしたい。

東京地判令和2年2月28日(H29(ワ)20502号、25300号)*3

この事件、まず一見して驚かされるのは、請求の趣旨の細やかさである。

別紙として請求目録が付されているのだが(75頁以降)、主位的請求だけで、大きく分けて①「録音物の再生を行わないレッスンでの使用」②「市販のCD等の録音物の再生を行うレッスンでの使用」③「マイナスワンの再生*4を行うレッスンでの使用」、④「生徒の居宅において1対1で行う個人教室のレッスンでの使用」の4つの態様に分けて請求が立てられているし、①~③については、さらに、

教師と複数名(10名程度以下)の生徒との間でレッスンを行う場合
・教師と生徒が1対1でレッスンを行う場合
・楽曲を一曲通して再生演奏する場合
・楽曲を一曲通して再生演奏しない場合

と場合分けをして請求を特定する、というやり方がとられている(結果、①~③については12パターン、④については、一曲通して再生演奏するかどうかで2パターンの利用態様について請求が立てられており、全部で14パターンの態様について確認請求がなされている)。

また、これに続いてさらに予備的請求までたてられており、そこでは「連続して3小節以上」か、それとも「連続して2小節以内」か、演奏するのは教師か生徒か、という、これまた緻密な場合分けがなされている。

ここには、仮に不存在確認請求が100%認められなくても、音楽著作物の演奏権が及ばないと評価される利用態様を一部であっても認めさせることで、JASRACお得意の”ざっくりとした網掛け”から少しでも多くの音楽教室を抜け出させる、あるいは、今後の各音楽教室の負担を少しでも軽くする方法を考えるためのヒントにする、という意図を見てとることができ、本件訴訟は、空気に押されて泣く泣く使用料を支払うユーザーも多い中で、自ら主導して積極果敢にルールを作ろうとする高度な戦術的訴訟、ということができる。

それだけに、単なる勝敗を超えたところで裁判所がどういう判断を示すか、という点が関係者の大きな関心事になっていたと思うのだが、東京地裁の下した結論はそのような期待を大きく裏切るものだった。

最初の争点(「確認の利益の有無」)以外は、全てJASRAC側の主張を丸のみするような形になった今回の判断を、以下でより細かく見ていくことにする。

1.音楽教室における演奏が「公衆」に対するものであるか? /演奏が「聞かせることを目的」とするものであるか?

これらの争点、特に「公衆」に対するものかどうか、という点は、以下の著作権法22条に基づき、音楽教室側の利用態様が支分権(演奏権)に該当するかどうかを判断する上で、いわば主戦場となるポイントであり、立法経緯に始まって、利用主体性、不特定性・多数性、さらには支分権の本質にかかわるところまで、双方が激しい主張を繰り広げたことがうかがえる状況になっている。

(上演権及び演奏権)
第22条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。

このうち、立法経緯に関しては、昭和40年著作権制度審議会第1小委員会審議結果報告、昭和41年4月の著作権制度審議会答申等までは、「(学校教育だけでなく)社会教育の過程における使用については、原則として自由利用を認めるのが相当」となってはいたものの、同年10月の試案、昭和43年の現行法案に至る過程で、「(民間事業者の運営にかかる)音楽教室」のようなタイプのものに関しては「自由利用」が保障される対象からすっぽりと抜けてしまったところがあるように思われ*5、原告がこれだけに依拠するのはちょっと難しい面があったかもしれない。

また、利用主体性については、物理的行為主体(とその主体が行っている行為の違法性の有無)にまず着目すべき、という原告の主張と、当然ながら規範的利用主体論を展開する被告の主張のいずれが採用されるか、というところが注目されていたのだが、裁判所は、

「音楽教室で利用される音楽著作物の利用主体については、単に個々の教室における演奏の主体を物理的・自然的に観察するのみではなく、音楽教育事業の実態を踏まえ、その社会的、経済的側面も含めて総合的かつ規範的に判断されるべきであると考えられる」(51頁)

と、冒頭から規範的利用主体論を展開。

その結果、ユーザー側にしてみると非常に忌まわしいクラブキャッツアイ事件判決&ロクラクⅡ事件判決が参照され、

「原告らの音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用への関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当である。」(52頁)

という規範の下で判断が下されることになった。

本判決においては、「音楽教室が演奏権を侵害している」という結論をストレートに導くための理屈として、規範的利用主体論が使われているような雰囲気もあるし、それゆえに判決の認定判断も、ややもすると強引な書きぶりに見受けられるところも散見される。

だから、議論されている支分権との関係で何が「枢要な行為」か、という点については、おそらく今後様々な議論が飛び交うことだろう。

ただ、ロクラクⅡ事件に関して最高裁があそこまで徹底した判決を書いている、という現実、そして、少なくとも音楽教室の教師の演奏行為については、”規範的”に利用主体を認定しなくても「音楽教室による演奏行為」と見ざるを得ないように思われることを考えると、この判旨が結論に与えるインパクトも「半分」くらいに過ぎないかな、と個人的には思っている*6

また、原告は、これに続けて、音楽教室における演奏は「特定かつ少数」の者に向けられているに過ぎない、という趣旨の主張もしているのだが、音楽教室が申し込めば誰でも(JASRACの調査員でも)入れるものである以上、これまでの裁判例に照らせば「不特定」と言わざるを得ないように思われるし、音楽教室が利用主体である、と判断された時点で、「多数」性を否定することも難しくなるから、結果としてここでも敗北。

一方、音楽教室における演奏が「聞かせることを目的」とするものであるか、という原告の争点設定と主張は、これまでにあまり例を見ないものだったように思うし、昨今の著作権法をめぐる議論に照らしても、注目すべきポイントだと自分は思っていた。

「『聞かせることを目的』とする著作権法22条の解釈に当たっては、実質的に権利を及ぼすべき利用であるか否かを判断するために、著作物に表現された思想又は感情の享受を目的とする利用態様であるかどうかを考慮するべきである。」(40頁)
当然ながらここでは、2018年の著作権法改正で導入されたばかりの包括的権利制限規定、法30条の4号が引用されている。
「著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」

被告が反論するとおり、ここでの「自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない」という要件は、あくまで権利制限規定における要件に過ぎないのだが、その前提となっているのは、「著作権の行使が許されるのは『表現された思想又は感情を享受する場合』に限られるべき」という思想だし、それは先般の改正に際して新たに生まれたわけではなく、従前から存在していたものを”確認”した結果、言語化され、明文化されたものだったはずである。

裁判所はここでも冷淡に、

「『聞かせることを目的』とする要件は、家庭内での演奏など、公衆が存在せず、外形的・客観的にみて公衆に聞かせる目的があるとは考えられない状況下での演奏等を除外する趣旨で設けられたものと解するのが相当である。このため、『聞かせることを目的』とするかどうかは、外形的・客観的にみて公衆に聞かせる目的意思が存在するかどうかにより決するのが相当である。」(64~65頁)

とし、著作権法22条の文言にない制限を付加したり、演奏者の主観的意図に踏み込んで判断しなければ演奏権侵害の有無の判断ができないこととなるのは相当でない、とするのであるが、「享受させることを目的とする演奏」かどうかの判断は、外形的・客観的に行うことも十分可能であるはずで、30条の4との比較を「目的、趣旨、規律内容を異にする」(67頁)という形式的な理由を挙げてバッサリと切った*7あたりなどは、かなり物足りない印象を受ける。

たとえ結論に変わりはなくても、利用主体性の認定を「規範的」に行いながら、「聞かせる」という文言の解釈については文理解釈に拘泥する、ということへの違和感が、控訴審で解消されることを願っている。

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