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ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか

 こんなタイトルのエントリを書くというのは、正直、悩ましい。

 というのも、ぼくは社会学の正規教育は受けておらず、自分が社会学者だとはちょっと名乗れないからだ(制度的な理由で学位は「法学」だ)。

 とはいえ、社会学部に勤務しているのは確かだし、社会学的なものに親しみもある。以下の文章は、あくまでそういう中途半端な立ち位置から書かれた「個人の感想」だということをまずは述べておきたい。

 ネット上での社会学の評判はよくない。大変によくない。

 実のところ、ネット上で積極的に発言をしている社会学者の数はさほど多くないと思うのだが、通常は社会学者だとはカテゴライズされない人も、「政治社会に関する発言をしており、かつ多くの人びとから反発を買っている人文社会系の学者」は「社会学者」とみなされてしまうことが結構ある。

 それではなぜ、ネット上で社会学者はこんなにも嫌われるのだろうか。

 社会学者が嫌いな人からは当然、「能力が低い」「頭が悪い」からだという反応が返ってくるのではないかと思う。論文の査読制度もろくに機能せず、コネだけで大学に職を得た頭の悪い連中が、本来ならもっと違うところに使われるべき税金を無駄に食いつぶし、社会的に有害な思いつきを垂れ流している、といったところだろうか。

 この評価はもちろん、ぼくが考えたわけではなく、ネットでよくみる意見を大雑把にまとめたものだ。社会学者をこのようにみている人たちは、以下を読んでもたぶん時間の無駄なので、ここでやめることをお勧めする。

 以下では、ネット(とくにツイッター)上で社会学者の評判が悪いことについて、「能力が低い」「頭が悪い」以外の理由を考えてみたい。また、ネット上で論争になりがちなテーマ(最近だとジェンダーや性表現)との重複が大きいことや、テレビなどでよく露出する社会学者の問題についても考えないことにする。

 社会学というのはとにかく幅が広い学問だ。産業社会学、政治社会学、地域社会学等々、さまざまなな「〇〇社会学」が存在し、それぞれの研究テーマは大きく異なる。グローバリゼーションやナショナリズムといったマクロなテーマを扱う研究もあれば、個々人の主観や自我などミクロなテーマを扱うものもある。インタビューや参与観察など質的な方法論を用いられることもあれば、統計データを活用する数量的なアプローチがとられることもある。理論系の研究者であれば、きわめて抽象的な問題について思惟することになる。

 とはいえ、それらの研究の多くは、人びとの日常生活ときわめて密接なかかわりを持つことに特徴があると言える。仕事、家事、教育、娯楽、性愛、SNSでのコミュニケーション等々、われわれの日常生活のなかの事象は、そこに繰り返される何らかのパターンがあるならば、たいてい社会学的な探求の対象になりうる。

 言い換えるとそれは、社会学者が個人としていだく主観的な感想と、研究者としての思考との境界が「傍から見ると」分かりづらいということでもある。そしてそのことが、ネット上での社会学の評判を押し下げている一つの要因になっているのではないだろうか。

 これは自然科学者と比較すれば分かりやすいのではないかと思う。自然科学者が政治や社会について何かツイートしたとしても、それは傍目にも「個人の感想」であることがすぐにわかる。

 だから、その人が専門外のことでいくらトンチンカンなことをツイートしようとしても、その人の研究者としての能力は必ずしも棄損しないし(もちろん、やりすぎると研究者としての能力にも疑問はつくと思う)、ましてや学問領域そのものの信頼性は揺るがない。どこかの医師がいくら怪しげな陰謀論を吹聴しようとも、そこから現代医学そのものの評価が下がるということはほとんどないはずだ。

 ところが、社会学の場合はそうではない。社会学者が社会問題について何らかのツイートをした場合、それは一個人としての感想なのか、それとも研究者としての考えなのかが分かりづらいのだ。

 先にも述べたように、一言で社会学といってもその範囲は広く、労働社会学を専門にしている研究者が、教育問題について詳細な知識をもっているとは限らない。だから、社会問題に関するツイートであっても、それは研究者ではなく一個人としての感想である可能性は高い。しかし、傍から見るとそれが分からない。

 加えて、ぼく自身もそうなのだが、個人としての素朴な(それゆえに大して何も考えてない)感想をツイートすることもあれば、専門領域にそれなりに近い内容をツイートすることもある。見方によっては、立場をはっきりさせないままツイートをすることで、個人としての立場と専門家としての立場を都合よく使い分けているとみえるかもしれない。

 このような状況では、社会学者がなにか素っ頓狂なツイートをすると、それが個人としてのツイートなのか研究者としてのツイートなのかが分かりづらいために、研究者としての能力の評価に直結してしまうし、場合によっては学問領域そのものの信頼性にも傷が入ることになりうる。

 つい先日、「コミュニケーションの方法には問題があるが、専門家としての能力は超一流」という人物がネットで話題になったが、社会学者の場合にはそんなことはまず起きないだろう。「コミュニケーション能力が低い→学者としての能力が低い→学問としての価値が低い」という話になってしまう。

 これを踏まえると、学問としての社会学の信頼を守るためのもっともラディカルな方法は、全員がツイッターをやめる、あるいは「社会学者」という肩書でツイートをしないということになるのではないかと思う。言いたいことがあれば論文で書く。ブログについても査読で通ったもののみをネット掲載を許す、ぐらいの徹底が必要かもしれない。

 しかし、それはさすがに無理だし、あまり楽しい方向性だとも思えない。ありうる方向性としては、専門家として発言するときにはそう明示し、それ以外のときには単なる個人の感想や思いつきだということが分かるようにしておく、ぐらいではなかろうか。

 そして、それを受け取る側も、社会学者のものであれ何であれ、研究者のツイッターやブログは単なる感想や思いつきだと受け止めたほうが無難だろう。たとえば、この文章は1時間ぐらいで書いたが、論文を1本書くには通常、数か月から数年の準備が必要になる。したがって、この文章もそういうものとして受け止めてくれると嬉しい。

 もっとも、それだけの時間をかけて論文を書いたとしても、短時間で書いたツイッターやブログを読んでくれる人のほうがはるかに多い多いというのが残念ではある。残念だ…

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