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それは個人の問題ではない、仕組みの問題だ

この社会に対して何か憤りを覚える瞬間があるときに、僕はなるべく「仕組みの問題」として考えるようにしています。


個人ではなく、仕組みが悪い

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photo credit: swanksalot via photo pin cc

ある人が何らかのミスを犯したとき、必ずしもその人にすべての原因があるわけではありません。

例えば、ひとりの若手社員が英語で掛かってきた電話の対応をミスってしまい、お客様を怒らせてしまったとします。

近視眼的に見れば、「英語もまともに話すことができない若手社員」に責任があるように思えますが、より大きな仕組みの目線で見れば、そもそも「電話の窓口が日英一緒になっていること」が問題であることに気付きます。

この場合、案内する電話番号を分ける、発信元を判別して自動的に窓口を振り分ける、などの対策を行っておけば、若手社員がミスをすることはなかったはずです。


個人を糾弾することは簡単で、一見解決策のように思えますが、仕組みに原因がある場合は、同じ問題が再発する可能性があります。

先の例で言えば、ミスを犯した若手社員をクビにしたところで、同様のトラブルは今後も発生する可能性があるでしょう。


よりいっそう俯瞰的に見れば、世の中のほとんどすべての問題は、仕組みの問題とも言えます。「道を歩いていたらガムを踏んでしまった」という些細な問題から、「戦争が起きてしまった」という超巨大な問題まで、「仕組み」に問題の根源を求めることができてしまいます。


そのため、「仕組み」の問題に目を向けられるようになると「罪を憎んで人を憎まず」式の優しさを得ることができるようになります。

例えば生活保護問題でいえば、「生活保護よりも最低賃金が低い」という問題はまさに仕組みの問題でしょう。それを「個人の問題」として捉え「働かないのは甘えだ!」と断罪することは不毛です(たまにツイッターで見かけますが)。受給額より最低賃金の方が低ければ、誰しも働くのを躊躇するはずです。

個人を断罪するよりも、仕組みを変える努力(この場合最低賃金の向上)を行ったほうが何百倍も生産的です。


例えば昨今のいじめ問題も、あまりにも個人に対する糾弾が行き過ぎているように感じます。もっと仕組みの議論はできないものでしょうか。

仕組みが変わらなければ、たとえ事件に関係した教員をクビにし、いじめの加害者を転校させたとしても、同じ問題が起こってしまう可能性があります。


個人を断罪するのは分かりやすく、簡単な行為です。インターネットの衆愚的な側面は、「仕組み」の改善への議論を妨げているようにも感じます。

何か問題を感じたり、誰かを批判したくなった時に「それは個人の問題ではない、仕組みの問題だ」と考えられる人が増えれば、ポジティブな変化が加速していくと僕は考えます。


関連本。例えば触法障害者の問題なども、まさに「仕組み」の話だと思います(書評)。

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累犯障害者 (新潮文庫) posted with ヨメレバ 山本 譲司 新潮社 2009-03 Amazon

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