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ぼくは、平熱のまま熱狂したい 「弱くある贅沢」を守るために - 宮崎智之

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愛犬が可愛くて仕方ない。愛犬を飼って驚いたのが、当たり前のことだけど、ペットには生活のほとんどが自分自身でできないことだった。餌、排泄の処理、散歩などなど、基本的には飼い主まかせ。しかも我が愛犬は通称“ダラけいぬ”であり、最近では仰向けで寝て、挙げ句の果てには毛布に埋まり、広がった両足だけを外に突き出す。

まるで、映画『犬神家の一族』の“スケキヨ”みたいである。いくらなんでも、さすがに油断しすぎだ。こいつ……自然界だったら生きていけるのかな、と心配になる。

もちろん、ペットなんだからそれでオッケーなのだ。野生に戻るなんてことはない。しかし、末っ子として育ったぼくは、ペットを飼うことによって改めてそれを実感し、衝撃を受けたのだった。「生まれてはじめて、自分がいなければ駄目なやつが現れたぞ!」と。

愛犬のすごいところは、徹底的に「弱い」ところだ。人間との歴史によってそうなっていったにせよ、その弱さは衝撃的であり、またたまらなく愛おしいところでもある。犬は賢い動物で、飼い主が元気のないときにはしばしば寄り添ってくれる。愛犬の前では、なぜだか自分の弱い部分を素直に出せる気がする。弱いぼくらは支えあって生きている。

長年、ぼくがずっと考えていることについて書きたいと思う。それは、人間の「弱さ」についてである。この厄介な問題は、ぼくの人生をいつでもどこでも付いてまわり、「弱さ」についての原稿を書こうと思って、深夜に書きあぐねている今もまだ考え続けている。

 

ぼくが気になっている「弱さ」とは、理性や知性で了解したとしても、どうしてもそういうふうに生きたり、行動したりできない人間の愚かさのことである。ぼくに限らず、誰もがそういう「弱さ」を持っていると思う。だから、あらためて書くことではないのかもしれないし、ぼくなんかが書けることではないのかもしれない。ましては、普遍的な言葉をつむぐのが難しい問題でもある。それでも、これについて言葉で表現したい気持ちは常にある。

「弱さ」について考えるとき、こんなことを思い出す。

父が亡くなる直前までぼくに口酸っぱく言っていたのは、「絶対に卑怯なことはするな」ということだった。「自分の保身のために卑怯なことをしなければいけないくらいなら言え。少しくらいの援助はできるように俺もがんばる」とまで言うくらい卑怯が嫌いな人だった。ぼくは、なるべく父の教えを守り生きていきたいと思って大人になった。

しかし、その教えを守るのに、どれだけ信念と努力が必要かまではわかってなかった。

昔の職場で、上司同士がなにかのトラブルで険悪になり、片方の上司がまわりに相手の悪口を言い回った。その上司は発言力のある、いわゆる「声が大きい人」だったため、周囲は悪口を言われている上司を避け始めた。そもそもどっちが悪く、争いの種をまいたのかまではわからない。しかし、客観的に見れば、どう考えても最後は一方的ないじめだったと思う。

ぼくは、相手の上司とも仲が良かったから、いじめには加担せずいつものように接した。だけど、相手に事情を聞いたり、いじめを解決しようとしたり、部長に起こっていることを報告したりはしなかった。相手の上司は、数か月後に会社を辞めていった。

今になってみれば「なんで、あのとき一言……」と、我ながら情けなくなる。だが、当時はまだ20代で社会人になったばかり。職場での立場や当面の生活を考えると、信念を貫き通すことができなかったのだと思う。無意識にぼくもいじめに加担していた。信念と保身を天秤にかけて、前者を選ぶことがぼくにはできなかったのである。

正義を標榜することはたやすい。しかし、正義を貫きとおすのには胆力がいる。信念を掲げても、体が、言葉が、瞬間的にはそう反応しない人間の「弱さ」。観念的な信念は、生活の利害関係と衝突すると脆く崩れ去る。ぼくの人生は、それの繰り返しだ。

結婚についても考える。ぼくは離婚するまで、まさか自分の人生に「離婚」という言葉が登場するとは思ってもいなかった。もともとそんなに上等な家族観を持ち合わせていたわけではないけど、なんとなく結婚したら死ぬまで添い遂げるのが普通だと思っていた。結婚という制度とはそういうものなのだ、と深く考えもせずに信じ込んでいた。

だが、婚姻届を出したからといって「今日から、ぼくは夫です」と社会的な役割や期待を引き受ける……、なんてことにはビックリするほどならなかった。制度はあくまで制度であって、人と人との営みを一つの形態に当てはめたものが結婚という制度に過ぎないからだ。その形態に当てはまらない夫婦だっていくらでもいるし、制度の不足分を補う約束を作ったとしても、そのとおりに心が駆動するとも限らないのである。

たとえば、渡辺ペコの漫画『1122(いいふうふ)』で描かれている「婚外恋愛許可制」について考えてみる。ささいなすれ違いでセックスレスとなった主人公の夫婦は、家庭外での恋愛を許可するルールを作った。はじめのうちは上手く機能し、むしろ夫婦仲は深まったくらいだったが、そのうちその制度は破綻する。人間の「弱さ」を勘案していなかったことが一因だ。二人で話し合い、理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである。

ぼくは、離婚するまで自分が強い人間だと思っていた。どんなことも理性と知性の力で乗り越えられると信じていた。そうできない人は、努力が足りないのだと思っていた。もしかしたら、今でいう自己責任論なんかにも加担するタイプだったかもしれない。

しかし、離婚により心は簡単に崩れ、たくさんの人やものにすがった。その一つがアルコールである。この「魔法の水」の前でも、ぼくは徹底的に弱くて無力な存在だった。

そもそも、父方の家系は大酒飲みが多く、「宮崎家の男は、酒に溺れたら40をまたげない」と、これまた父から耳がタコになるくらい聞かされていた。酒を控え、健康的な生活を心がけていた父も、71歳で亡くなってしまった。にもかかわらずぼくは、二度もアルコール性すい炎で入院するまで、酒を毎日のように飲み続けていた。そんなんだから、とくに離婚してからは、常軌を逸した飲み方をするようになっていった。

ここで厄介なのは、医学的な真偽は置いておくとして、「宮崎家の男は酒を飲み、体を壊す」という父の知見を、ぼくは知っていたということだ。知っていてもなお、アルコールに溺れてしまった。父から子への口伝が駄目だったなら、仮にタイムマシーンがあって、ぼく自身が20歳のぼくを説得しに行ったらどうだろうか。説得できるだろうか。父の言うとおり、アルコール依存症になって体を壊したという情報を伝えても、「まだ大丈夫」「もうちょっと大丈夫」「あと1年だけ飲もう」と“知っていてもなお”を繰り返したように思う。いつの時代も、親は子どもに「勉強しなさい」と言うものだ。

一方、母は「お日様が沈むまでは飲んじゃ駄目」と言っていた。ある日、お日様が沈む前からしこたま飲んでいると先輩から電話があり、実家の前のスナックで合流することになった。おじさんが石原裕次郎を歌っていた。ぼくもなにかを歌った。気づいたら救急車に乗っていて、傍らには母がいた。まさかの「ママからママへ」のバトントスが行われていたのだ。

若い救急隊員が、「お兄さん、なにを飲んだんですか?」と聞いてきた。朦朧とする意識のなか、「よっ! 平成の裕次郎!!」と合いの手を入れたところまでなんとか時間を巻き戻し、「ウィスキーとテキーラ……とか」と力なく答えた。隊員は呆れた顔をして、「息子さん、お酒は弱いんですか?」と母に聞いた。すると母は「お酒は強いんですけど、心が弱いんです!!」と絶叫したのだった。母さん、ついでに言うと体も弱いです。

なんだか書いていて、ぼくだけが特別に「弱いやつ」なんじゃないかと思えてきた。しかし、そうだろうか。酒の問題だけをとってみても、アルコール依存症の生涯経験者は100万人以上いるという。「アルコール依存症者の疑い」「問題飲酒者」まで含めると1千万人近くになる。社会環境や法整備、嗜好品への意識など、いろいろな問題はあるだろうけど、どんなに予防策をとっても一定数、アルコールと上手く付き合えない人が必ずいるように思う。

だから、同業の後輩たちが「仕事が終わったから、今日はこれをキメる」などとSNSでつぶやいて、アルコール度数の高いサワーをカジュアルに飲んでいるのを見ると不安になる。「お酒は一生飲めたほうが楽しいよ」とよく言っているけど、どんなに注意しても常軌からこぼれ落ちる人はいる。危険な側面を理解していても、一定数は「弱いやつ」が出てきてしまう。それは意志の問題であるのかもしれない。けど、誰でも手に入るものである以上、自分が一定数に入らない保証はない。“知っていてもなお”そうなってしまう「弱さ」が人間にはある。

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