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日本に「建国記念日」が存在しない本当の理由

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2月11日は「建国記念の日」であり、「建国記念日」ではない。東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は「明治政府は初代・神武天皇の『即位日』を建国記念日に決めたが、史料的な裏付けはなく、戦後廃止された。復活を望む保守派は、みんなを納得させる苦肉の策として『の』を挿入した。いわば『配慮の結晶』なのです」という——。

※本稿は、本郷和人『空白の日本史』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dimakig

「の」から紐解く“空白の日本史”

2月11日の「建国記念の日」。この日は、日本の建国を祝う祭日として、明治6年の1873年に定められました。当時は「紀元節」といっていました。世界各国で「建国記念日」は存在しますが、なぜ現在の日本では「建国記念“の”日」と称されるのか。

その背景にある「皇紀の虚偽」を紐(ひも)解くことで、新たな「歴史史料の空白」を検証してみたいと思います。

まず、この「建国記念の日」ができた当時、明治政府は日本が万世一系(ばんせいいっけい)の天皇を頂点にした統治国家であることを、強烈にアピ―ルをしようと考えていました。当時の日本は、近代国家として誕生したばかり。

そのため、明治政府は、国内外に向けて、海外にはない日本のオリジナリティや存在感を示すため、日本という国が、長年に渡って天皇家というひとつの系譜に連なる血筋が治めていることを、最大限利用しようとしたのです。

「エンペラー」の称号を得た明治政府の猛アピール

こうした明治政府の活動が功を奏し、現在でも日本の天皇は、海外では「皇帝(Emperor)」という称号を得ています。たとえば、英国王室のエリザベス女王の称号でさえも「女王(Queen)」であって、「皇后(Empress)」ではない。世界有数の伝統を誇る王室でさえも、「King/Queen」と呼ばれるなか、日本の皇室は「Emperor/Empress」という特別な称号を使用することが認められています。

明治時代には、エチオピア王室も「Emperor/Empress」の呼称が使われていたそうですが、現時点では世界中でこの呼称が使われているのは、日本の皇室だけ。これは、明治政府が世界中に「日本の天皇家は万世一系である」と訴えた主張が、見事に影響していると言えるのでしょう。

諸説ありますが、少なくとも26代の継体天皇(450?-531年)以降は、天皇家は一つの血筋でつながっているのだと考えられています。それだけとってみても、世界一古い王家であることは、間違いありません。英国王室以外のヨーロッパ王室の血統は、古くとも18~19世紀前後のナポレオン戦争くらいから始まったものが大半です。

国内外で利用された皇室の“伝統”

欧州の王室は、1800年代ごろに外国から来た人が、王となるケースが多い。そう考えると、日本の皇室がいかに古く、歴史と伝統を持っているかという話は、外国に向けて発信してもたいへんに誇らしいものです。また、この主張は、国外だけではなく、国内に向けても、明治政府が中央集権国家を作る上での大きな武器になりました。

「天皇家は世界でも類を見ないほどに、古く、伝統がある。長い間、日本を見守ってきた天皇のために、国民が力を集めて頑張ろう」

こうした、非常にわかりやすいスローガンがうまく作用し、明治政府によって、日本という国はひとつの国へとまとめられていきました。この例を見てもわかるように、「我が国には長い歴史がある」と主張することは、国内外に強い影響力をもたらします。

紀元前660年が「元年」になったワケ

現在の日本では、元号や西暦が使われていますが、明治時代に正式に採用されたのが、「皇紀」という暦(こよみ)でした。

「皇紀」とは、神武天皇が最初に即位した年を元年とした暦のこと。紀元前660年を元年として数えられており、東京五輪が開催される2020年は皇紀2680年にあたります。なぜ、紀元前660年が神武天皇即位の年になったのかというと、そこには少し複雑な経緯があります。

まず、古来から日本の暦は「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」を表す十干(じっかん)、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」を表す十二支を組み合わせた、十干十二支で表していました。

そして、両者を組み合わせた数字である60(10×12÷2)が、一つの周期になります。60歳を「還暦」と称するのは、60年という周期が一度巡ることで、また「暦が還る」から。そして、還暦の人に真っ赤なちゃんちゃんこを贈るのは、「赤子に戻って、もう一度人生を生まれ直すから」だと言われています。

中国由来の「十干十二支」

さて、十干十二支には様々な組み合わせがありますが、その中の58番目の組み合わせである「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の考え方をまとめた書物『緯書(いしょ)』で唱えられた予言「讖緯(しんい)説」に由来するものです。

「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら革命が起こる。さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こると言われていた。60年×21回ということは、1260年に1回のペースで大革命が起こるという計算になります。

その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年だろう」と結論づけたのです。なぜ、聖徳太子がいた頃に、大革命が起きたとされたのか。その理由は、当時の日本では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられていたからです。

近年の研究では「聖徳太子は本当にいたのか?」という論争もある上、日本という国の基礎ができたのは、天智天皇や天武天皇の時代だと考えられています。ただ、明治当初、彼は、十七カ条の憲法や官位十二階の制定、遣隋使の派遣、仏教の普及などに貢献し、日本の基礎を作った人物として、非常に重要視されていました。

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