- 2020年02月10日 14:34
【読書感想】「反権力」は正義ですか
1/2Kindle版もあります。

「反権力」は正義ですか―ラジオニュースの現場から―(新潮新書)
- 作者:飯田浩司
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2020/01/24
- メディア: Kindle版
内容(「BOOK」データベースより)
「マスコミの使命は権力と戦うことだ」そんな建前でポジションを固定して良いのだろうか。必要なのは事実をもとに是々非々で議論し、より良い道を模索することのはず。経済や安全保障を印象と感情で語り、被災地の悪しき風評を広める。その結論ありきの報道は見限られてきてはいないか―人気ラジオ番組パーソナリティとして、また現場に出向く一記者として経験し考えてきたことを率直に綴った熱く刺激的なニュース論。
僕は、この本のタイトルをみて、ああ、権力者寄りのメディアの人が、ネットによる「メディア批判」に便乗して、朝日新聞とかフジテレビとかを叩くやつだな、と思ったんですよ。
でも、書かれていることは、そうじゃなかった。
集団的自衛権の解釈など、一部には、僕の認識とは異なるところもあったのだけれど、著者は、ラジオパーソナリティとして、なるべく現場に身を置いて、人々の声を多くの人に伝えようとしているのです。
沖縄の基地問題について。
あれ(2014年に翁長前知事が「普天間飛行場の5年以内の運用停止と辺野古移設阻止を公約にして知事選に当選して)から5年がたち、ますます地元の声が聞こえづらくなりました。メディアは相変わらず賛成・反対の二元論で問題を語り続け、地元の方々にも賛成・反対の刃を喉元に突き付けて選択を迫る。「基地問題に揺れる辺野古」「賛成・反対で真っ二つ」など、分かりやすい説明です。
しかしながら、辺野古を取材し、その後の推移を見てきた者として、この二元論で零れ落ちてしまう思いのあまりの多さに驚き、おののきました。そして、賛成・反対の二元論に堕ちずに真ん中の妥協策を模索する難しさもまざまざと見せつけられました。二項対立の末、県側は工事の中止以外の回答は敗北とばかりに反対を主張し、一方で、政府側ももはや退くことは許されずと問答無用で工事を進めていく。双方のぶつかりあいの中で事態は硬直化し、辺野古の街はさびれたままで残される。地元のコミュニティも二つに引き裂かれ、住民の方々は口を閉ざす以外の選択肢を失っていく……。
二元論を入り口にニュースを二つに切り分けていくと、部外者でも全体を分かった気になることができます。しかし、そこには切り捨てられた現場の声があるのです。
「どちらでもない」という声はニュースでは扱われにくい傾向があります。白黒はっきりさせるのが報道だ、という考え方が根底にあるのかもしれません。しかし、社会の問題であろうと、人生の問題であろうと、そう簡単に割り切れるものおではないのではないでしょうか。「どちらでもない」人の存在や、その苦悩を伝えることもまたメディアの役目のはずです。
メディアは「わかりやすい対立の構図」のほうが視聴者に伝えやすいし、ドラマチックだと考えてしまうのです。
それは、メディアを批判している「まとめサイト」などにも、同じような傾向があるのですけど。
そして、「絵になる場面」ばかりをクローズアップして、実際の状況からかけ離れたイメージを視聴者に与えてしまいがちです。
震災から時間が経って、いわゆる”被災地”は前に向かって歩み出しています。防災の部分は記録をしながら、震災の記憶については日々暮らしているときには戸棚の中にしまっておいて、どこかのタイミングでまた出してきて思い出すというように、コントロールする時期に入っているのかもしれません。
にもかかわらず、都会で見て、報道する側が、いまだに何年の前の、下手をすると震災直後のイメージに囚われていたりします。私は何度も福島に取材で足を踏み入れているのでどれだけ復興が進んだのか、どれだけ除染が進んで安全になったのかを知っています。
が、実のところ会社の同僚からですら「福島第一原発の近くに出張なんて、大丈夫?」「今は防護服着なくていいの?」といった質問を受けたりするのです。放送局の人間であっても基本的なことから説明しなくてはいけないほど、イメージが固定化してしまっています。
そして、そのイメージのまま「困っている姿を報じよう、まだまだ復興は道半ばだという様子を報じよう」と、イメージを補強するような事柄を探してしまうのです。鉄道が部分復旧して地域の足が戻ってきたという紙面なのに、フレコンバッグ越しに列車を撮影したりします。フレコンバッグというのは、除染した際の土など低レベル放射性廃棄物を入れる黒い袋。実際に現地に行くと、一体どこにフレコンバッグがあるのか、よほど探して「フレコンバッグ越しの列車の絵」を撮影したのでしょう。
これは特に映像メディアに顕著なのですが、せっかく現地に出張したからにはどうしても「強い絵」を撮って流そうとします。そのため、たとえほとんどの風景が平穏であっても、「どこかにそれっぽい絵はないか」と探してしまうのです。しかし、それがその土地の実状を伝えているかといえばそんなことはありません。




