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ビリー・ジョーが語る、人生を形作ったグリーン・デイの15曲

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ビリー・ジョー・アームストロング、ニューヨークのWebster Hallにて。2016年10月8日撮影(Photo by Ryan Pfluger/The New York Times/Redux)

最新アルバム『ファザー・オブ・オール… 』を発表したグリーン・デイ。バンドの代表曲が生まれた背景、ウエスト・オークランドのパンクスたちが世界的ロックスターになるまでの道のり、引き裂かれるような胸の痛み、そして政治に対する怒りまで。フロントマンがバンドのキャリアを象徴する15曲について語った。

ビリー・ジョー・アームストロングはギターを教わっていた人物に、その人生を変えることになる質問をした時のことをはっきりと覚えている。「曲はどうやって書けばいいのか、そう訊いたんだ」現在47歳、グリーン・デイのギター/ヴォーカルはオークランドにある自身のスタジオでそう話す。「彼の答えはこうだった。『ヴァース、コーラス、ヴァース、コーラス、ブリッジ、ヴァース、コーラス……それを自分の好きなように組み合わせればいいのさ』」

それ以来、アームストロングは寝ても覚めてもそのことばかりを考えるようになった。孤独や不安、ドラッグ、そしてマスターベーションといった思春期の若者なら誰もが経験することを3コードで表現したアンセムの数々は、1000万枚以上を売り上げた1994年作『ドゥーキー』をはじめ、世代を超えて若者たちの心を掴んできた。ストレートなパンクロックであれ、政治的メッセージを込めたロックオペラであれ、アームストロングは作曲においてあるルールを自身に課している。「自分自身、そしてオーディエンスに対して、できる限り正直であろうとしてる」彼はそう話す。「多くの人が共感できるものっていうのは、自分の内面を深く掘り下げていく過程で生まれてくるんだ。人は皆深いところで繋がっている、俺はそう信じてるんだ」

曲の中にはわずか5分で出来上がったものもあれば、完成までに長い時間を要したものもある。彼は最近、1993年に原型が生まれた曲を仕上げたという。そのキャリアの開始から30年目を迎える2月に、グリーン・デイは13作目となるアルバム『ファザー・オブ・オール…』を発表する。アームストロングは新たなサウンドを模索した同作について、「モータウン、プリンス、エイミー・ワインハウス……そういうソウルのヴァイブをグリーン・デイというフィルターに通すことで生まれた」と語っている。彼がファルセットで歌い上げるタイトル曲を支える、ドラマーのトレ・クールによるミッチ・ミッチェル風のワイルドなビートについて、アームストロングはこう語っている。「あいつが生み出したビートの中でも、最もぶっ飛んだやつのひとつさ」

「ビリーは新境地を開こうと、自分の限界に挑戦してた」ベーシストのマイク・ダーントはそう話す。「俺たちはあいつに必死で食らいついていった。それってマジで大変なんだよ、ビリーほど物事を深く掘り下げるやつはいないからね」

インタビューに答えるアームストロングは、フレンドリーだが思慮深さをうかがわせ、質問に答える前にしばらくの間沈黙することもある。「バカだと思われたくないからな」発言の途中で彼はそう口にした。バンドメンバーであり、30年来の友人でもあるクールは、かつてアームストロングについてこう語っている。「才能に恵まれていて、苦悩を抱えてる。ビリーの脳みそは、同期させた18台のテープレコーダーみたいなんだ。会話してると思いきや、相手の目を覗き込んで『何だって?』なんて言ったりするんだよ」

「あの野郎!」アームストロングは笑いながらそう口にした。「知ったような口を利きやがって」彼はそう話しながらも、作曲においては自身の脳がどう働くのか、自分でも把握できていないという。数多くの曲を残してきた彼だが、曲作りからしばらく離れていると今でも不安に駆られるという。「もう2度と曲が書けないんじゃないか、そう思う時もある。でもある日突然曲のアイディアが浮かんで、惨めな気分が一転して世界の王になったように感じるんだよ」

1.「409 イン・ユア・コーヒーメーカー」
『Slappy EP』(1990年)

Bob Berg/Getty Images

当時、俺は高校を中退したばかりで、とにかく途方に暮れてた。世界に置いてけぼりにされた夢遊病者のような気分で、自分の進むべき道がまったく見えなかった。でも俺がソングライターとして最も素直になれるのは、そんなふうに途方に暮れてる時だと思う。沈んだ気持ちをエネルギーに昇華させようとするんだ。「俺の願い、それはこの鎖を引きちぎること/未来に向かおうとする俺を縛り付けるこの鎖を」それまでに書いた曲は未熟さをテーマにしてたのに対して、この曲では俺の別の一面を表現できたと思った。この曲をライブでやり始めた時、オーディエンスの反応がすごく良かったのを覚えてる。特に地元のパンクスたちの間でね。その時点で既にアルバムとEPを1枚ずつ出してたけど、俺はこの曲でソングライターとしてのリズムを身につけたと思う。俺が18歳の時だよ。



2.「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」
『カープランク』(1992年)
Anthony Pidgeon/Redferns/Getty Images

グリーン・デイとして初めてツアーに出た時、ミネアポリスで開かれたとあるハウスパーティーで、俺は妻のAdrienneと出会ったんだ。レコードが売り切れてたから、彼女と連絡先を交換したんだ。それ以来俺たちはちょっとした文通友達みたいになって、そのうちに長電話するようになった。おかげで電話代がかさんだよ。

しばらくして、グリーン・デイがミニツアーに出ることになった。カリフォルニアからミネソタまで、何時間もかけて車で向かった。4公演くらいだったと思うんだけど、ウィスコンシンやミネソタでライブするためにそこまでやるなんて理解できないって言われたよ。俺はただ彼女に会いに行きたかったんだ。その帰りの車の中で、「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」を書いた。ごく自然と生まれてきたんだ。アコギの弾き方りバージョンをカセットに録音して、それを彼女に送った。好きな人のために書いた曲を聴かせるのって、死ぬほど勇気がいるんだよ。「うわ! このストーカー!」なんて言われたら悲劇だからさ。幸いなことに、それ以来この曲はずっとライブの定番になってる。俺は30年の間に彼女についての曲を山ほど書いてきたけど、これがその始まりさ。



3.「ウェルカム・トゥ・パラダイス」
『カープランク』(1992年)『ドゥーキー』(1994年)
Ken Schles/The LIFE Images Collection/Getty Images

当時俺はウエスト・オークランドの郊外にあった家を出て、仲間のパンクスや友達がたくさん住んでるちょっとヤバい地域にある、ネズミに占拠された倉庫みたいなところに引っ越したばかりだった。一番の理由は、月に50ドルっていう破格の家賃だった。ライブで月に200〜300ドルくらいは稼いでたから、家賃を払ってもTop Ramenを食ったり、クサを買ったりする余裕はあったんだ。

すごく新鮮な経験だったよ。オークランドで一番ヤバい地域に、独りで住んでたわけだからね。通りは荒れてて、近隣一帯が朽ち果てたような家が立ち並ぶゲットーだった。そんなところで一人暮らしだぜ? 常にビクビクしてて、「ここから抜け出すにはどうすればいいか?」ってことばかり考えてた。でも住めば都ってやつで、気づけば快適にさえ感じるようになってた。ジャンキーやらホームレスやら喧嘩に明け暮れるギャングやらに囲まれてると、ちょっとした連帯感が芽生え始めるんだ。「駅の構内で銃声が鳴り響く/キレたどこかの浮浪児が死んで置き去りにされる」あれは当時の俺の日常のそのもので、歌ってることは全部事実なんだ。ライブではいつもすごく盛り上がる曲だね。当時は自覚してなかったけど、あの曲のブリッジの部分はその後の俺たちの方向性を示唆してたと思う。


4.「SHE」
『ドゥーキー』(1994年)
Catherine McGann/Getty Images

昔アマンダっていう、カリフォルニアの学生だった女の子と付き合ってたんだ。俺はフェミニズムについて、彼女から多くのことを教わった。あの頃彼女と出会えたのはすごく幸運だったと思う。彼女は高校を中退した世間知らずのガキだった俺に、長い間女性たちがモノとして扱われてきたってことを教えてくれた。この曲は彼女へのラブソングのつもりで書いたんだけど、彼女の考え方にインスパイアされた部分もある。「耳から血を流すまで俺の耳元で叫んでくれ」っていう歌詞は、話を聞くっていう俺の意思表示みたいなものなんだ。どんな活動に対しても、相手の意見に耳を傾けるっていうのが最初のステップだと思う。

「SHE」は何かを理解することについての曲で、歌ってるとすごく気分が良くなってくるんだ。不要なものを削ぎ落とした、3コードのシンプルな構成のこの曲を、俺はすごく誇りに思ってる。隠れた名曲だと自負してるよ。シングルカットされたわけじゃないけど、それ単体で成立するだけの存在感がある。そういう曲ってあんまりないんだよ。



5.「ロングヴュー」
『ドゥーキー』(1994年)
Ebet Roberts/Getty Images

プリテンダーズの「メッセージ・オブ・ラヴ」って曲が大好きで、俺もああいうのを書きたいって思ったんだけど、いいベースラインが浮かばなかった。当時俺たちはみんなカリフォルニアのリッチモンドに住んでて、ある日俺は1人で映画を観にいったんだけど、その間に他のメンバーはウチでアシッドをやってたんだ。俺が帰宅すると、ベースを抱えたマイクがキッチンの床に座り込んでた。キマってるのが一目でわかったけど、やつは「すげぇいいのが浮かんだぜ! バッチリだ」って言って、あの曲のベースラインを弾いてみせた。その時は正直どう判断していいかわからなかったよ。アシッドをキメたまま考えたフレーズを、やつが後で思い出せるかどうか怪しかったからね。でも翌日にスタジオでやってみたら、見事にハマったんだよ。

歌詞は典型的な負け犬の人生を描いてる。テレビを観て、オナニーして、虚しい気分になるっていうさ。あの頃、俺は大きな不安を抱えてた。将来の展望はゼロだし、彼女もいなかった。Adrienneと知り合ったのは90年頃だったけど、付き合い始めたのは94年とかその辺だったからね。バンドはメジャーレーベルと契約したばかりで、アンダーグラウンド時代から応援してくれたやつらからは批判されたりもしてた。いろんなことが自分の手に負えなくなっていくように思えて、のるかそるかの大博打に出ちまったって感じてた。この曲はじっくり聴いてみると、すごく変わってるってことに気づくと思う。あんな風にスウィングするリズムや、あれだけのエネルギーのあるフックを作れるバンドは他にいなかった。グランジはもうダサいと見なされていたし、もともと俺たちはもっとハードでアッパーなバンドだったから。この曲はすごく踊れるから、ライブではいつも大盛り上がりだったよ。



6.「ブレイン・シチュー」
『インソムニアック』(1995年)
Niels Van Iperen/Getty Images

この曲はなかなかのダークホースだね。当時はいくつかのレコーディング機材を新たに導入したばかりで、それを色々試してる時にこの曲のリフを思いついたんだ。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」みたいな、ビートルズのハードめな曲っぽくて気に入った。メタンフェタミンをやったせいで眠れなくて一晩中起きてる、そういうことを歌ってる。当時のパンクシーンにはそういう風潮があって、俺自身もやってた。あれは悪魔のクスリさ。

当時の状況に、俺は正直ビビってた。俺はかなり真面目なソングライターでミュージシャンなんだけど、『ドゥーキー』が史上最も売れたポップスのアルバムのひとつになりつつあった時、俺は自分にこう言い聞かせてた。「俺はロッカーだ。俺はパンクロッカーなんだ。ポップスターなんかになることよりも、俺にはそれが大切なんだ」ってね。この曲にはそういう思いが表れてる。

あの頃は他にもいろんな変化が起きてた。俺は結婚し、23歳にして父親になり、気に登って俺ん家の中を覗こうとするような輩が現れ始めた。ロックスターってやつになることの代償を思い知らされた時期だったね。自分の行動がもたらしたものを、自らコントロールすることはできないんだよ。俺はこの曲で、グリーン・デイ のより醜い部分を描こうとしたんだ。



7.「グッド・リダンス (タイム・オブ・ユア・ライフ)」
『ニムロッド』(1997年)
Dick Loek/Toronto Star/Getty Images

この曲は『ドゥーキー』を作ってた頃に書いた。エクアドルに引っ越すガールフレンドのために書いた曲なんだ。ある日バークレーのあるハウスパーティーに行ったんだけど、大学生たちがアコギを回しあって順番に歌ったりしてた。ポニーテールの変な男がアコギを抱えてるっていう、ドラマとかでよく見る構図さ。俺もアコギを使った曲を書いてみようかなって、その時ふと思ったんだ。それで生まれたのが、その娘との関係の終わりを歌ったこの曲さ。「思い出のタトゥーと試される死んだ皮膚」っていう歌詞は、タトゥーで入れた彼女の名前を隠さなくちゃいけなかったっていう、俺自身の経験に基づいてるんだ。

身近な人が自分とは違う道を選ぶことをクールに受け止める、そういうことを表現しようとしたんだ。この曲自体、当時のバンドの作風とはガラっと違ってたしね。ツアーに出る準備をしつつ、『ドゥーキー』のプロモーションをして、ラジオではシングル曲がかかり始めてた当時、状況が大きく変わりつつあるのを感じてた。彼女は勉強を続けるために、エクアドルに引っ越して家族と一緒に暮らすことにしたんだ。人生は素晴らしい出会いに満ちてるけど、気付けばそういった人々が自分の前からいなくなってしまってる。この曲ではそういうことを歌ってるんだ。

93年の時点で曲は完成してたけど、グリーン・デイとして発表することはないだろうと思ってた。『インソムニアック』の制作時にはデモも録ったけど、アルバムには合わなかったし、この曲をどう扱うべきか自分でも分からなかった。でも『ニムロッド』を作ってた時に、もう一度試してみようと思ったんだ。弦楽四重奏のストリングスなんて、グリーン・デイのイメージとはまったく無縁だったけど、やってみると見事にハマった。この曲はバンドの新境地を開いたし、自分たちの更なる可能性を感じることができた。

この曲にはそれだけで成立する存在感があると思う。結婚式やら卒業式で使われることになるとは、作ってた頃には夢にも思わなかったけどね。つい最近、弟を亡くしたばかりだの女の子からInstgramでメッセージをもらったんだけど、家族全員がこの曲を聴くたびに彼のことを思い出すんだってさ。それってソングライターにとって、これ以上ないってくらい名誉なことだよ。



8.「マイノリティ」
『ウォーニング』(2000年)
Pat Johnson/Shutterstock

「タイム・オブ・ユア・ライフ」の後、俺はアコギを使った曲をもっと書くようになって、『ウォーニング』にはそういう曲をたくさん入れたかった。それに当時はロクでもないポップパンクが蔓延してて、そのジャンルから距離を置きたかった。それが次のステップでもあると感じてたんだ。当時はキンクスやザ・フーをよく聴いてたんだけど、彼らはアコースティックでもパワフルな曲を書いてたし、ギターをほとんどドラムみたいに使ってたりした。「ピンボールの魔術師」なんかはすごくパーカッシブだ。この曲を書いたのはジョージ・ブッシュとアル・ゴアの大統領選の直前で、俺は政治がやや右寄りに傾きつつあると感じてた。あの曲で言わんとしたのは、やつらが群れから抜け出し、独善的な個人主義を掲げようとしているってことだった。それまでよりもコンセプチュアルな方向に進もうとしていたのは確かだね。

あのアルバムは録り直したいと思ってるんだ。当時はプロツールズが主流になり始めたばかりだったんだけど、あのアルバムの曲はもっと生っぽい音のほうが映えるんだよ。「マイノリティ」は音源よりも、ライブバージョンの方がずっと良いんだ。まぁきっと考え過ぎなんだろうけどね、よくあるパターンさ。

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