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日本の上場企業にベトナム留学生が辞表を叩きつけた理由 - 出井康博 (ジャーナリスト)

日本に住むベトナム人の数は2019年6月時点で37万1755人に達し、国籍別で中国、韓国に次いで多い。過去1年間で12.4パーセント、12年末と比較すれば7倍以上も急増した。人手不足が深刻化するなか、実習生や留学生として働くベトナム人が増えた結果である。

実習生の場合、ベトナム人は全体の半数以上の18万9021人に上る。8万2266人を数えるベトナム人留学生も、その多くは勉強よりも出稼ぎを目的に来日している。さらには、昨年新設された在留資格「特定技能」でも、ベトナムは送り出し国として最も期待される。政府は今後、外国人労働者の受け入れを増やす方針だが、その成否はベトナム人の動向次第と言える。

しかし、在日ベトナム人たちの肉声は、新聞やテレビなどではほとんど伝わってこない。たまにインタビューに登場する者がいても、「日本が大好きです。できるだけ長く働きたい」といった建前しか語られない。その一方、職場から失踪する実習生は相次ぎ、在日ベトナム人が起こす犯罪は外国人でトップという不幸な現実もある。

ベトナム人たちは日本で何を思い暮らしているのか。また、日本からベトナムへ帰国した者は母国でどんな生活をしていて、再び来日したいと考えているのか。彼らの本音に迫ってみた。

(nathan kelly/gettyimages)

大手の素材メーカーに入社

2020年1月——。ベトナム人のハイ君(28歳)にとって日本で迎える7回目の年が明けた。13年に留学生として来日して以降、最も憂鬱な正月である。

ハイ君は昨年3月、東京都内の大学を卒業後、大手の素材メーカーに入社した。歴とした上場企業で、給与は手取りで月20万円を軽く超えた。会社近くに寮としてワンルームマンションを無料で充てがわれるなど、日本人の若者でも羨む待遇でもあった。しかし、彼は入社8カ月ほどで会社を辞めてしまった。

「給料などには不満はありませんでした。だけど……」

ハイ君のように自主退職であれ失業した外国人は、3カ月以内に新しい就職先が見つからなければ、日本から出国しなければならない。

彼は日本語能力検定で最高ランクの「N1」を取得している。その語学力があれば、再就職は難しくない。しかし、ハイ君には日本での再就職に及び腰だ。

「日本の生活は忙しすぎて疲れます。僕だけじゃなくて、日本にいるベトナム人の多くがそう感じていると思います」

実習生や留学生の大半は出稼ぎのため、日本人が嫌がる肉体労働に従事している。日本語能力も決して高くない。その点、ハイ君は在日ベトナム人のなかでも数少ない「高度人材」のエリートで、日本での滞在も7年近くに及ぶ。そんな彼でも、日本の暮らしには馴染めていない。

ハイ君はハノイの大学を卒業後、2013年に日本の大手新聞社の奨学生として来日した。新聞販売所で働くことで奨学金を得て、2年間にわたって日本語学校で勉強するという制度である。

新聞奨学生といえば、かつては地方の苦学生が中心だった。しかし、現在は希望者が集まらず、都市部の販売所では配達員の人手不足が著しい。そのためベトナムなどから奨学生が採用されるケースが増えている。

日本語学校を卒業後、ハイ君は東京都内の大学へ進学した。彼はベトナムで大学を卒業していて、しかも日本語学校在籍中に「N1」も取得した。わざわざ日本の大学に進学しなくても、就職先は見つかったかもしれない。ただし、日本国内の大学を卒業すれば就職には有利だ。そこで4年間、アルバイトで学費を稼ぎながら勉強に励んだ。

おかげで就職活動には苦労しなかった。次々と内定が出るなか、ハイ君が選んだのがベトナムに現地法人を持つ大手素材メーカーだった。

会社を選ぶ決め手となったのは、人事担当者のこんな言葉だった。

「うちの会社では留学生の採用を今後増やしていきます。キミには将来、彼らの指導役を担ってもらいたい。ベトナム子会社の幹部としても期待しています」

とりわけ「ベトナム子会社の幹部」という条件は、ハイ君には魅力的だった。ベトナム人は母国愛が強い。汚職や賄賂の蔓延といった社会問題に辟易しながらも、家族のいるベトナムで暮らすことを望む者が多いのだ。

ハイ君も、将来はベトナムに帰国したいと考えている。日本の本社採用でベトナムへ赴任できれば、高い給与も保証される。物価の安いベトナムでは、かなり裕福な生活もできるだろう。そんな夢を抱いてハイ君は入社した。

ほとんどが「通訳業務」

配属先となったのは海外事業担当の部署だ。そこでハイ君が与えられた仕事は、ほとんどが「通訳」だった。ベトナムの現地法人からの連絡にベトナム語で対応したり、社内の文書を翻訳するといった仕事である。

会社はOJTの一環と考えていたのだろう。新入社員にはまず、業務について理解してもらわなければならない。しかし、ハイ君は次第に不満を募らせていく。

「僕は通訳として会社に入ったわけではありません。日本人と同じように、バリバリ仕事がしたかった」

会社では一人、朝から晩まで机に向かう日々が続いた。

「仕事でわからないことがあると、日本人の先輩に相談したことはありました。でも皆、忙しそうで……。だんだん、僕の存在が迷惑なように思えてきました」

社内には技術職のベトナム人こそいたが、文系の社員はハイ君が初めてだった。外国人社員の扱いに不慣れで、意思疎通がうまくいっていなかったのだ。

留学生の採用や指導に関する仕事には、いつになったら就けるのか。何年待てば、ベトナムに赴任できるのかーー。人事の担当者に尋ねても、「まだわからない」という答えしか返ってこない。

ハイ君が入社した会社は創業100年近い老舗企業だ。年功序列と終身雇用の伝統も残っている。一方、外国人社員は入社当初から第一線で仕事することを望む。転職も日本人以上に厭わない。そこに齟齬が生じてしまうのだ。

会社と寮を往復するだけの毎日で、ハイ君は孤独感を深めていく。残業も多く、ベトナム人の友人たちと会う時間もなかった。

(いつまで、こんな毎日が続くのか……)

自問自答しているうち、ハイ君はついに胃潰瘍でダウンしてした。

いきなり退職届を提出

会社側は、休職して体調の回復に努めるよう勧めた。だが、ハイ君は応じず、いきなり退職届を提出してしまった。

「もっと我慢すべきだったのかもしれません。でも、先の見えない生活が不安だったんです」

胃潰瘍を発症した彼は、診察を理由にベトナムへと一時帰国した。久しぶりに家族や友人と過ごし、日本では得られない充実感を味わったという。

「ベトナムには残業する人などほとんどいません。仕事を終えたら、友人や家族と楽しく食事をする。そんなベトナムの生活が僕には合っています。給料が安くたって、日本にいるよりは幸せなんです」

現地の日系企業からは、仕事のオファーも届いている。提示された給与は月10万円程度だが、ベトナムの水準では悪くない。

日本で再就職するか、母国へ戻るのかーー。ハイ君に決断の日が迫っている。

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