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Onepieceの組織論

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集英社に頼まれて、『Onepiece』についての解説を三編書いた。2011年に二つ、2013年に1つ。これから養老孟司先生とマンガ論のつづきを京都ですることになっているので、「予習」のつもりで自分が7年前に書いた解説を読み返してみた。なかなか面白かったので、再録。

『Onepiece』の解説を書く仕事もこれで3回目となりました。今回は61巻から70巻までの物語から撰した「名言」集に解説をつける仕事を承りました。マンガの吹き出しの台詞だけを集めたアンソロジーに解説を付すというのも、考えてみると不思議な仕事ですね。でも、そういう例外的な要請が生じるのは、『Onepiece』の登場人物たちが意を決してきっぱりと口にする言葉がマンガとしては例外的に「強い言葉」だからでしょう。

 まず、「強い言葉」とはどういう言葉なのか。それについて少し考えてみたいと思います。
僕は武道と能楽を稽古していますが、その分野には強い型というものがあります。その型がまわりにいる人たちの身体に刻み込まれ、他人の身体にまで「感染する」、そういう力を持つ型のことです。

 僕が覚えている最もカラフルな実例はブルース・リーです。1973年に『燃えよドラゴン』が日本公開されたとき、僕は封切りと同時に渋谷の映画館に見に行きました。期待通りの大傑作で、見終わったあと、僕は興奮と感動に震えながら渋谷駅にたどりつきました。

東横線の同じホームには何人も『燃えよドラゴン』を見た帰りの人たちがいました。なんでわかったかというと、ホームのそこらじゅうで衆人環視をものともせず、「あちょ〜」と叫びながら少年たちが飛び回っていたからです。どうにも身体が動いて止らないというその感じが僕にはよくわかりました。

ブルース・リーのこの映画は世界五大陸で大ヒットしました。世界中の子供たちが「あちょ〜」と怪鳥音を上げて飛び回ったのです。人種も言語も宗教も超えて、世界中の人々がブルース・リーの「動き」に感染した。こういうものを「強い型」と呼ぶのだと思います。

 いかに力感があふれていても、破壊力があっても、スピードが速くても「感染しない型」があります。どこか生物として不自然な動きは感染しません。それはカロリー消費量は多いかもしれないけれど「強い型」ではなかったということです。

池に投げた石が波紋を生み出すように、同心円的に感染してゆくためには、それが生物として「正しい」動きでなければなりません。感染して、自分もまたその型を模倣することで生命力が高まるような型、それが感染力のある「強い型」です。

それに同化すると、こちらの身体が整ってくる。筋肉や骨格や関節の筋目が気分よく通る。心地よい波動が全身を満たす。無用な緊張がなくなる。身体の隅から隅まで感度のよいセンサーが機能していて、わずかな感覚入力が一瞬のうちに全身に伝わる。それが「身体が整った」感じです。

 これはなかなか自分ひとりで手作りすることがむずかしい。むしろ外部から一瞬で感染することで会得されるものです。他者の「強い動き」に「同化される」というしかたで身体が整う。これが本筋のようです。

 日本の古伝の武道には「夢想」とか「神伝」という名を冠したものがたくさんあります。流祖が深山や神社仏閣に籠っているとき、一夜夢の中で天狗や武神に出会い、その型を学んで奥義を極めたという流儀の起源についての物語があるからです。

でも、これは別に流儀に箔をつけるための作り話ではないと僕は思います。流祖自身の身体実感だったと思うのです。この動きは自分の中から出て来たものではない。外部から到来した動きなのだが、それを「まねる」「まなぶ」ことで自分の身体が整い、かつてなく生命力が高まった、そのパーソナルな経験を語ろうとするとどうしても「夢の中で天狗に教わった」というような物語に近づいてしまうのだと思います。

 静止した芸術作品からも「強さ」を感じることがあります。
 パリのピカソ美術館の中庭にはピカソの造形した「山羊」の塑像があります。これは強いです。機会があったらぜひ一度ご覧になって欲しいと思います。小さな山羊が四本の脚でぐいっとパリの地面を踏みしめて、大地のエネルギーをぐんぐん吸い上げて、突き立てた二本の角から空めがけてばりばりと放電している。そんな感じがします。

パリのオルセー美術館の上層階には印象派の傑作を集めた部屋があります。以前、ひとりでぼんやり展示を見ながら、室の中程まで進んだところで、背中に異様な波動を感じたことがありました。振り返ってみたら、ゴッホの「ひまわり」でした。画布に塗られた絵の具の凹凸が皮膚にじかに触れてくるような手触りのはっきりした波動でした。

「美しい」というよりは「強い」という印象を与える芸術作品がときどきあります。そういう作品は近づくと「身体が整う」「身体が浮く」「身体が泡立つ」など、いろいろな感触を僕に残します。誰でも同じように感じるかどうかは分かりませんが、とりあえず僕は芸術作品を身体で受け止め、自分の身体の反応に基づいて、作品のクオリティを計ることにしています。

『Onepiece』には「強い言葉」が含まれています。僕自身の身体が反応するのでわかります。それを読むことで、読者の側の身体が整う感じがする、そういう強さです。

 政治的に「正しい」からとか、論理的に「整合的」だからとかで、修辞的に「美しい」からとかで、言葉の「強さ」が決まるわけではありません。「強さ」というのは、そういうのとは違うレベルのものです。その言葉が周りの人々に「感染」して、それによって人々の身体や思考や感情が「整った」という結果によって「強さ」は判定するしかない。

 声高に絶叫された言葉でも、呪文のように執拗に繰り返された言葉でも、論理的にみごとにな言葉でも、ただそれだけでは周囲の人を「整える」ことはできません。たしかに「影響を与える」ことはできます。破壊したり、調子を狂わせることはできます。呪いの言葉はどれほど低い声でつぶやかれても、じわじわと感染して、周りの人の生きる力を損なってゆきます。

そういうネガティブな力は呪詛にも怒号にも恨み言にもあります。でも、それは秩序を壊す力、積み上げてきたものを崩す力であって、整える力ではありません。僕が言っている「強い言葉」とは整える力をもつもののことです。破壊したり、崩落させたりする言葉のことではありません。

 他者の口から出た言葉なのだけれど、聞いているうちに、それが自分の中の深いところからにじみ出してきた言葉のように懐かしく感じられる言葉。ずっと思っていたのだけれど、なかなか言葉に出来なかったことを今かたちにしてもらった言葉。「強い言葉」はそういう納得感を伴います。

 むろん、そんなのは錯覚なのかも知れません。武道の流祖たちが「天狗に出会った」と思い込んだのもたぶん錯覚だったでしょう。でも、錯覚でいいんです。人間はそういう生きものなのですから。外部から到来したものを自分がずっと探し求めていたものだと感じて、それに一気に同化できる「被感染力」の高さこそ、他のどんな種にもまさって人類の成長と変身を可能にしたものだからです。

「強い言葉」は周囲の人を整えます。それまでばらばらだった人々の視線を同じ方向を向かせ、同じ目標に向けて歩み出させ、自分たちひとりひとりがまるで巨大な多細胞生物の一部であるような宏大な共生感をもたらします。

 この本に収められた「強い言葉」はその条件に基づいて選択されたものだと思います。編者がどういう基準で選んだのか、僕はうかがっていませんけれど、たぶん「気分で」選んだのだと思います。「この言葉って、なんか気合いが入るよね」というようなくらいの基準だったんじゃないかと思います。でも、それで正しいのだと思います。

「気合いが入る」って、どういう感じでしょう。祇園の舞妓さんは着物を着るときに帯を肩越しに「ぴしっ」と放り投げるという話を聞いたことがあります。そうすると「帯に気が通る」んだそうです。「気合いが入る」って、たぶんその「帯になった気分」に近いんじゃないでしょうか。誰かにぴしっと筋目を通してもらったせいで、自分の中がきれいに整った感じ。そういう身体的な印象を手がかりにして編者は「強い言葉」を選んでいった、そうじゃないかと思います。

「強い言葉」が生み出すのは共生感です。メンバーひとりひとりがひとつの多細胞生物の一細胞であるかのような共生感を共有できていることが絶好調で機能している組織の特徴であることにはどなたにも異論はないと思います。中枢から細々と指令を下なくても、現場の自由裁量で一糸乱れずに動く組織。それが理想的なしかたで作動している組織です。『Onepiece』を僕は前二回の解説でも組織論として読んできたわけですけれど、今回もその話をもう少し別の観点からしてみたいと思います。

 どうすれば、一人一人ばらばらな個人が集団的に組織されうるのか。どうすれば個性のばらつきそのものが、多様性が集団を賦活するようになるのか。これが『Onepiece』を組織論として読むときの僕の関心事です。

 物語の中では、ルフィーの言葉と行動が麦わらの海賊たちを統合し、彼らの周囲に拡がる世界とそこに生きる人々にひとつの秩序をゆっくりと、しかし確実に作り出してゆきます。いささかおおげさに言うならば、この構成員9人に過ぎない小さな集団の組織統合モデルに準拠して、世界そのものがしだいに同心円的に整序されてゆく、神話的なスケールで展開するそのプロセスを『Onepiece』は描いているということになります。

 イノセントで、(食欲以外については)無欲で、冒険への好尚と友人に対する無限責任以外に生きる上での特段の方針を持たないこの少年は、その「空虚」さゆえに、世界を支える天蓋になりつつあります。なぜルフィーがその任にふさわしいのか。それは、世界のコスモロジカルな中心は「空虚」でなくてはならないからです。「クッションの結び目」と同じです。

クッションの結び目は実在物ではありません。布のドレープが全部そこに集約される「空虚」です。でも、それがないと筋目の通った、座り心地のよいクッションはできない。それと同じです。よくできた組織の中心にあるのは「空虚」です。際限なく受け容れる機能、あらゆるものを結びつける機能。ルフィーを特徴づけるのは、間違いなくこの「空虚」です。

 物欲を欠いた人間である彼がもっともはげしい固着を示すのは「食べ物」ですが、これはまさに「底抜けに空虚な胃袋」の効果に他なりません。彼が切望する「海賊王」の称号も(前の解説に書きましたが)ただの記号に過ぎません。領土もないし、王座もないし、王冠もないし、国民もいない「王」。「海賊王」の条件は彼自身の定義によれば「この海で一番自由な奴」ということになります。

王土も王冠も宮殿も「自由」であるためにはもとより不要のものです。外形的な何ものにもとらわれない人間、すべての行動が自発的であるような人間。本質的に無一物な人間。おそらくそれがルフィーの理想として描く海賊王なのでしょう。

 ですから、彼がそのパフォーマンスを爆発的に開花させるのは例外なく「友のために戦う」ときであるということも理解できます。彼は別に友だちとの間に「相互防衛条約」のようなのを取り結んでおり、その約款に従っているわけではありません。彼に救出され、支援される友だちがルフィーが自分のことを友だちだと思っていることさえ知らないというケースだってあります。

この「友のための戦い」は義務でもないし、報償が約束されているわけでもない、ルフィーの側からの無償の贈与なのです。それは別にルフィーが例外的に博愛的な人間だということを意味するのではありません。彼は「その人のために戦うことのできる友」をつねに自分自身のために求めているのです。

友のために戦うことが、彼にとってはこの世で一番楽しいことだからです。「友のために戦う」というこの願いは当然のことながらすべて満たされて「はい、おしまい」ということがありません。なにしろルフィーの友だちは物語の進行に合わせて増え続けているからです。この本質的に空虚な少年(「空虚」というのは「無尽蔵の包容力」ということです。ぜんぜん悪い意味じゃありません)が組織の中核にどんといるからこそ、麦わらの海賊たちは天下無敵の存在となっているのです。

 今の日本の若い人たちが『Onepiece』に熱中する理由の一つは、そこに彼らが現実の家庭や学校や職場ではまず見ることのできない「絶好調で機能している集団」を見るからでしょう。どうしてこの集団ではこんなにものごとがうまくゆくのか。それがただの「絵空事」であれば「ふん、気楽な話だね」で済ませられるでしょう。

でも、読者はそこの「絵空事」ではないものを感じています。たしかに『Onepiece』に描かれているのは空想の世界です。でも、枠組みは空想だけれど、そこで起きているさまざまな事件は現実の世界の出来事をある意味ではそのままに映し出している。そこに登場する人々は現実に存在している人々のいささか誇張された写像である。だから、この不思議な物語世界に若い読者たちは独特のリアリティを感じている。そういうことだと思います。

 一番読者が惹きつけられているのは麦わらの海賊団の組織原理でしょう。どうして、この組織はこんなにうまく機能しているのか。それが知りたい。

 そこではたしかに私的なものと公的なもの、個人と集団の歯車が理想的に噛み合っている。でも、それは現実の世界でも局所的部分的には実現可能なもののように思われる。だとすれば、それはどういう組織原理であるのか、どういうふうにこのような集団は形成されうるのか。それを知りたいと願う気持ちが、とりわけ雇用環境がはげしく劣化している日本の若い読者たちの間には、存在するのではないかと僕は思います。

そのような組織が「できあい」のものとして提供されるはずはないにしても、もし可能であれば自分たちで「手作り」できなものだろうか。そういう希望が『Onepiece』の読者たちの中にはきっと存在しているのだと思います。

 組織の中で、一人一人のメンバーはどのようなふるまいを通じて集団の一員として認知され、かつそのパフォーマンスは最大化するか。それについて見てみましょう。

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