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オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー

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宗教学者の大田俊寛氏(撮影:野原誠治)

オウムの教義は「馬鹿げている」の一言で済ませられるものではない

―著書でもお書きになっていますが、オウム真理教の教義は、にわかには受け入れがたいものです。にもかかわらず、当時多数の人々から支持を得ることができたのは何故でしょうか?

大田氏:オウム真理教の思想的な構造が、全体としてどのようなものであったのかを理解することが重要です。私は『オウム真理教の精神史』において、ロマン主義、全体主義、原理主義という三つの思想潮流からオウムを分析したのですが、さらに簡略的に図式化すれば、オウムの思考は、次のような「霊性進化論」の構図に則っていたと考えることができます。



簡単に説明すると、これは次のような構図です。人間は幾度も輪廻転生を繰り返し、霊性を進化させることによって、神に近い存在に進化していく。しかし他方、霊性の進化から目を背けて生きる人間は、動物的な存在に堕ちてしまう。そうした二元論的な世界観なのですね。私はこれを「霊性進化論」と呼んでいるのですが、このような思想はいつ成立したのでしょうか。

先ほども話したとおり、近代以降、キリスト教信仰は次第に影響力を弱めてゆき、それと対極的に、科学的なものの見方が広まっていきました。そしてその結果、人間は肉体の死を迎えてしまえば無に帰るのだといった唯物論的な死生観が、社会のなかで一般化していったのです。しかし他方、こうした「死んでしまえばすべてが無くなる」という見解では納得できないという人々も多数存在し、そうしたなかから、欧米の「スピリチュアリズム(心霊主義)」と呼ばれる動きが生み出されてきた。現在、江原啓之氏などの活動によって知られるスピリチュアリズムは、ちょうど宗教学の成立と同時期、19世紀後半に誕生したわけです。

スピリチュアリズムでは、人間の霊魂は永遠の存在であり、死後も霊界で生き続けると考えられているのですが、こうした思想を発展させたのが、神智学の創始者であるロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人(1831-1891)でした。彼女は、スピリチュアリズムの霊魂観をベースに、当時の最新の科学理論であったダーウィンの進化論、さらにはインドの輪廻転生論を結合させ、人間の魂は、輪廻転生を幾度も繰り返しながら霊性を進化させていくと主張した。また、チベットの奥地には、高度な霊性に達した「大師(マスター)」たちが集う「シャンバラ」と呼ばれる聖なる王国が存在するとし、そして世界は、こうしたマスターたちによって密かに教導されていると唱えたのです。

オウム真理教の教義のベースに存在していたのも、こうした神智学的な霊性進化論であったと考えることができます。ヨーガや密教の修行をすることで「霊的ステージ(霊格)」を向上させ、超人類や神人と呼ばれる存在に進化することが、その第一目標とされていました。また、教祖の麻原彰晃は、現在の人類のなかでもっとも霊格が高く、シヴァ神の化身やキリストであると捉えられており、麻原を中心に「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる政祭一致のユートピア国家を建設することが、オウム真理教の最終目的でした。

しかし他方、世間には、オウムとは異なり、霊性の向上などには関心を抱かない人々もたくさんいる。そうした人々はオウムでは、次の転生において「地獄・餓鬼・畜生」といった下位の世界に堕ちることが運命づけられている動物的な存在であると見なされていました。先の図のなかで、「獣人」と表されているものですね。そしてオウムによれば、こうした動物的な人々は、高位の大師に導かれるのではなく、悪の秘密結社であるユダヤ=フリーメーソンに洗脳支配されたまま物質的欲望にまみれ続けており、同時に、神人を目指しているオウム教団を不当に弾圧する存在であると考えられていた。そこでオウムは、動物に堕ちていくしかない人々の魂を一挙に「救済=ポア」するため、サリンを用いた大量虐殺を画策したのです。もちろんそれは、オウム教団にとって都合の悪い人間たちを粛清するという行為に他ならなかったわけですが。

このように、オウムの世界観はきわめて幻想的で荒唐無稽なものだったのですが、しかし、同時代を生きたわれわれにとって、果たしてこれが自分とは無関係であると本当に言い切れるのだろうかと、疑問に思われる点があります。

―お話いただいたような荒唐無稽な教義と、当時の社会状況のあいだには、どこか通低するものがあったのでしょうか?

大田氏:これまでお話ししてきたことと重なりますが、まず、オウムと同時期のアカデミズムにおいては、「ポストモダニズム」と呼ばれる思想が流行しており、そこではしばしば、適切な批判的態度を欠いたまま、ニーチェを礼賛するという風潮が見られました。ニーチェの主著である『ツァラトゥストラ』のなかには、「人間は動物と超人の間に張り渡された一本の綱である」という言葉があります。ニーチェは、功利主義的で教養俗物的な生き方に自足した現代人を「畜群」と呼んで蔑み、他方で、世界生成の有り様を肯定し創造的な生を送ることのできる存在を「超人」と呼んで礼賛しました。もちろん、オウムのそれとは意味合いを異にしていますが、そこでもまた「動物か超人か」という二元論的思考が成立していた。その思想は歴史的には、ナチズムの世界観や人種論に強い影響を及ぼしました。同様に、日本のポストモダニズムにおいても、人間は強度に満ちた生き方をすることによって「超人」的な存在になりうる、あるいは、工学的管理の徹底によって「動物化」していくという、二元論的なレトリックが幅を利かせていたわけです。

また、アニメや漫画などのサブカルチャーにおいては、主人公が何らかの経験によって超常的な能力を獲得し、それによって世界を救うというストーリーは、ごくありふれたものとして存在していました。『機動戦士ガンダム』に描かれた「ニュータイプへの覚醒」というものはその典型例でしたし、『ドラゴンボール』のような少年漫画においても、主人公が「修行」することによって超人に生まれ変わるという物語は、お決まりのパターンの一つでした。私より少し前の世代に流行った特撮番組に『レインボーマン』という作品があったのですが、そのストーリーは、インドの山奥で修行してヨーガの超能力を身に付けた主人公が、悪の秘密結社と戦うというものだったそうで、これに影響を受けたオウム信者は多かったと聞いています。そしてTVの特番でも、ユリ・ゲラーの超能力、矢追純一のUFO論、五島勉のノストラダムスの大予言など、オカルトを自明の事実として扱うような内容のものが数多く放送され続けていました。

加えて、受験勉強を中心とする学校教育においては、偏差値という単線的な尺度で人間の価値が計られる状態になっていましたが、こうした発想は、「霊的ステージ」で人間を差別化するオウムの思考法と類似してはいなかったでしょうか。最近ツイッターを介して教えていただいた話なのですが、当時の受験産業においては、受験戦争を勝ち抜くための能力開発という名目で、ヨーガの実践が推奨されることがあったそうです。ヨーガの修行によって体内の「チャクラ」を開けば、潜在的な能力が覚醒し、急速に頭が良くなるといったものですね。オウム教団もその発端においては、「鳳凰慶林館」という名称の、能力開発のための学習塾だったのです。

こうした社会状況全体を考えてみると、オウムの教義は、「馬鹿げている」「自分には関係ない」という一言で済ませられるものではないと思われます。オウムが急成長を遂げた時期には、日本社会においてもまた、人間は超人的な存在になりうる、神のような存在になりうるという「全能幻想」が、色濃く漂っていたのではないでしょうか。オウムが、こういった社会全体の雰囲気から生み出されたものであるということを、忘れてはならないでしょう。

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