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- 2020年01月07日 21:02
「ゴーン氏逃亡事件」は「人権リトマス試験紙」
■右派・左派共通の「与党=検察」という誤解
前々回のブログ記事で、今回の「ゴーン氏逃亡事件」では、思想的な捻れ(ゴチャマゼ)現象が起こっていると指摘した。右派が左派的意見を述べたり、左派が右派的意見を述べたりする捻れ現象が生じていると書いた。モリカケ騒動では、安倍総理が無実を証明するのは「悪魔の証明」だと言い、野党やマスコミから安倍総理を擁護していた人々(私も含む)が、なぜかゴーン氏に対しては、同じマスコミの意見を鵜呑みにして批判的な立場を採っている場合がある。
逆に、モリカケ騒動では「悪魔の証明」をスルーして、安倍総理を批判していた人々が、なぜかゴーン氏を擁護したり、批判したりと、てんでバラバラでブレまくりという不思議な現象も生じている。
こういう捻れ現象が発生する原因は、おそらく、右派・左派共に「与党=検察」という思い込みがあるせいだろうと思われる。
左派は、検察を擁護する人は親安倍、検察を批判する人は味方だと思い、逆に右派は、検察を批判する人は反安倍、検察を擁護する人は味方だと思っているようなフシがある。
■右派(保守)が国家権力を批判する理由
左翼の人々にとっては、自分達の“革命”を邪魔する国家権力は全て敵ということになってしまうので、当然のことながら、警察や検察は敵ということになってしまう。では右派はどうだろうか? 右派と言うより保守は、時と場合によっては国家権力を批判することがある。その理由は、国家権力が暴走すると、国家の威厳が失われてしまうという公的な理由と、不正義や不条理、人権無視や悪平等といったものを基本的に嫌う個人的性質を持っているからである。もっと簡単に言えば、道理に合わないことに抵抗感を感じるからだとも言える。
国家権力に抵抗するのが左翼、国家権力を礼賛するのが右翼、国家権力の暴走を監視するのが保守、この違いがある。本来、国家権力を監視するのはマスコミの役割だが、日本ではマスコミ自体が国家第一権力になっているように思えるので、あまり期待できそうにない。
「ゴーン氏逃亡事件」は、その行為のみに焦点を絞り、単純に「悪」と判断する人が多い気がするが、この事件の水面下には「人権」という重要なテーマが横たわっている。この2つは、それぞれ別に考えなければいけない。海外の人々は、それが解っているのでゴーン氏を擁護している人が多いのだが、残念ながら日本ではそこまで目が届かない人が多いようだ。
「ゴーン氏逃亡事件」は、普段からその人物が「人権」というものをどう認識しているのかを知るリトマス試験紙の役割を果たす事件とも言えそうだ。