昭和の臭いがする部分はイラネ
それにしても、柳沢の提案に反発が出てしまうのは、その昭和テイストだろう。
一番ツッコミが多いのは「シチューを作って待っていてくれる彼女」だ。
そんなとき、シチューをつくって待っていてくれる彼女がいたら、「このまま一緒にいようか」となります。結婚が早くなるのです。
昭和・平成のぼくでさえ、先ほど述べたような状況だったから、「彼女」(現つれあい)もいたが遠距離だったし、そのオンボロ下宿に「彼女」がたまに来てもシチューを作って待っていてくれたことはなかった。だいたいガスがないからシチューなど作れない。「彼女」が来ているときに仕事から戻ると、「彼女」は部屋にあったマンガを布団に入って読んでいるのが相場だった。特にシチューを食べるような冬場は、部屋にロクな暖房器具がなく(電気こたつのみ)、部屋の温度は氷点下近くに下がるために、布団に入っているのが一番暖かかったのである。
なぜなら母親が自分のためにつくってくれる食事が、一番いいに決まっているからです。
いやいやいやいや。
20代のあの頃、家の食事から解放されてせいせいしていた。朝食や夕食を決まった時間に、一方的なメニューと量で食わせられて、本を読みながら食べていると叱られた――というのが(罰当たりながら)あの頃の「母親が自分のためにつくってくれる食事」のイメージであり、そういうものから逃れて一人暮らしになり、夕食なのにポテトチップスとワインだけで、こたつでマンガを読みながら食べられるようになった。「一人暮らしサイコー!」だったのである。
それは不遜ではあるけども、何か独立不羈のような心を自分の中に作った。
脱ぎ捨てたパンツも、いつの間にかキレイに洗濯されて“自然に”タンスに入っているし、トイレットペーパーも“自然に”補充されている(笑)。誰かがそれをしている、ということに思い至ることはありません。
しかし、1人暮らしでパンツを脱ぎ捨てて出かけたら、帰るとそのままの形で部屋にぽつんと残っている。イヤですよね。
「イヤ」じゃねーよ。
うちの娘は、脱ぎ捨てたくつ下を洗濯機に入れるよう厳しく言われている(いた)が、もし彼女が独り立ちすれば、それをうるさくいう人はいない。ヒャッハーなのである。
童謡の「赤とんぼ」に歌われているように、15でねえやは嫁に行きましたし、最初の東京オリンピックの頃、集団就職列車に乗っていたのは中学を卒業した15歳の少年少女でした。数十年前までは、中学を卒業すると独り立ちをしていたのです。それが今は18歳。決して早いということはありません。
ところが日本の若者の場合、「落ちるかもしれない」という不安があるために満足感が低い。生活水準とその満足度は、必ずしも一致するわけではありません。むしろ大切なのは、「自分の力で生活水準が上がっている」という実感です。階段を上っていることを感じられれば、何かをやろうという気持ちも生まれます。
おかしいですね、内閣府の「国民生活に関する世論調査」(2019年6月)では、「現在の生活に対する満足度」は若者(18-29歳)は「満足」「まあ満足」あわせると85.8%もいるのに、「集団就職列車」に乗って行ったとおぼしき70歳以上では71.3%しかないのですが……。

全体的に柳沢の話には、こうした昭和テイストがつきまとう。
「母親の食事」とか「シチューを作る彼女」とか「男の子には特に響く」とか、性別役割分担が前提になっている。
都心にも、風呂なし、トイレ共同といった物件はたくさんありますし、そういった物件は「バストイレ付き物件」と比べると、たいてい3~5万円ほど安く借りることができます。
まあ、これはブコメにも多いのであるが、どんどん減ってきている。
かつてこのような古い木賃アパートは貧困な単身高齢者の住宅の受け皿になった。しかし取り壊しが進み、次々に消えている。ぼくが住んでいたアパートもすでに今はない。(さっき、東京都内で「風呂なし」、5万円以下で検索したら59件ヒットした。まあ「多くはないが、なくはない」といえるだろうか。)
「結婚できるか」を悩むなら、家から出した方がいい
これは最近も「子供部屋おじさん」問題で話題になったテーマだが、「『未婚継続』と貧困には強い結びつきがある」と社会福祉学者の岩田正美はいう。
たとえば20代男性は年収500万円を超えると、30代男性は年収300万円を超えると、既婚率が50%を超える。つまり近年の晩婚化・非婚化は、結婚したくない男性が増えたために生じたというよりは、フリーターや無業者が増える中で、結婚したくてもできない人が増えたために生じたと言えるのではないだろうか。(岩田『現代の貧困』ちくま新書、2007年、p.147)
岩田は貧困と未婚継続の結びつきの原因について、貧困だから結婚できないという問題と、未婚のまま親元から独立するとかえってお金がかかってしまい、貧しくなるという問題の2つを挙げている。
後者について、岩田は次のように述べている。
貧困の「抵抗力」としての家族の役割を考えるとき、視野に入ってこざるをえないのが単身世帯の「不利」な状況である。一人で暮らすより二人で暮らす方が家計の節約になるとか、二人で働けば収入が増えるということは言うまでもない。バブルが崩壊してリストラが増大する中で、妻が再び仕事をするようになった世帯も少なくないだろう。
また、都市部で特に高額となる家賃も、家族で暮らせば1人当たりの負担率は小さくなる。公共料金も節約できるし、家族を対象とする所得税控除も見逃せない。一定の年齢になれば子どもが親元から独立するのが普通だといわれるヨーロッパでも、不況になると子どもが実家に戻ってくることがあるという。これなども、家族による家計の節約例ということになろう。こうしてみると単身世帯は本来、経済的な豊かさがないと成立し得ないものなのかもしれない。(岩田前掲p.156、強調は引用者)
一人暮らしをさせることは、家族の支えがあるなら「ぜいたくな実験」であるのが本来の姿だろう。
そのへんの事情を考慮しないで「説教」をしてしまうと反発を生んでしまうのではないだろうか。