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漫画「鬼滅の刃」の奇妙な迫力を解説する

去年の後半あたりから爆発的に売れ始めた漫画「鬼滅の刃」は、一見少年ジャンプ連載にありがちなバトルものの典型に見えるが、通読してみると、紙面から匂いたつ独特の感覚に驚かされる。

物語の展開は並一通りで退屈だ。

簡単に言って、永遠の生命を望む「鬼」の一族と敵対する超人的な能力をもった鬼狩り達の闘いであり、これと言って特に目新しい要素はない。

主人公が能力を高めながら異能をもった仲間たちを集め、強大化する敵を打倒していく、という展開に希少アイテムや能力の覚醒を絡めていくのがバトル漫画の王道であり、「鬼滅の刃」も大筋ではこの「テンプレ」を踏襲している。

この漫画の真骨頂は、しかし、物語の展開や能力の段階的覚醒(によるカタルシス)にあるわけではない。(魅力の一つではある。)

作中、人間を捕食し生命を永らえる「鬼」と自分の生命を危険にさらし、生命を落としても(そして実際あっけなく登場人物が次々と死んでいく)人間を守る「鬼狩り」の価値観の違いが執拗に語られることも独特だが、何といっても「鬼」の側に価値観の転換が発生し、「生命を捨てる」という救済が描かれる点にこの漫画の迫力の源がある。

例えば、上弦の六の兄妹の鬼「堕姫」と「妓夫太郎」の話。
遊郭の最下層に生まれた両親のいない兄妹は、極貧のうちに仕事上の失策から妹が焼き殺され、その復讐を試みた兄が斬殺されるという経緯から、恨みを抱いたまま「鬼」になったものの、主人公(竈門炭治郎)たち「鬼狩り」に成敗される。

成敗された後。
首だけになった兄妹は「鬼狩り」との闘いにおけるお互いの戦略ミスをなじりあう。
なじりあううちに兄鬼は妹鬼に言い放つ。

「お前みたいな奴を今までかばってきたことが心底悔やまれるぜ」
「お前さえいなけりゃ、お前なんか生まれてこなけりゃ、良かっ」
ここで、兄妹鬼を倒した主人公が口をはさむ。

「嘘だよ。」「本当はそんなこと思っていない。全部嘘だよ。」
「お前たちに味方してくれる人なんていない。だからせめて二人だけはお互いを罵りあってはダメだ。」

兄鬼は人間であったころを思い出し、いかに妹を愛していたかを思い出す。
「俺みたいなのが兄じゃなかったら、お前はもっと違った美しい人生を歩めただろうに。」
兄妹は二人であの世に堕ちる。
(96、97話「何度生まれ変わっても」)

恨みを抱いて死ぬ人は鬼になる。鬼は鬼狩りに会い、人として死ぬ。
鬼狩りもまた闘いに敗れて死ぬ。力及ばず倒された鬼の成敗を後続の鬼狩りに託して死ぬ。

託し続けた鬼狩りの思いの力が最終的に行き着く場所は、始まりの鬼ですべての鬼の中心たる敵ボス(鬼舞辻無惨)だが、この敵ボスは人間のころの感情が一切残っていない。

敵ボスと鬼狩りのリーダーが対話する場面がある。
敵ボスが永遠の命を手に入れるために闘ってきたが、その算段があらかたついた、と宣言するのに対し、鬼狩りリーダーは永遠は固有名詞に与えられるものではない、どうやっても続いていくものは人(鬼狩り)の思いだ、お前はそのつながれ続けた人(鬼狩り)の思いを一手に引き受けなければならない、と残酷に言い放つ。
(137話「不滅」)

人として死ぬことは永遠の安らぎだが、鬼として永遠に生きることは妄想だ、というテーマは鬼が人に戻らずに鬼のままあっけなく死ぬ話がところどころで挿入されることで、本作の副旋律となって彩りを与えている。

本作ではもう一段奥行の広いテーマが提示される。
それは人とは何か?鬼とは何か?という主題で、これは「響凱」という鬼の顛末に端的に表わされている。

「響凱」との激しい闘い中で、主人公の鬼狩り、竈門炭治郎は舞い落ちた手書きの原稿を足で踏むのを躊躇し、それを避ける。
理由はそれが誰かが精魂込めて描いたものだと直感したからだ。
竈門炭治郎は手書きの原稿を意志的に避けることで、結果的に新しい技の動きを身につけ、「響凱」の攻撃力を削ぎ、これを倒す。
(25話「己を鼓舞せよ」)

この手書きの原稿が鬼の「響凱」と人間らしさを結びつける紐帯として現れることで、この話はまとまる。

手書きの原稿は「響凱」が人の影の残っていたころにものした作品で、これがぞんざいに扱われ、けなされることで、憎悪が深化し、鬼化が進行したという経緯をもつ。
「響凱」自身その実力を認める竈門炭治郎が自分の残した作品に敬意を表す(踏まない)。
この所作は「響凱」の人間への回復を促進し、結果的にいくらかの安らぎのうちに死を迎えることを可能にする。

精神科医で哲学者の木村敏によれば、「人間らしさ」は客観的なものと主観的な経験の共生関係のうちに成立するという。
この共生関係が破綻したとき、顔(客観的事物)から表情(のイメージ)が読めなくなったり、鉄の塊(客観的事物)から重み(のイメージ)が感じられなくなったり、高い木(客観的事物)から高さ(のイメージ)が抜け落ちて感じられたり、といった事物からアクチュアリティ(なまなましい現実感)が脱落する事態に陥る。

蛇足ながら、フッサールの「連続性の統一」という概念も、共生関係と同じことを「音楽のメロディ」を素材にして説明している。

ある単音が聞こえ、次の単音が聞こえてくるときには、前の音は物理的に消滅しているため、現在を点のような瞬間的連続として想定すると、ただ単音だけが聞こえ続けるはずなのに、私たちはすでにない音を含めたメロディという音の関係性を知覚する。

これは人間が音という客観的モノからイメージを抽出し、なまなましい現実感覚に接続するオートマチックな機能を所有していることを意味する。

「響凱」の原稿はただの事物(紙)ではない。そこには濃厚なアクチュアリティが閉じ込められている。(客観的なモノとなまなましい現実感の間に共生関係ができている)
主人公は「響凱」にそのアクチュアリティを提示し、人間性を思い出させる(共生関係を再構築する)ことで、やすらかな死にいざなう。

一般的に言って、本作の最大の魅力は主人公、竈門炭治郎のキャラクターにあるといえるだろう。
彼は敵を倒す、というよりも、敵が人間性を回復する道筋を与える、という役割を担う。

それは簡単に「慈悲」といっても良い。
どんなに自分や仲間が攻撃され、傷を負わされても、敵に人間への回復をたどる道筋が見えていれば、それを手助けする。

魂を殺す鬼の襲撃を受けたとき、夢の中で竈門炭治郎の魂を殺しに来た暗殺者が彼の魂に遭遇して、「何という美しさ、どこまでも広い、暖かい」と呆然自失してしまう場面がある。(57話「刃を持て」)

竈門炭治郎は彼の仕事(人間性の回復)を意識的に遂行しているわけではない。
基本、敵と戦闘中は殺すこと、自分が生き残ることだけを考えて行動する。
ただ、彼の身体が激しい戦闘の極限状況下で敵の私的世界に接触したとき、それ(慈悲)が漏れ出し、現れてしまうのだ。

私たち読者はそこに深いカタルシスを感じる。
なぜなら、私たちの人間性を保証するものは、定量化できる客観的なモノ(HP、戦闘力、MPなど強さのメタファーを含む)にあるのではなく、それとなまなましい現実感を接続する手ごたえ、それを可能にする身体(記憶)にあるのであり、それ(アクチュアリティ)が開示されたとき、祝福が舞い降りることを知っているからだ。

蛇足
個人的には鬼舞辻無残は竈門炭治郎以上に興味深い。
鬼舞辻は人間らしさを完全に失った鬼だが、ほかの同様の鬼のようにあっけなく死ぬことを許されないだろう。
鬼舞辻が完全勝利し、鬼狩りが死に絶えた場合、鬼舞辻にとって救いようのない永遠の地獄(退屈)が口を開ける。
竈門炭治郎(作者)は、鬼舞辻をどのような結末に導くのか、興味は尽きない。

蛇足2
「鬼滅の刃」の習作である「過狩り狩り」では、西洋の鬼と東洋の鬼と鬼狩りの三つ巴の戦闘が描かれていることから、ジャンプ編集部の方針によっては、西洋の鬼を差し込んで連載を継続させる方向に向かう事も考えられる。

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