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拝むものが無くて合理性を拝む迷える子羊

ネット言説における「合理性」信奉 - 道徳的動物日記
 
 リンク先のブログは『道徳的動物日記』という、私の好きそうな語彙が集まった名前で、しかも冒頭に「このブログは利益や金銭目的ではなく人々に対する啓蒙のために書かれています。ありがたがれ。」と記されているので、安易にリンクを飛ばしてはいけないと前々から思っていた。
 
 ところが今回の合理性信奉の話が好きすぎること、筆者のDavidRiceさんが「まとまりのない与太話になってしまった」とはてなブックマークでコメントしているのに勇気づけられて、自分のブログでもっとまとまりのない、自分っぽい与太話をやりたくなってしまった。
 
 *      *      *
 
 リンク先の記事は、安易で浅薄な合理性信奉は、不毛で、異様で、ポジティブ心理学や徳倫理学からみて的外れもいいところとなかなかに手厳しい。「コスパ最高!」「合理的選択ができるアタクシってば素敵!」とうぬぼれている人々に冷や水をぶっかけるような内容だ。
 
 私もブログで、イージーな合理主義や効率主義のうさんくささについて書いているし、私が信奉するのは合理主義ではなく仏教の縁起説なので、リンク先の合理性信奉にたいする辛辣さは心地良くすらある。
 
 反面、私も合理主義や効率主義にはだいぶ入れ込んでいるというか、習慣や通念のレベルではそれらに服従しているのを認めないわけにはいかない。
 
 私はスケジュールに正確であるよう努めているし、ソーシャルゲームのレベル上げを単位時間あたりの生産性や収益性で考えてしまう。仕事中はともかく、娯楽と向き合っているときぐらいもっと自由に、理不尽に、豪快に遊んでしまってもいいだろうに、それができない。それぐらい、合理主義や効率主義が身に付いてしまっている。
 
 私が合理主義や効率主義を拝まずに済んでいるのは、私がそれらを目的ではなく手段とみなしているから……ではない。合理主義や効率主義を(浅薄に)ありがたがってしまわずに済んでいるのは、私には予め信奉すべき宗教があったからだと、私は思う。
 
 如是我聞、仏教の因縁・縁起の話は娑婆世界のメカニズムをよく説明していて、仏教の戒律は執着と折り合いをつける良い方法だ。それらに比べると、合理主義や効率主義は、少なくともそれらだけでは、娑婆世界のメカニズムや執着との折り合いのつけかたについて教えてくれない。愚直に合理主義や効率主義を追いかけた果てには、むしろ執着の強い、業の深い境地があるようにすら思える。
 
 合理主義や効率主義は、ある種の方便としては有用だけど、とうてい、拝めるようなものではない。
 
 ただ、日本のインターネットでしばしば見かける合理主義や効率主義の信奉者を見て思うに、彼らには私にとっての仏教に相当するものが無いのではないだろうか。
 
 「偶像を拝む者は何も知らない」という言葉もあるけれども、そもそも拝むべき偶像すら無ければ、人は何かを拝まずにいられなくなって、どうやら自分にとってありがたいと思えるものを遮二無二拝んで、偶像化してしまうのではないだろうか。  
 [関連]:“崇拝欲”とどう折り合いをつけていくか――ホメオパシー問題に関連して - シロクマの屑籠
 よその国ではいざ知らず、日本では宗教が希薄化した、みたいなことが言われる。大晦日や初詣に寺社が賑わうのをみるに、実はアニミズムはちゃんと生き残っていて、人々は崇拝欲をそれなり持っているようにも見受けるけれども、合理主義や効率主義をありがたがっている人々にとっては神は死んだも同然だろう。
 
 さりとて、合理主義や効率主義で神を殺してみたところで、人間の崇拝欲がなくなるわけでもなく。安易に神を殺してしまった人、そもそも神をどこにも見いだせない人は、それでも崇拝欲を充たしてくれる対象をどこかに見出さなければならない。
 
 それが、人によっては科学崇拝という形式をとることもあれば、ニセ科学崇拝という形式をとることもあれば、スパゲッティモンスター崇拝という形式をとることもあれば、合理主義崇拝や効率主義崇拝という形式をとることもあるとしたら……まあいわば、それって迷える子羊なんじゃないのかなと思ったりもする。
 
 人間、拝みたいものを拝めばいいのだから、拝んでいろよ、拝ませてやれよ、みたいな気持ちも無くはない。その一方で、崇拝欲の脳内アドレスにテキトーなものを突っ込んでありがたがるのは危なっかしいことだと思ったりもする。自分のアタマで考えてテキトーなものを突っ込んでありがたがるぐらいなら、がっしりとした宗教、先祖代々の宗教を予め割り当てておいたほうが無難だという気持ちがどこかにある。
 
 アニミズムや宗教を殺したまでは良かったけれども、そこから自由という名のもとに合理主義や効率主義を拝み倒すに至った人たちは、他に拝めるものを見つけられなかったのではないだろうか。

 *     *     *  
 
 我ながら、ヤマもオチもイミもない与太話を書いてしまった。
 
 私は、自分自身が厚みのある人間観や幸福感を持てる人間だと思っていない。勉強して独自の境地にたどり着ける人がいるのを認めたうえで、私は仏教という名の大樹にもたれかかりながら自分のアタマで考えるふりをしている。もし仏縁に恵まれなければ、私も道具を拝んだり飴玉を拝んだりしていたかもしれない。だから、そういった神仏に恵まれぬ人のありようを、ちょっとだけ弁護したくなる、こともある。
 
 ここで、神仏を殺して衆生を路頭に迷わせたのは誰だったのか思い出したくなったけれども、そろそろ除夜の鐘の時間なので今日はこのへんで。煩悩無量誓願断。

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