フィンランド動物園も失敗しているようですね
さて、そんな折、ちょっと驚くようなニュースが飛び込んできた。
forbesjapan.com
フィンランドの合計特殊出生率がものすごい勢いで低下しているのである。
フィンランド動物園も、人間の繁殖に失敗しているみたいですね。
北欧諸国は、しばしば社会制度の優等生、見習うべきロールモデルとして語られることが多い。フィンランドもそのような国のひとつだったはずである。そしてフィンランド以外の北欧諸国が一定の合計特殊出生率を保っているとはいえ、その数字は2.1をだいぶ下回っている。ほかの先進国もおおむねそうだし、実のところ、出生率がすごい勢いで下がっている国は途上国にもたくさんある。韓国、台湾、シンガポールあたりの合計特殊出生率は、完全に人間の繁殖に失敗した動物園といわざるを得ない。経済は発展しているかもしれないが、人間が繁殖できる環境とは言い難く、私なら、それは人間が疎外されやすい環境ではないかと言いたくなる。
人間は動物であるだけでなく、経済的主体だったり法的主体だったりするから、動物としての失敗が人間の失敗と言い切ることはできない、と言う人はもちろんいるだろう。
それでも私は、人間は経済的主体や法的主体である前に、まず動物であり、まず有性生殖生物であるとみなしているから、繁殖という、最もプリミティブな営みが困難になっていたり、おざなりになっていたり、過小評価されていたりする社会環境は不適切であろう、と思う。人間が強制的に繁殖させられるのは悪夢としても、主体的に繁殖したくなるような環境を整えるのが、日本動物園だったり東京動物園だったりフィンランド動物園だったりの運営者の使命ではないかと思う。言い換えれば、有権者である私たちの使命ではないだろうか。
繰り返すが、ときの首相は少子化を「国難」と評した。この国難は、日本、ひいては東京という人工的な環境が人間の繁殖に適さないがゆえに起こっているものだ。
何がどう適さないのか十分に精査したうえで、安心して人間が繁殖できる環境を取り戻せるよう、私たちは環境に働きかけていかなければならないのだと思う。それこそ、シロクマの繁殖につとめている動物園の飼育員のように。