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大停電を選択する社会にしたくない

未読の人は「厳寒の北海道と今の自分を他人事にしない」を読んでください。当エントリーは上記を読んでいることを前提にしています。

1.

「厳寒の北海道と今の自分を他人事にしない」において、今冬、北海道の電力状況に大いなる不安があることを、北海道在住者の数々の発言を根拠に指摘しました。冬場の北海道で大停電が発生したら、多くの人命が奪われかねません。これが原発のない北海道の状況です。
もし電力は余っていると主張するのであれば、北海道のかたを安心させるためにも確たる根拠を示すべきですし、誰かが電力を隠しているとするなら、すぐにでも電力を開放させる活動をしなければ間に合いません。

この冬の北海道の問題について、考えたくない、考えたこともない、考える必要はない、新たな原発事故より大停電のほうがよいという姿勢は、自分さえよければ他人がどうなろうとかまわないと言い換えられることを、胸に刻まなくてはならないでしょう。
また再稼働反対の大義の前に、北海道の「かもしれない」状況など頓着していられないというのも、自己中心的と言わざるを得ません。

2.

これは北海道に限った話ではありません。

当ブログで何度も指摘したように、大停電ではなく計画停電の場合でもエレベーターやエスカレーターは止まり、たかだか垂直に数メートルの移動が、怪我人、病人、老人、障害者にとって苦痛のみならず不可能になりした。
公共施設などだけでなく集合住宅でも移動が難しくなるのです。たとえば、二階以上の階で暮らす弱者は、外へ出ることができなくなり部屋に缶詰になり得るわけです。大停電が二日以上、続いたらどうなるでしょう。

ある人から「知り合いが透析をしていますが、停電だとどうなるのでしょう」と問われ、透析の実情がわからないため具体的に答えられませんでした。しかし、すくなくとも人工透析をするための医療器具は動かなくなり、場合によっては患者が危険な状態に置かれることは想像できます。(すべての医療機関に、緊急時の自家発電装置があるわけではありません。あったとしても、長時間稼働できる保障はありません。また、自家発電装置が故障することもあるのです)

さまざまな産業も電力がなければ死ぬも同然です。

ここに挙げたのはほんの一例にすぎません。
それでも、考えたくない、考えたこともない、考える必要はない、新たな原発事故より大停電のほうがよいという姿勢の人が存在するのが現状です。

3.

かつてこの、考えたくない、考えたこともない、考える必要はない、大義の前に個別の問題に頓着しないといった姿勢が、原発を電力の大消費地から遠い地方へ押し付けてきたことを忘れてはなりません。

私たちは何が起こるかすべてを知らなかったとしても、原発が制御不能になったとき、配管等が故障したとき、放射性物質が拡散したり放射線が漏れることを理解していました。
理解していなかったのなら、スリーマイル島やチェルノブイリの事故も知らなかったことになります。そればかりか、国内の原発で配管に亀裂がみつかるなどした事故の報道さえ、目にしていなかったことになります。このような大人がいるとしたら、恐ろしいくらいの無関心としか言いようがありません。

しばしば「直感的な、放射線や原発への不安」と言われ、これが反原発の動機ともされますが、原発事故の可能性を背景にした「直感的な、放射線や原発への不安」は前述のように福島での事故にはじまったものではなく、それ以前に誰しもが抱いていたものだとわかります。
これは、国民の大多数が「危なっかしい」と知りながら原発を都市から離れた地方に置いてよしとしてきたことを意味します。電気を消費する土地の人は、無関心というかたちで、原発がある土地の人を見捨てていたとも言えます。

つまり、電力が必要だとする大義の前に「原発が地方にあるのはしかたない」としたのは国や電力会社だけでなく、多くの国民も同じでした。
いまさら国や電力会社に騙されていたと一方的に言うのは、自己正当化の誤摩化しでしかありません。

4.

反再稼働を語るなら、原発が止まったあとが想定されていなければなりません。
そこには「原発が動かないことによる電力の不足」の可能性があり、これは切り捨ててよいものではないはずです。
原発に対して最悪の事故を危惧するのであれば、電力の受給状態にも最悪の事態を想定しなければ釣り合いが取れません。
止まったままになったあとどうなるかも考えず、「止める・動かさない」とだけ主張するのはおかしな話です。

このことを当ブログでは、原発を止めたままにするなら「では、どうする」と原発以外の代案がなければ現実的ではないだろうと書きました。
すると、代案を問われることや、代案を提示することなどナンセンスであるという人がすくなからず現れました。

メルトダウンの危険性があるから、「そんなつまらないものは考えていられない」ということでしょう。

この「また原発が事故を起こしたらどうする」という問いは、「電力不足によって人が死んだらどうする」という問いと一対のものであることは、「厳寒の北海道と今の自分を他人事にしない」に挙げた例を見ればわかるはずです。
(繰り返しになりますが、電力不足などないから人が死ぬ可能性はぜったいないとするなら根拠を示し、隠されている電力があるとするならすぐにでも電力を開放させる活動をしなければなりません)

「電力不足によって人が死んだらどうする」は、根拠薄弱なものではありません。
首都圏が経験した昨年の計画停電では、震災直後の春先にも関わらず、エアコンによる室温調整ができないため体調を崩す人が現れ、持病を患っている老人は病気が悪化するなどして秋口に亡くなったという証言があります。
また、夏場の非常に厳しい節電要請に従って、熱中症になった人もすくなくありません。
この例からも、電力が不足する事態(特に大停電)は人の命を奪う可能性がとても高いと言えます。

再稼働を一切認めないことで「新たな原発の事故を防ぎ、安全は守らなければならない」とする主張があるのは前述の通りです。
これは同時に、大義が実現できれば「電力不足によって人が死ぬことがあってもかまわない」という選択であることを忘れてはなりません。
再稼働を一切認めないとする立場で発言や活動をする者、さらに賛同する者は、「電力不足によって人が死ぬ可能性を容認している」と明言できるでしょうか。

もし、電力不足で人が死ぬ可能性を感じながら、これを明言しないのなら卑怯です。
また、電力不足で人が死ぬ可能性への覚悟がないまま、ただ反再稼働だけを連呼するなら無責任です。
さらに、原発事故によって人が死ぬ可能性は想像できても、電力不足で人が死ぬ可能性が想像できないのなら、所詮は他人事ということになります。
亡くなる人がいたら、また国のせいだ、電力会社のせいだと一方的に責めるのでしょうか。

原発事故はごめんだが、電力が途絶え人が死ぬのも困る、とするなら悩まなくてはなりません。これはかなり難しく、白か黒かと簡単に割り切れる問題ではありません。
ひとつ言えるのは、電力がなくて死ぬ人の命は、「そんなつまらないもの」として片付けられるものではないことです。
このような理由から私は、「電力不足によって人が死んでもかまわない」とは口が裂けても言えないという立場を取っています。また「産業が混乱しても問題ない。賃金や職を失う人がいても当然」とも言えません。

代案を考えるとは、この一連のプロセスです。
代案が見つからないというのも、答えとしてあり得ます。
ただし、代案を考えるのがナンセンスとするのは、原発だけを見ていて、現実の社会とそこに生きる人をまったく見る気がないと自己表明しているにすぎません。

現実の社会とそこに生きる人を無視するのは、福島の原発で事故が発生する前、電力がふんだんに使える生活だけを見ていて、福島のみならず原発がある土地の人のことや、低賃金と過酷な環境で働く原発労働者などどうでもよいとした態度と酷似しています。

5.

大義を取り大停電のほうがよいと言う人は、電力供給という大義を取って原発を地方に押し付け涼しい顔をした人と、似ています。どちらも、手のひらで大きくすくい取った指の間から、こぼれ落ちる人々がいます。
これがまずいことであると思い知らされたのが、東日本大震災と原発事故以降だったのではないでしょうか。

「まあ、ちょとの我慢だよ」と、大停電になったら静かにひっそり暮らせばよい、自分にはそういう生活ができるとするのは、たいへん思い上がった考えです。

先に書いた人工透析を必要とする患者。生命を維持するため終日、医療機器に頼らざるを得ない者。老人や病人にとってのエアコン。北海道の暖房。産業と産業に従事する人。など様々な人に、電気は欠かせません。
大震災直後から横浜の一部はかなり長時間停電しました。健康な若い男性でさえ、とても恐ろしい経験だったと耳にしました。私たち家族も、夜になって暴動や暴力行為が行われるのではないかと怯えました。仕事ができず困った人、会社や工場があります。留守番の小学生姉弟は、街灯さえ消えている真っ暗な家の外で泣いていました。
テレビは消え、ラジオではわからないものが多く、インターネットも止まり、携帯電話も基地局の停電で使えず、隣近所との関係が薄い世の中では孤立はいっそう深刻です。長時間停電の経験から、あんなものがまた繰り返され、24時間以上続くことなど想像したくもありません。

さらに、大停電や計画停電によって電力が使えなくなることを、エコな生活だ、精神的な生活だと自分勝手な勘違いをしている人がいそうなところが恐ろしいのです。

これでわかるように、大停電のほうがよいという言説は、自分があずかり知らない人を見捨てる言説だと言えます。
このような主張通り社会が形成されれば、大停電のほうがよいという社会になります。
大停電のほうがよいという社会は、社会という漠然としたものからあずかり知らないと無視された人たちが、電力からも見捨てられます。これは、原発がある土地の人を、この社会が見捨ててきたのと変わりありません。

現在、「電気が足りなくなった。さあ、原発ではない別の発電で行きましょう」とドラえもんのポケットみたいなうまい話があるのでしょうか。
一年の猶予期間に、火力、水力、太陽光、風力などの発電施設を新設できたとは思えません。メルトダウンより大停電と言う人は、この間に、夜のうちに充電して家庭用電力として使える電気自動車に買い替えましたか? 集合住宅などに巨大な自家発電施設をつくりましたか? もしあなたがこれらを導入していたとしても、同じようには購入できない人がいることは想像しましたか?

電力はライフラインです。ライフラインとは、まさしく命綱です。命綱にすがる権利は平等が原則です。
現在の状況は、これからの電力を考える好機です。
ライフラインである電力について考えるとき、誰かが「よし」とする大義によって個別の問題に頓着しないという態度はもうごめんです。
しかし、このエネルギーの新しいかたちを積極的に考えようとする機運は盛り上がっていません。短期的に無理であるなら、中・長期的にいかに構築するか、いまが出発のときであるはずです。

すくなくとも、大停電のほうがよいなどという社会にしたくはありません。
だから、個々が考えなくてはならないのです。
命綱をばらばらにしておいて、後は任せた、何かあったらリーダーのせいだ、と立ち去るのは許せません。

(他エントリーにも書きましたが、国や電力会社の姿勢について問題はない、とは考えていません)

【追記 2012.7.7 14:15】
国と電力会社は、なぜ「需要期の電力不足が懸念される」的な説明に終始するばかりなのでしょうか。
いま必要なのは、わかりやすい語り口で、丁寧に、具体的に、電力不足で懸念されることがらを、説明することです。
そして再稼働するなら、今後はどのようなビジョンの元に、エネルギー政策を舵取りして行くかが伴わなければなりません。

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