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会話が生まれる魔法のベンチ――イギリスの刑事が考案した「おしゃべりベンチ」 - 穂鷹知美 / 異文化コミュニケーション

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「誰かが立ち止まって、こんにちは、と声をかけてもよければ、ここに座ってください。」


この写真は、イギリスの公園のベンチの背もたれにとりつけられているプラカードです。今回は、このプラカードがもたらしてくれた(わたしが勝手に選んだ今年一番の)明るいニュースを紹介し、ここに映し出されていると思われる三つのテーマについても少し掘り下げてみてみたいと思います。

「おしゃべりベンチ」のはじまり

上のようなプラカードをつけたベンチがお目見えしたのは、今年6月、イングランド南西部の公園でした。それを発案したのは、20年以上エイボン・サマーセット警察に刑事として務めるジョーンズさんAschley Jonesです(以下敬称省略)。

刑事であるジョーンズがこんなベンチを考案したのは、詐欺師に25000ポンドを振込した未亡人にあったのがきっかけでした。その女性は詐欺師ではないかと疑ってはいたものの、それでも振り込みを続けていたといいます。というのも、その詐欺師が毎日のように電話をくれたことが嬉しかったからだ、とジョーンズに説明しました。

孤独だったこの女性にとって、詐欺師との会話は、彼女が求めていた「人との唯一の交流の機会」をつくっていたという事実をジョーンズは重く受け止め、人同士が交流することをなんとか促進しなくてはいけないと思ったといいます。そして彼が考案したのが、このような小さなプラカードをとり付けたベンチでした。

早速6月はじめ、いくつかの公園のベンチに小さなプラカードをとりつけてみました。その結果はどうだったでしょう。ベンチに座る人とそこを通りすがる人たちの間で、それまで声をかけあうことがなかった他人同士が、会話を交わすようになりました。なんの変哲もない公園のベンチが、知らぬ人どうしが話すきっかけをもたらすという、まさに「魔法のベンチ」になったのです。

この通常「おしゃべりベンチ Chat Bench」と呼ばれるプラカードをつけたベンチに、まもなく国内外のメディアの取材陣もおとずれるようになり、いつのまにか、ジョーンズ自身が驚くほど短期間で反響が広がっていきました。現在、イギリス全土だけでなく、イギリス、オーストラリア、カナダ、ドイツなど世界中に同様のベンチが設置されているといいます。

「おしゃべりベンチ」が示唆する三つの重要なこと

みなさんは、観光地かどこかで自分の写真をとってもらうのに、通りがかりの見ず知らずの人に声をかけようとしたものの、ひるんでしまった、という経験はないでしょうか。わたしはたびたびあります。

見しらぬ人に話しかけるのは、用事があるこのような場合でも(少なくともわたしにとっては)、らくなことではありません。ましてや、用事も特にないのに人に話しかけるのは、通常、大変な勇気やエネルギーを要するはずです。時間がないから、危ない人物かもしれないから、など、自分で話しかけるのを断念するための理由をみつけるのに一生懸命になることは簡単にできても、話しかける勇気やタイミングをつかむのは容易ではないでしょう。

それを考えると、このベンチの小さな仕掛けが世界的にすんなり広がっているという事実に、とても感心します。その感心の中身を少し細かく整理しみると、以下三つの特記すべき事項が含まれていると思います。

・簡単なしかけやきっかけが、時として、人が人に話しかけやすくする効用をもつ

・見知らぬ人どうしの関係性が、各地で類似している可能性

・世界的に現在、孤独に苦しんでいる人が多いという現実

以下、この三点について、それぞれもう少し踏み込んで考えてみます。

小さなしかけやきっかけがもつポテンシャルな効果

おしゃべりベンチの事例は、ささいなモノが、人々に常識のバリアを破る小さな勇気を与え、その人自身だけにでなく、まわりの人やそれをとりまく社会全体によい効果をもたらすことがある、それを立証する好例といえるでしょう。

このように、小さなしかけやきっかけが、人を躊躇させたり、あるいは逆に行動に踏み切る背中を押すようなキーとなる働きをし、人を慣習的な判断や行動と違う方向に導くことがあります。

これを行動経済学ではナッジ(Nudge)といいます。「ナッジ」は英語で「ヒジで軽く突っつく」ことを意味する言葉で、行動経済学では、人々を(社会で好ましいとされる)ある方向や行動に誘導・向かわせることができるものやことを、このように命名しました。

これは、ルールや強制的な措置のような、人々の意識を喚起したり拘束力をともなうものとは、全く対照的な目標を達成するためのアプローチです。最終的には人々の自発的な判断や行動にゆだねますが、その前に、望ましい結果に結びつきやすくなるようなナッジを周到に吟味し、最適の場所やタイミングにそれを設定します。

このような考え方に沿って考えていくと、人々の行動規範でなにかを変えたい時、そこでナッジとなるもものはなにか、どこにあるか、それを見極め、さぐりあてることが肝心、ということになるでしょう。端的なイメージとしては、社会に埋没しているスイッチさがしのようなものかもしれません。

うまく社会でなにかが機能していない時、なにかが悪いためとは必ずしもとらえず、社会にすでにあるいい機能が十分に作動していないのかもしれない。そう考えて、まずはその機能を作動させるスイッチをみつけて、スイッチをいれてみる。このアクションに関心や希望を集中させます。

もちろんナッジがすべての社会の問題に万能の解決策になる、というほど世の中単純なわけではないにせよ、ある困った現象に対して、悪いものはどこだ、それを削除しよう、改変しよう、というところを出発点にしたり、それに終始するのでなく、困った現象が生じにくくしたり、あるいは好ましい現象が困る現象よりも起きやすくする。そのように誘導することはできまいか、という発想は、息詰まりそうな思索に風穴をあけるものでしょう。それがささやかな労力で実行にふみきれることもおおきな魅力です。

路上のタバコのポイ捨てを減らすための工夫(的をつくって、そこに捨ててもらいやすくしようという意図がうかがわれる。オランダ)

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