- 2019年12月27日 15:40
【読書感想】「言葉」が暴走する時代の処世術
2/2太田:「伝える」ということでいうと、俺は相模原で起きた障がい者施設の殺人事件のことを思い出すんです。
山極:というと?
太田:あの犯人は、「障がい者には生きている価値がない」みたいな勝手なことを言っていた。人と言葉でうまくコミュニケーションできないような人たち、「何も表現できない人間」には生きている価値はないんだと。あの犯人の風貌を覚えていますか? 全身に入れ墨をして、整形もして、自己主張の塊みたいなやつです。変わっているとはいえ、言葉だって話す能力はある。だけど、彼を理解していた人は周りにどれだけいたんだろうと思うんです。ほとんどいなかったんじゃないか。
一方で、あの施設に入所していた人々は、言葉はうまく話せなかったかもしれない。でも、家族や施設の人たちと、ちゃんとコミュニケーションは取れていた。少なくとも、入所者の気持ちを、みんなでわかろうとしていた。周りとコミュニケーションが取れていたのは、一対どっちなんだという話です。それは言うまでもなく、あの施設の入所者たちのほうです。わかりたい、寄り添いたい、そう思う人たちが周りにいた。「伝える」ための小手先のテクニックを磨くより、周囲にそういう人たちがどれだけいるのか。そのことのほうが重要なんじゃないかと思うんです。山極:おっしゃるとおりだと思います。犯人こそ、自分が誰にもわかってもらえない怒りと絶望を抱えていたのかもしれない。
太田:だからコミュニケーションにおいて重要なのは、表現力があるかどうかではなくて、自分の言葉に耳を傾けてくれる人、自分に興味を持ってくれる人をどれだけ持っているかじゃないかと思うんです。コミュニケーション能力というのは、決して表現力だけの問題じゃない。
僕が数ヵ月外国に滞在したときに実感したのは、コミュニケーションというのは、その国の言葉の上手い下手よりも、相手が「この人の話を聞いてあげよう」という姿勢でいるか、「英語もうまくしゃべれないような奴には、めんどうだから関わりたくない」と考えているかの影響が大きい、ということでした。
「言葉もわからないアジア人に関わるのはめんどくさいなあ」って思っているのが伝わってくることも多々ありましたし、そんななかで、こちらの話を聞いて、助けてようとしてくれた人が少なからずいたこと心から感謝しました。
日本では、僕も外国から来た人に対して、「うまくしゃべれないから、めんどくさいなあ」と避けてしまうことが多かったのです。
コミュニケーションの「技術」が語られがちだし、それは、ビジネスの場では重要なのだと思います。
でも、いちばん大事なのは「自分に興味を持ってくれて、メッセージを受けとろうとしてくれる相手が存在すること」なんんですよね。
もちろん、そういう関係を築くためには「言葉」が重要な役割を果たすことが多いのですが。
たぶん、これからの人間は、LINEのスタンプから、相手の「表情」を類推する、というようなコミュニケーションに長けていくのでしょうし、その流れは、もう止められない。
だからこそ、「言葉だけが上手い人」には、注意が必要だし、「一緒にいて心地よい人」の重要性は、変わらないと思います。






