- 2019年12月27日 15:40
【読書感想】「言葉」が暴走する時代の処世術
1/2内容(「BOOK」データベースより)
いつでも、どこでも、誰とでもつながれる時代。しかし、かえって意思疎通がうまくいかないと感じることはないだろうか。「わかってもらえない」といった日常の出来事から、SNSでの炎上、引きこもりなど、コミュニケーションが断絶されるケースが増えている。この問題に、爆笑問題の太田光と霊長類学者の山極寿一が挑む。ときに同意し、ときに相反しながらたどり着いた答えとは―?私たちは誤解している。大切なのは、「わかってもらえない」ではなく、「わかろうとすること」、そっと寄り添うことなのだ。コミュニケーションに悩む全ての人に贈る処方箋!
爆笑問題の太田光さんと霊長類学者・京都大学総長の山極寿一さんによる「SNS時代のコミュニケーション」についての対談です。
学生時代、同級生と全く喋らずに過ごしていた時期があった、という太田さんと、霊長類、とくにゴリラの研究で、「言葉を介さないコミュニケーション」を観察しつづけてきた山極さん。
お二人は、スマートフォン、とくにSNSの普及で、「コミュニケーションが、言葉に依存しすぎていること」を危惧しているのです。
この本の「まえがき」で、太田さんは、スウェーデンの16歳の女性グレタ・トゥーンベリさんの演説について、こう書いておられます。
彼女は学校を休んで活動をしている少女で、いつまで経ってもCO2排出量制限の目標を達成できないでいるすべての国々に対して怒りをぶちまけているのだ。
「人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」
少女の演説は衝撃的で、世界中のメディアで報道された。日本でも、幼い彼女があれだけ堂々と訴えているのに比べ大人たち、政治家たちは情けないという意見が多く出た。私もあの演説はショックだった。何より一番衝撃を受けたのは少女の言葉でも、温暖化の現状でもなく、表情だった。あれほど憎悪に満ちた顔はあまり見たことがない。
「もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』と」
言葉を聞かずともその気持ちは表情に溢れていた。彼女は心の底から大人を憎んでいる。それも世界中の大人たちを。
私は現在、54歳だが、自分はどうだっただろうと考えた。今までにあの子ほど人を憎んだことがあるだろうか。
もともとの顔のつくり、というのは、あるのかもしれませんが、たしかに、グレタ・トゥーンベリさんの演説は、内容よりも、あの表情のほうがインパクトが強かったことに、これを読んで僕も気づきました。
同じようなことを言っている若者は、世界中に大勢いるはずなんですよね。
でも、あれほどの「憎悪」を伝えることができる人は、そんなにはいないはず。
多くの人々は、演説の内容よりも、「自分たちが憎まれている」ことに、反発しているような気がします。
同じ内容を、穏やかな声と表情で訴えられたとしたら、みんな、「若いねえ」なんて言いながらスルーしていたのではないでしょうか。
実際のコミュニケーションでは、人は、言葉の内容だけではなく、相手の表情や仕草、間などの、さまざまな要素を含めて判断しているのです。
ところが、SNSでは、「言葉」ばかりが重くなってしまう。
太田さんは、自分が出演していた政治バラエティ番組への反応が知りたくて、『2ちゃんねる』の自分についてのスレッドを覗いてみたことがあるそうです。
太田光:顔はもちろん、名前もわからない相手が画面に無数に出てきて、みんなが「太田、死ね」って書いているんですよ。こんなにも多くの人間から、俺は憎まれているのかと思うとね、それはもう何とも言えない気持ちになりますよ。そのときに思ったのが、同じようなことを、子どもがされたらどんな気持ちになるだろうなって。俺なんかは、その当時、40を過ぎていて、人前に出る商売をやって、クレームにも慣れている人間なんだけど、それでもこんなに傷つくんだから、小学校や中学校の同級生から「死ね」とか言われている子どもは、もう生きてらんないだろうなって。こんなサイトをそのままにしておいたらいけないと思いました。
ところがなんとも不思議なことに、今では「死ね」とか言われても慣れちゃって全然平気なんです。すると、生まれたときから、そういう環境で育っている子どもたちは、SNSで「死ね」とか言われても何にも感じないんじゃないかって。山極寿一:やっぱりディストピアに向かっていると思わざるを得ないような話だね。もう言葉にも身体で反応できなくなっているのかもしれない。
太田:今の子どもたちが言葉に対して持つ感覚は、俺らとはまったく違うような気がするんです。なんだろう、言葉に対する免疫反応みたいな能力を持っているのかもしれない。
この対談を読みながら、僕のなかでは「やっぱり、言葉に、とくにディスプレイに表示された文字に偏重したコミュニケーションは危険だよなあ」というのと、「とはいえ、今さら『SNSのない社会』『対面コミュニケーション中心の世界』が戻ってくるとも思えないし、これからの人間は、SNSでのコミュニケーションに適応していくだけではないか」という気持ちがせめぎあっていたのです。
そのリスクは承知していても、われわれは「インスタ映え」を捨てられない。