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「阿部定事件」はなぜ大衆の心を掴んだのか 事件発生の地・尾久を歩く【止まり木の盛り場学 第5回】

戦前、世間を震撼、いやむしろ夢中にさせる事件が起きた。
セックス中に相手を絞殺の上、切り落とした男性器を懐中大事にしまったまま逃亡を図った31才の女が起こした、いわゆる阿部定事件である。
折しも軍靴の響きが国民に迫りつつある重苦しい時代。殺害の上に男性器を切り落とすという猟奇事件である一方、世相の騒ぎをよそに、ひたすら情痴に没頭した果てに愛しい男のシンボルを持ち去るという、妙に人間くさい事件に、大衆は夢中になってしまったのである。

実のところ、阿部定事件の前にも後にも、それ以上に猟奇的な事件は枚挙にいとまがない。しかし事件から1世紀近く経つ今も、「阿部定」と聞けば「ああ、あの事件の……」と人々はすぐに連想し、忌まわしさではなく、どこか親しみに似た情感を戦後数十年が経過した現代の世代ですら覚えるのである。

阿部定を通して現代の私たちが受け取っているメッセージとは何か。今回も惑わぬはずが惑いまくる「40男」の二人が、いつもと趣の異なる阿部定事件ゆかりの地で飲み歩く・・・

阿部定事件とは・・・昭和11年、仲居をしていた阿部定は荒川区・尾久の待合で愛人と情交中、快感を求める男の言うままに度々首を絞めていたが、ある日誤って絞め殺してしまう。定は包丁で遺体の局所を切断し、三日間持ち歩いた末に逮捕。当時の新聞はこの事件に注目、逮捕後も盛んに報道された。昭和16年に恩赦で釈放された定は、名を変え生活していたが、戦後はカストリ雑誌で取り上げられたり、映画等にも出演した。その後、行方知れずとなる。

連日の報道で大衆も夢中になった「阿部定事件」

横田 阿部定事件のイメージを決定づけたのは、大島渚監督の「愛のコリーダ」ですね。男と女の愛とセックスについて考えるとき、古くからアイコンとして定と情夫は思い出されてきたと思います。実際の事件が起きたのは昭和11年ですよね?

渡辺 はい。事件が起きたのは同年5月18日なので、二・二六事件からおよそ3ヵ月後のことです。『読売新聞』が3段抜きで扱うなど主要紙が大きく取り上げて、事件発覚から逮捕、取り調べ、公判まで新聞が報道し続けました。

横田 猟奇的な事件のリアルタイム報道に夢中になってしまうのって、現代と同じですね。

渡辺 エンターテインメント化ですよね。肝心の阿部定事件が起きたのは、尾久という三業地(芸者置屋・料理屋・待合の三業のある地域)、つまり芸者さんの街なのですが、今日は因縁深いこの地で飲んでみようかと。

横田 上野駅から、JR高崎線か宇都宮線に乗って、次の駅ですよね。正直、降りたことないです(笑)

渡辺 都心からそれほど遠くないのに、ちょっと地味な駅ですよね。

横田 今も芸者さんがいらっしゃるのか気になります。

凶行を報じる『読売新聞』昭和11年5月19日。現場となった待合の見取り図も掲載

渡辺 殺害事件が起きたのは、「満佐喜」(まさき)という待合(まちあい ※現代のラブホテルに近い)なのですが、ちょうど同じ場所に建っているお宅の方に、お許しを貰ったので、話を聞いてみたいと思います。

ご主人 私は昭和13年生まれで、生まれも育ちもこのあたりだけど、戦争で丸焼けになって満佐喜さんの建物も焼けちゃった。満佐喜の経営者もいなくなってしまった。うちはその後に、この場所に家を建てただけだから、満佐喜を経営してた家族との関係はないんだよ。でも、うちの親父が近所で料亭を経営してたから、花街の雰囲気なら分かるよ。

渡辺 戦後も尾久は芸者さんの街、つまり花街だったんでしょうか?

ご主人 そうそう。いいところだったんだよ。戦後、尾久に遊びに来ていたのは、名前出せないけど、政治家とか芸能人、それからお相撲さん、プロレスラーもいたね。ブッチャー(アブドーラ・ザ・ブッチャー)さんも来たよ。あるお相撲さんは、お風呂に入って、身体が大きいもんだから滑って転んで腰を痛めちゃったんだけど、本場所のときも「稽古で痛めた」なんて言ってたね(笑)。平成くらいまでは料亭の建物が残ってたけど、今は何も残ってないね。勿体ないなぁ……。

花街・・・かがい、はなまち。花柳界ともいう。芸妓置屋・料理屋・待合の三業種のあるエリアを言い、「三業地」ともいう。昭和戦前期は都内では28か所あった。戦後は料理屋と待合は料亭という呼び名になり二業となる。昭和40年代後半から著しく減少し、現在は10か所に満たない。

横田 事件現場になった満佐喜さんは、戦後はどうされたんでしょう?

ご主人 自分も当時は子供だったので分からないなぁ。この辺りも、戦前から住んでる人はもういなくなっちゃった。事件当時に芸者をしていた人もいないし。俺は22才のときにクリーニング屋を始めたんだけど、芸者さんにからかわれたよ。代金を取りに行くと、まだ布団が敷いてある部屋に上げさせられて、「あたしと寝てくれたら金を払うよ」なんてね(笑)

横田 ご主人が実際に阿部定さんをご覧になったことは?

ご主人 ないない。でもうちの親父は浅草で見たことあるって。妙に色ぽかったって言ってたなぁ。

渡辺 阿部定さんは戦後になると、浅草の料亭で働き始めたので、おそらくこの時ですね。美容整形もしていたそうなので、お歳を召してからも、外からの視線を意識していたということでしょうね。

ご主人 そりゃ切られたら堪んないけどさ、あそこまで惚れられたら、ある意味幸せだよね。今は好きになっても、そこまでする女性はいないんじゃないかな。

横田 殺人事件のニュアンスではなく、惚れたはれたの話として、今も感じていらっしゃるわけですね。貴重なお話ありがとうございました。

大正12年の置屋とそこに所属する芸者たち。芸者はプロダクションとしての置屋に所属する、現代でいうタレントに近い存在だった。『東京郊外新興の尾久町』〈大正12年〉

「待合から出前の注文が随分あった」花街の様子を、老舗寿司屋で聞く

渡辺 こうした花街や遊廓で興味深い話を聞けるのは、実はお寿司屋さんなんですよ。

横田 ほー、それはどうしてですか?

渡辺 遊廓も花街も多くは、自店で食事を提供せずに、客が仕出しを取るんですよ。だから、仕出し系、それもお寿司は分け合って食べることができるし、どことなく粋だから好まれやすいんじゃいかな。

横田 なるほど!そういえば、先程のご主人もクリーニング屋さんだからこそ、「寝る?」なんて打ち解けた冗談を経験したわけですもんね。


渡辺 ということで、尾久花街に隣接した宮前商店街にある、こちらのお寿司屋さんどうですか?

横田 いいですね~。こんばんは~。

大将 いらっしゃい。どうする?軽く刺身でも切ろうか?

渡辺 お願いします!こちらはいつからやっているんですか?

大将 うちは昭和39年からね。

横田 前回の東京五輪の年ですね。やっぱり三業地が近かったから忙しかったでしょうねー。黒塀の料亭なんかもあったんでしょうか?

大将 そうねぇ、建物も前は随分残ってたけど、だいぶ壊しちゃったね。昔は料理屋も芸者もたくさんいたから忙しかったし、待合から出前の注文が随分あったね。一人前だけ。でも普通の店で出す三倍、四倍の値段で出せるわけだから。

横田 宴会するわけじゃなくて、客は「一人で」しけこむわけですもんね。待合は板場もなく板前さんもいなくて仕出しを取って、その手数料が儲けですもんね。

大将 そうそう、あそこはアレの場所だからね(笑)。(大将、意味深な手つき・動作をする)

横田・渡辺 (笑)

渡辺 ストレートにお聞きします。いわゆる「枕芸者」は多かったですか?

大将 そりゃもちろん。あの頃確か芸者とは、一万円、トルコ風呂が三千円だったよ。

横田 私が前にいくつか別の三業地を取材した限りでは、芸者町は色でなく花の街として、一応タテマエは分けてあるわけですが、寝る・寝ないは芸者ごとや店ごとにやったりならなかったりで、街全体ではマダラになっていることが多かったようですよね。

大将 売防法(売春防止法、昭和33年完全施行)のあとから、オリンピックごろまでは、しょっちゅう「手入れ」やってたよ。それくらい盛んにやってたってことよ。

渡辺 尾久は阿部定事件で有名な場所ですけど、地元の人は阿部定について話したりするんでしょうか?

大将 見てごらん!!(ガサガサっと花街の資料を出しながら)戦前ね、二・二六事件のちょっと後に男のアレを切っちゃって大騒ぎになったから、軍部は渡りに船で、軍のマズイところから目線をそらさせたなんていうもんね。

渡辺 そういう説はよく聞きますよね~。いやあ今日はありがとうございました。

大将 またいらっしゃい。

話好きな大将。尾久花街の裏の裏まで教えてくれる

花街の粋客の舌も喜ばしてきた具だくさんのちらし寿司

暖簾があれば、くぐりたくなるのが人のさが・・・

宮前商店街には演歌スナックなどもあり、決して大きくない商店街だが、濃い雰囲気にどっぷりと浸ることができる

渡辺 大将、楽しそうに話してくださりましたね。尾久では、今も阿部定は説話として残っているんですね。あの軍部うんぬんは置いておくとしても(笑)

横田 二・二六事件のときは戒厳令が敷かれていて、事件の概要が分かってきても新聞は書けなかった。そのメディアの人々のフラストレーションを、なんの報道制限もされなかった阿部定事件報道にぶつけたと、昭和史の専門家、作家の半藤一利さんなんかは言ってますよね。

公判の一部始終を見逃すまいと殺到する傍聴人を当て込んだパン売りも現れた。事件のフィーバーぶりが窺える

「たった一度」の恋 阿部定事件が人々を惹きつけるのはなぜか

渡辺 阿部定事件が面白いのは、当時の重苦しい空気の反動として人々が事件に夢中になっただけじゃなくて、現在に至るまで繰り返し阿部定ブームが起きていることですよね。戦後間もなくカストリ雑誌が阿部定事件を扱った本を出してリバイバルブームになる。その後、定は浅草の料亭に勤めて、広告塔のようなこともしているし、1970年代に失踪した後も「あの人は今」的な企画で繰り返しメディアに登場しますよね。阿部定は事件当時だけのブームではない、ということです。

横田 陰惨な暗い殺人事件とは当時の人も受け取っていない。それだけなら残りませんよね。今まで説話として残っている理由は、やっぱり一途な思いのせつなさに人が惹かれたから。そういえば、今回の取材で坂口安吾が戦後になって阿部定と対談していたのを思い出しまして。対談後にエッセイをいくつか書いてますね。で、安吾が聞いたんです。「お定さん、これまで何遍恋をしましたか?」って、そしたら定は「たった一度です。それがあの人なんです」って。三十二歳で。

渡辺 この年齢で初めて恋をした、仮にそれが事実であったとしてもそれを公の場で発言できる、その純粋性に安吾を始めとして、大衆が好意的な目を向けたんでしょうね。同じエッセイで定は「少しも後悔していない」とまで言い切っていて・・・。

横田 だから、局部を切ってしまうという猟奇性、珍奇さで最初はメディアも読者も食いつきますが、この定のせつなさに惹かれてしまったんですよね。気持ちは分かるけど、自分たちはそうやって愛をぶつけあって、最後は相手の大事なところを持ち歩くなんてことまでやれないから。まあこのイメージがその後一人歩きして、広がり残った。

渡辺 坂口安吾のエッセイが、今に続く阿部定観を決定付けたんですね。

横田 ちょっと長いですが、ああまさにこれだよ、と思った、今も変わらないなと思えた安吾の文章を引用します。事件から十年後に書かれたものです。

お定さんが、十年もたった今になって、又こんなに騒がれるというのも、人々がそこに何か一種の救いを感じているからだと私は思う。救いのない、ただインサンな犯罪は二度とこんなに騒がれるものではない。(中略)人間は勝手気ままのようで案外みんな内々の正義派であり、エロだグロだと喜びながら、ただのエログロではダメで、やっぱり救いがあるから、その救いを見ているから、騒ぎたつような、バランスのとれたところがあるのだろうと思う。 (『阿部定さんの印象』)
逮捕直後の『読売新聞』昭和11年5月21日。〝妖女〟〝ニヤリ〟といった扇情的な見出しで報じられた

横田 定が情交中にいつもより首を強く締めすぎて相手を殺してしまったことは殺人じゃない、「犯罪の要素がない」とまで安吾は言ってますが、言っていることはよくわかります。好きならそこまで振り切れる「定をうらやましいと思う人」がたくさんいたんだろうと思います。それは今もいる。

渡辺 当時の女性ですら、定に好意的な目線を向けたようです。分かりやすい逸話があります。裁判中、あまりにも性的なことをあっけらかんと受け答えする定が印象に残ったのか、担当の裁判長が帰宅して奥さんに聞いたそうです。女から見てもセックスは男女間における楽しみとして大きいのか?と。奥さんは否定しながらも、こう付け加えました。「それは一面の真理であるかも知れません」と。

横田 渡辺さんが営む書店(遊廓専門書店・カストリ書房)でも、阿部定本を購入するのは主に女性だそうで。現代の女性たちは定をどう見てるんですか?

渡辺 私は男なので、女性の代弁はできませんけど、定が現代女性の関心を惹きつけ続ける理由って、この裁判長の奥さんの返答そのものなのかなって。坂口安吾の感想は、「愛するがゆえに殺した」という愛の強度や純粋性であって、そこには性差は少ないように思えます。裁判長の逸話は「愛と性は分かちがたく、肉体は精神に従属するものではない」と、女性の口から語っています。男性でなく女性に支持されるという性差が現れるとしたら、この時代に堂々と愛を通して肉体を語った阿部定に惹かれてるんじゃないかな〜。


横田 渡辺さん、日がとっぷり暮れるまでおじさん二人で恋を語らってしまいました。そろそろ気をとりなおして、定ほど熱くはかまってくれませんが、ほどほどにかまってくれるスナックで、歌でも歌いましょうか。

渡辺 なんだか今夜は、軽い恋の歌が歌いたい。恋の~バ~カンス~♪

こうして阿部定の記憶が残る花街跡で飲んだほろ酔いの40男二人は、一時間3千円、リーズナブルなかりそめの恋を求めて、夜のとばりに消えて行った。

プロフィール
渡辺豪(わたなべ ごう):「カストリ出版」代表、「カストリ書房」店主、遊廓家。IT企業でデザイナーなどを務めた後、2015年に遊廓に関する書籍を発行する「カストリ出版」を設立。2016年には遊廓、色町、盛り場等の出版物を中心に扱う書店「カストリ書房」をオープン。
カストリ書房 東京都台東区千束4-39-3
・Twitter:@yuukakubu

フリート横田(ふりーと よこた):文筆家、路地徘徊家。出版社勤務ののち、タウン誌の編集長を経て独立、編集集団「株式会社フリート」を立ち上げ、代表取締役を務める。戦後~高度成長期の路地、酒場、古老の昔話を求めて徘徊。昭和や酒場にまつわるコラムや連載記事を執筆している。テレビ朝日「モーニングショー」にて昭和の魅力を伝えるコーナーに出演中。著書に『東京ノスタルジック百景』(世界文化社)、『東京ヤミ市酒場 飲んで・歩いて・聴いてきた。』(京阪神エルマガジン社)。最新刊は『昭和トワイライト百景』(世界文化社)。来年上旬、新刊上梓予定。
・Twitter:@fleetyokota

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