- 2019年12月21日 09:15
樹木希林「一切なりゆき」が彼女特有の嘘なワケ
2/2何事も無駄にしない冥利に対する思い
あるとき、食後に甘いものがほしくなったらしくて「あんたもお菓子いる?」と聞いてこられました。「いや、僕はいりません」と返事をすると、希林さんは和菓子屋へすっと入ってお饅頭を一個だけ買うんです。大女優が自らお饅頭一個なんて、まるで冗談みたいでしょ。普通なら恥ずかしいと思うんですけど、「2つは食べないから1つでいい」という割り切った考え方をされるのです。
奇妙な葉書をもらったこともあります。新聞の折り込みで裏が白いチラシがありますよね。その広告を葉書の大きさに切って、印刷されていない面に宛名を書き、その下の余った部分に数行の用件が書いてある。それを見て私は、「紙を使い切ってやる」という思いと、「絶対モノを無駄にしない」という希林さんの意思が込められていることに気がつきました。紙には紙の“冥利”があるわけで、それを使い切ることが紙にとって幸せなのだということを訴えているのです。
その思いを象徴するのが、
「ただ捨てるんじゃなくて、モノの冥利も考えて、どう活かすか」という言葉なのでしょう。希林さんはいろんな映画で賞を受賞して、トロフィーをよくもらいました。そして、死んだら整理するのが大変だからというので、町工場で加工してもらい、傘を付けて電気スタンドにして人に配っていました。でもこれ、1つ作るのに3万円もかかります。だから普通に電気スタンドを買ったほうが安く上がりますが、結局はトロフィーの冥利を考えての行いなのでしょうね。
そういえば、モノをもらうのも嫌がりましたっけ。打ち合わせでテレビ局まで来てもらった帰りにタクシーチケットを渡そうとしても、「いらないわ」といって自分1人でバスや電車に乗って帰ってしまいます。年収何億円は下らない女優さんがちゃんと「Suica」を持っているんですよ。聞くと「自分1人だけでタクシーに乗るのがもったいないから」なんですって。
以前、日生劇場でピーターさんの舞台がありました。浅田美代子さんと一緒に楽屋に挨拶に行ったら、ピーターさんに記念のTシャツをあげるといわれたそうです。「私はいらないから」「誰かにあげればいいじゃない」「いや、着ないからいいです」「雑巾にすればいいじゃない」「そんなことできません」と意地の張り合いになったらしいです。
そして、希林さんは
「私は断るのに喧嘩腰で断るんです」と断言します。断らないと片付かないから紙一枚でもティッシュでも「いらない」と突っ返す。モノに対する冥利を追求し続けてきた希林さんならではの言葉だと私は思うのです。また、冥利への思いは人生にも向かっていました。「自分の命を使い切って死にたい」と口にしていましたけど、全くその通りになったのではないでしょうか。
言葉の裏に存在する深い意味を味わう
夫の内田裕也さんの話は面と向かって聞いたことはないですが、私がプロデュースした講演会で話してくれました。希林さんは73年に裕也さんと結婚しますが、1年半で別居し、その後離婚はせずに別々に暮らしてきました。この不思議な夫婦のあり方について「離婚するのは簡単ですよ。なんで離婚しないんですかっていわれるけど、あの人が糸が切れたタコのようになったとき、誰が受け入れるんですか。私はいいとしても、子どもたちはえらい迷惑ですよね」と、ユーモアを交えながら複雑な状況を語りました。
あるとき、一人娘の也哉子さんがタロット占いをしてもらったら、占い師から「大丈夫ですよ。お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこを掴まえて一緒に連れて行きますから」といわれたらしく、希林さんは占いを信じる人ではないけど、ホッとしたんだとか。そして、その話を裕也さんにしたら「頼むからおまえ1人で逝ってくれ」とため息をつかれたそうです。結局、希林さんが亡くなって半年後に裕也さんも後を追うように逝きました。
確かに、希林さんの人生には途中でいろんなことがあったと思いますが、晩年は穏やかになっていましたし、思い残すことはない、やり切ったという感じだったようです。
「私の人生、上出来」という言葉は、1人の人間の人生を振り返った際の最高の賛辞、名言ではないでしょうか。それだけに希林さんの人生は、まさに役者冥利に尽きる。そして最高の生きざまだったのではないかと思っています。
希林さんが、これだけ多くの人から愛されるのは、家族や夫婦のこと、仕事のこと、病や体のこと、人生のこととか、いろんな困難と向き合い、闘いながら、やっと到達した境地が彼女の芸から滲み出ていたからなのでしょう。苦節何十年という苦労があるから、普通に話している言葉の裏にも深い意味が感じ取れるのだと思います。
生前から本を書いてほしいという出版社から依頼がたくさんあって、段ボール箱から手紙があふれるほどだったそうです。それだけ多くの人が、希林さんの生きざまを知りたがっていたのだと思います。しかし、お元気なときは、自分の一生を本に残すという意思や考えは、全くなかったみたいですね。
「私の話なんか役に立たないわよ。あんた、あとは自分で考えなさいよ」という言葉も残しています。希林さん自身も苦労の末に、自分で考え、判断して行動してきた人でしたから、安易に人の言葉だけ聞いて、その気になるんじゃないよと諭しつつ、「真剣に自分と向き合ってとことん突き詰めて考えなさいよ」ということをいいたかったんじゃないですかね。その意味で希林さんの言葉は自分を見つめ直すヒントになり、これからも語り継がれていくのでしょう。
▼波瀾万丈に富んだ樹木希林さんの人生

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田川 一郎
1939年、山口県生まれ。広島大学卒業後、テレビ朝日に入社。制作畑を歩み続ける。現在は田川事務所の代表取締役。樹木希林との共著で『樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常死ぬのも日常』がある。
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(田川 一郎 構成=篠原克周 写真=AFLO、富士フイルム)
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