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農業新聞の“天声人語”

ごく最近、日本農業新聞の購読を始めた。この中で毎日欠かさず読むのは、一面下のコラム。

けさも、ヨメが、「農業新聞の“天声人語”が面白い!」と、叫んでいる。

もちろん、「天声人語」は朝日新聞の名物コラムのことである。農業新聞のそれは、名前もなるほど、「四季」という。

意外と政権に対する風刺が効いていている。

きょうの書き出しは、「現政権とは<似て非なるもの>だろう」。
最近亡くなった中曽根康弘元首相と、アベちゃんの比較だ。

「中曽根康弘元首相は功罪あるが戦後政治に大きな足跡を残した」

中曽根氏の「リーダーシップの根底には旧制高校時代の古典的教養があった。読書と思索を欠かさず文化人、学者とらの幅広い見識を求めた」。「親米路線、改憲、政治主導と中曽根、安倍両氏は一見似ているが中身と手法が違う。言い訳に終始する現政権とは異なり、中曽根氏には真っ向勝負の論戦こそ求めた。」とする。

安倍首相が中曽根氏と似て非なるところは、論戦どころか、国会の場において発言中の立憲民主党の議員に「共産党!」と言ってみたり、「日教組、日教組!」と議論と無関係な不規則発言をするような古典的教養とは真逆なところにもあらわれる。

一国の総理としていかがかと思えるほど薄っぺらい。

たいしたたとえではないところで、「まさに」を連発するところも気になる。
「まさに」という言葉に罪はないが、もう一つ、「丁寧な説明」という言葉のほうはどうしてもやめてもらわなければならない。
いつごろから頻繁に使われだしたのかはわからないが、わたしの記憶では、国友・加計学園問題のころから気になりだした。

「丁寧に説明をしていきたい」という答弁は、しかし「丁寧な説明」にはつながらず、次のときの答弁では「丁寧な説明に努めてきたわけであります」となる。
いつ、「丁寧な説明」をしたのか、いや、していないのだ。
中を完全に飛ばしている。
いまの花見の会のほうでは、説明のしようがないから、「丁寧な説明」とさえ言っていないのではないか。

はじめの話に戻ると、安倍首相と中曽根氏とでは育ってきた時代的背景も違い、安倍首相には「古典的教養」など求めるすべもない。そんなことは軽視されてきた活字離れのわれわれ世代という点でわたしもいっしょ。

確か、安倍首相は、わたしと同世代で、かれのほうが一つか二つぐらい学年が上というだけ。高度成長経済の始まる昭和30年代はじめに生まれ、バブルで青年期を迎えるという世代だ。
持って生まれてきた時代背景の違いは当人の努力ではいかんともしがたいが、他から批判された真摯に向き合おうとする姿勢くらいはあってよさそうなものだ。

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