今からちょうど20年前。埼玉県桶川市のJR高崎線・桶川駅西口前で、一人の女性の尊い命が奪われた。いわゆる「桶川ストーカー殺人事件」だ。殺害されたのは、女子大学生の猪野詩織さん。当時まだ21歳だった。
事件を契機として、ストーカー規制法が制定され、マスコミ報道をめぐって取材の在り方が問題提起された。同時に大きな批判を浴びたのが埼玉県警だった。生前の詩織さんのSOSを放置する怠慢に加え、告訴状も改ざん。記者会見では、一人の女性が亡くなっているにもかかわらず、捜査幹部はおよそふさわしくない笑みを見せていた。
20年が経過し、事件はひと段落したように見えるかもしれない。だが、20年の節目に再び遺族と向き合って感じたことがある。未だ事件は終わっていないということだ。
詩織さんの命日をひまわりの種に例え 20年間を生きてきた遺族

「あの頃と全然変わらないでしょ、この部屋」。
母京子さんが、祭壇の前で語った。本当に何も変わっていない。命日でたくさんの供花が祭壇を飾っていたが、詩織さんの遺影と家族写真は、私たちがお邪魔していた当時と寸分も違わない。
20回目の命日となる今年10月26日の夜、筆者は猪野家を訪れた。
当時、ニュース番組『ザ・スクープ』(テレビ朝日)で事件を特集したキャスター・鳥越俊太郎氏と、ディレクター・山路徹氏、書籍版『桶川女子大生ストーカー殺人事件』(鳥越俊太郎と取材班・著、メディアファクトリー)を書いた私、そして編集者の4人で。
部屋には、もうひとつ変わらないものがあった。遺影を取り巻く花だ。ひまわりの花が好きだった詩織さんを偲び、いつからかご両親は最愛の娘さんの亡くなった日を、「ひまわりの種」に例えるようになった。そして、その種を慈しむ思いで生きてきた。
警察は変わったか。ストーカー事件はなくなったのか。報道被害はどうか。いま、ひまわりの花はどれほどの背丈で咲いているだろうか?