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人口は国家の要諦。社会保障は「人口の問題」なのです - 「賢人論。」第106回(前編)河合雅司氏

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2020年に日本人女性の半数が50歳を超え、そのままいくと2027年には輸血用血液が不足し、2040年には自治体の半数が将来的な消滅の淵に立たされる──。人口減少、少子高齢化が進む日本の未来に警鐘を鳴らした『未来の年表』(講談社現代新書)は発売と同時に話題となり、『未来の年表2』『未来の地図帳』(ともに講談社現代新書)という2つの続編を含めて累計86万部の大ベストセラーとなった。そもそも日本はなぜ、こうした深刻な問題を抱える社会になってしまったのか?著者である河合雅司氏に直撃した。

取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人

「子どもは2人まで」というスローガンをかつては誰も疑わなかった

みんなの介護 河合さんは1963年の名古屋市生まれですが、この時代に生まれた人を「ドラえもん世代」と呼ぶことがありますね。

河合 そうなんですか。漫画『ドラえもん』の主人公、野比のび太くんは1962年生まれという設定なんだそうですね。そうならば確かに私と同世代です。

のび太くんは小学4年生の設定なのですか?1970年代前半の世界が作品に反映されているわけですね。この時代、その後の少子化に大きな影響を与えた重要な出来事が次々と起こっているんです。

みんなの介護 1970年代前半というと、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)はまだ10%にも達しておらず、総人口も1億人を超えたばかりで2008年の1億2,808万人というピークに向けて増え続けていました。そんな時代に、どんなことが起こったのですか?

河合 1970年代の前半は、第二次ベビーブーム(1971年~1974年)が到来しました。終戦後すぐに生まれた団塊の世代が結婚適齢期をむかえ、出産ラッシュになったからです。

丁度この頃、1972年のことですがローマクラブが「成長の限界」という報告書を発表しました。時を同じくして1973年にはオイルショックが起こりました。私も子どもながらに覚えていますが、トイレットペーパーや洗剤などの買い占め騒動になったりして、「資源は無限ではない」という認識が日本はもちろん、世界中に広まったのです。

みんなの介護 ベビーブームと資源枯渇問題、この2つの出来事が同時期に起こったことで、どんな影響が出たのでしょう?

河合 象徴的な出来事はオイルショックの翌年の7月、厚生省と外務省の後援・協賛のもとで、人口問題研究会、日本家族計画連盟など民間4団体が共催した日本人口会議です。ここで「子どもは2人までという国民的合意を得るよう努力すべきである」という大会宣言が採択されたのです。

世界の人口爆発を抑制するには、先進国がお手本を示さなければならないということで日本がその役を勝って出たのですが、これをマスコミ各社は大々的に取り上げ、その後、日本の少子化が一気に進んでいくきっかけとなりました。

みんなの介護 今から見ると、中国の「一人っ子政策」を連想してしまう、過激な人口政策のように聞こえますね。

河合 ところが、当時はそれに違和感を覚える人のほうが少数派でした。

そもそも「人口」の2文字は「ヒトのクチ」と書くように、いかにして国民を食べさせていくかということは、古来、どこの国においても政府の最重要課題だったわけです。

第二次世界大戦後、植民地支配から解放された発展途上国では、経済の近代化とともに人口爆発が続いていました。戦後の日本と同じく、高い出生率のまま、経済が発展して医療や栄養状況が改善していくにつれて死亡率が低下していたためです。こうした人口爆発の問題は、世界的に見ると現在でも大きくは変わってはいません。

「子どもは2人まで」というスローガンを掲げた日本人口会議は民間主導で行われたものでしたが、政府も同じ頃に発行した白書において「静止人口」という言葉を副題に使うなど、人口増加を抑制する方向へと政策誘導しようとしていたのです。方策を提案しています。

世界のどこを見ても、政府が人口のコントロールに成功した例はない

みんなの介護 「静止人口」というのも、今から考えると違和感のある言葉ですね。

河合 1人の女性が生涯に出産する子ども数の推計値を合計特殊出生率といいますが、現在はこれが「2.07」になると人口は維持できるとされております。1970年代前半において各夫婦が子どもを2人を育てれば、人口は増減することなく「静止」し、社会は安定し得ると考えたのでしょう。

しかし、人々の営みの結果である出生数は、政府や学者が机上で考えた理屈がうまくあてはまるはずがありません。世界のどこを見ても、政府が人口政策に深く関与した国では、その後人口構成がいびつになる。人口のコントロールに成功した例はないといってもよいでしょう。

みんなの介護 「子どもは2人まで」「静止人口」といった目標は、当時の世の中の共通認識だったにもかかわらず、実現されなかったわけですね?

河合 それどころか、日本の合計特殊出生率は日本人口会議で採択が行われた翌年の1975年に「1.91」になり、それ以降、ふたたび「2.00」の大台に戻っていません。

結局のところ、「子どもは2人まで」という目標は多くの国民にとって「人口爆発とならないよう、今の人口規模を維持していきましょう」というメッセージとは受けとめられず、出産抑制を奨励する呼びかけになってしまったわけです。

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