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デモは、気軽に参加できる身近なイベント、私たちの最も大事な権利です

一昨日のデモは組織だったものではなく、様々な人々が思い思いに自由に参加したデモでした。
少しは「デモ」に対するイメージが変わったかな?

デモって政治思想バリバリな特定の人達がイキってやるもんだというのがこれまでなんとなく抱かれてた既成イメージだと思います。(デモはたいていの場合大勢の警官に囲まれてるので、まるで後ろめたいことしてるみたいですし・・)

でも本当は仕事帰りに気軽に参加して自分の意見を表現する身近な手段だと思うのです。
だからこそこの表現手段はもっとも手厚く保障されねばならない権利だと憲法で定められているのですね。


Ⅰ.ヨーロッパのデモやスト

ヨーロッパではデモやストは気軽に行われています。公務員でさえデモやストを当たり前のようにやるのです。
カナダでは公務員の二ヶ月以上の長期にわたるストが行われたことがあります。そのときは二ヶ月以上ゴミの収集も止まりました。このストを経験したカナダ在住の日本人ライターのブログでは
『私の周囲では「まったく人騒がせな!」と怒っているのは、ストに慣れていない日本人ぐらいだ。カナダ人は概して組合員に同情的。学校のストのときには、ピケをはっている先生方に差し入れする保護者もよく見かけた。』
とのこと。
http://world.chikyumaru.net/?eid=328584

ドイツでは2006年に労働時間延長に反対してデモとストが全国に広がり、2010年には二万人のデモが行われています。
イギリスでは2011年に労働団体が結集し、一般公務員、教職員が多く参加しての、政府の年金制度改革案(年金保険料と退職年齢引き上げ)に反対する50万人規模とも200万人規模ともいわれるデモとストが行われました。イギリス全土の学校の4分の3が休校となったといいます。
フランスでもストやデモは頻繁に起こります。
(「Snap Days ~Shuichi Taira’s photo gallery~」公務員バッシングと世界の常識より)

フランスの1995年の交通機関の大ストライキの様子はこちらを是非リンク先でお読みください。jeanvaljeanさんがフランスの中学の教科書「市民教育」から抜粋してくださっています。

◆イル・サンジェルマンの散歩道
1995年の大ストライキ

このストに関してはこんな感想ツイートもあります。
『ESHITA Masayuki‏@massa27
@Khachaturian フランス人すげぇなと思ったのは、95年秋に公共交通機関が一ヶ月もストを断行したのに対し、国民の8割が支持してたってことですね。支持する・しないはストの要求内容によるので毎回そうではないのだけど、あそこまで「迷惑」なストが支持されうることに驚いた。』

フランスのデモやストは名物。不定期に頻繁におきるので、結構旅行者泣かせのようです。2010年にも無期限ストをやってるようです。

でも、これらのデモやストを「迷惑だ」などと眉をしかめて非難する市民はほとんどいません。
自分たちの意見や権利をデモやストでアピールすることの大切を知っているからです。
デモがあれば人々は道を譲ります。
生活に不自由が生じても市民は連帯して協力し合ってそれをカバーしています。


スペイン憲法裁判所は、一九九五年に「民主社会においては、都市空間は流通のためだけではなく、参加のための領域でもある」と述べています。(前田朗Blog 「デモと広場の自由」のために(一) より)

スイスのデモではこんな感じ。

◆弁護士川口創のブログ

スイスのデモと日本のデモ
(引用開始)
日本のデモに比べ、色彩的には圧倒的に赤が多く、いろいろな訴えが書かれたプラカード(全く読めませんでしたが)の他、とりわけ真っ赤な旗に、チェゲバラの顔が黒でデザインされている旗を多くの人が抱えていた。
風船を持ったりなんて、穏やかぶりをあえてアピールする日本のメーデーとは全く異なり、見た目はずっとストレートで、労働者として訴えることを訴えるんだ、という気迫に満ちていた。

道いっぱいを赤い色彩のものすごい多くの人達が、堂々と流れていく姿は圧巻だった。そして、いつまで経っても、人の波が終わらない。

僕もデモに参加したが、僕が見た限り、警察の警備など全くといって良いほどなかった(当時撮った写真を見ても、警察の姿は全くない)。

僕がメーデーに参加して歩いたのは、古い街中の道で、もともと車の往来が激しい基幹道路ではなかった。だから、もしかしたら、車の行き来が多い道では、警察が交通整理などをしていたのかもしれない。

ただ、街の雰囲気としては、「デモで訴える人達は、当然の権利を行使している」と当たり前のこととして受け止めている感じで、警察にも「デモを管理する」などという認識はなかったと思う。

確かに、車の往来が多い道をデモ行進する際、警察の方々の交通整理は重要であり、デモをする人の安全も守りつつ、車の往来をできる限りスムーズにしようという配慮は必要だろう。

したがって、日本のデモについても、警察の対応は不必要だ、などとは全く思わない。

しかし、日本、とりわけ、最近の東京の「素人の乱」の方たちが企画するデモに対する警察の対応は、明らかに異常だ。デモに対する過度な、不当な対応がなされていると言わざるを得ない。

あたかも、街中では、原則として表現の自由がないかのような状況が作り出されてしまっている。

この間の逮捕の映像を見る限り、この程度のデモで、警察がこれだけの過剰な対応をする、というのは、国際的に見て、少なくとも民主主義国家と標榜する国家の中では、異常であると言わざるを得ない。

警察を指揮する側に、いろいろな意図があるのだろうが、東京の警察の対応は、どう見ても行き過ぎである。

それこそ、あまりにひどい場合には、国連のヨーロッパ本部の人権高等弁務官に会いに行って報告をしなければならない。恥ずかしいことであるので、避けたいところである。
(引用ここまで)





Ⅱ.日本のデモ

川口弁護士のいう「この間の逮捕の映像」というのはおそらくこちらの映像かと思われます。

◆2011.9.11新宿反原発デモ 警察のすさまじい暴力・不当逮捕の瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=xnruDaMxPO0

この映像とは別かと思われますが、この日、警察が在特怪の言いなりになってデモに参加したフランス人を不当逮捕したエントリ-を過去にアップしたことがあります。
(現在動画は削除されています)

後に全員釈放されましたが、日本ではデモに対する警察の嫌がらせ、不当逮捕は日常茶飯事です。

「レディオ・アクティヴィストたち/福島以後の日本のプロテスト」という映画の製作者ユリア・レーザさんが日本のデモについて興味深い感想を述べています。

http://atomiksite.wordpress.com/talk/#
(引用開始)
日本のデモはいくつかの問題を抱えていて、その問題についてです。まず「人びとがなかなかデモに参加したがらない」ということ。映画の中で社会学者の毛利嘉孝さんが指摘されてましたが、日本で「デモ」というと、「政治活動」や「内ゲバ」といったよくない政治的イメージと結びついてしまい、しかもそれが共有されてしまっていることです。日本にはもうひとつ問題があります。それは警察と法律の問題です。具体的にいうと、警察はデモを細かく分断したがり、それによって、デモ参加者たちは自由に動きまわれれないし、自由に自分の意志を表現することができなくなってしまうということです。

私たちは(昨年)5月と6月に撮影したのですが、それはすごくおもしろい体験で、さまざまな人たちと出会えました。その撮影のなかで特に驚いたのは「日本のデモは警察官が多すぎる」ということです。ドイツでも何回かデモに参加しました。ドイツのデモにも警察はいるのですが、日本のようにデモを細かく区切ったりしないので、参加者は自由に動き回れ、まわりの注目を集められるようなかたちでデモができます。しかし日本だと、先ほど言ったように、細かく区切られ、とり囲まれることで、まわりから見ると、なんのデモなのかがわからないという状態にさせられてしまい、それに一番驚きました。
(引用ここまで)




日本のデモが警察に不当に介入されることについてこちらのエントリ-を読ませていただきましょう。これもリンク先で全文お読みください。

◆No more capitalism

日本のデモに表現の自由はない
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=135
(引用開始)
1970年代以降、警察は路上でのデモなどを徹底して弾圧し、デモをあたかも公共の福祉に反する行為であるかのような印象を人々に与え続けてきた。車道を歩きながら、自己の政治的社会的な主張を訴えるという表現手法が、文化としての基盤を奪われるにつれて、多くの人々にとって、デモは身近な表現手段からむしろ「自分たちがやらない特別な人たちの行為」といった印象に支配され、ますますデモを疎遠なことがらとみなす感情が常識のレベルにまで浸透してしまった。
しかし、冷静に世界の民主主義の目に見える表現としてのデモを見比べてみよう。ニューヨークやロンドンやソウルで人々が路上で行うことができる表現が日本では行えず、もし、同じような行為をしようとしても、警察はデモ申請にたいして許可を出さないか、許可条件に反して路上を全面的に使用するようなデモを行えば、逮捕を覚悟しなければならないということは、いったいどのような論理によって、正当化しうるのだろうか?米国や韓国の人々がもっている自由をなぜ私たちは持つことができないのか?その理由は何なのか?理由などありはしない。それは、警察が抱く秩序への有無を言わせない従属の要求でしかない。これは、法治国家がとる振る舞いでは断じてありえない。
(引用ここまで)



リンク先の写真を見ていただけるとわかりますが、ヨーロッパのデモと比べると日本のデモは警官がデモ隊を取り囲んでしまって、まるで警官がデモをしているように見えます。

こんな風に警官に取り囲まれた団体って、きっとヤバイ特殊な団体では?という印象をどうしても通りすがりの人々は抱いてしまいますね。また、こんなに警官に取り囲まれるのは怖いからデモに参加するのはやめよう、という威圧にもなります。

こうして、日本人はデモに対して良い印象を抱かなくなります。
そして当ブログで何度か指摘していることですが、日本では、人権教育、民主主義教育が実にお粗末なため、デモは憲法で保障された国民の最も大切な基本的人権であるということすら知らない人が多いのです。
デモは基本的に許されない、警察が許可した場合のみ許される、と思っている人さえ珍しくありません。
「先進民主主義国」では非常に珍しい現象ですね。

今まで、デモをすることが「特殊なこと」だと思われていたこと自体がおかしいのだ。この連載でも何度も触れてきたが、「デモをする権利」は当たり前だけど誰にでもある

 しかし、そんなことをこの国のどれだけの人が知っているだろうか?イラク反戦デモ以前は、デモと言えば「特殊な人たちの特殊な手段」だとすら、思っていた。どんなに素晴らしい権利でも、知られていなければ存在しないことと同じだ
マガジン9・「デモと広場の自由」のための共同声明・記者会見。の巻より)




一昨日の官邸前大規模デモが、日本人がデモというものを見直し、自分たちの意見をこのようにアピールする権利は何よりも大切なものであると考え直すきっかけになることを、私は強く希望しています。

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