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- 2019年12月05日 22:02
中村哲医師 アフガンで銃撃され死亡
昨日4日、ほんとうに悲しい残念なニュースがありました。アフガニスタン東部のジャララバードで、4日、農業支援などに取り組む福岡市のNGO(非政府組織)「ペシャワール会」現地代表の、中村哲医師(73)たちが乗った車が武装した男たちに銃撃され、中村さんが死亡しました。
中村さんは、運転手やスタッフとともに灌漑事業を進める場所に向かっていて、襲撃された、とのこと。ジャララバードがあるナンガルハル州は、反政府勢力タリバン、過激派組織イスラム国(IS)の支部組織、アフガン政府軍が三つ巴で戦う激戦地、と報じられています。犯行声明は出ていず、タリバンは自分たちではないと否定していて、ISの支部組織の犯行か、というニュースも流れています。
ペシャワール会では、2008年に、日本人スタッフの伊藤和也さんが武装グループに拉致され、その後遺体で発見されてから、警備員も同行してセキュリティーには気を配っていた、ということですが、その警備員、運転手、スタッフなど車に乗っていた6人全員が射殺された、ということです。
中村医師が、パキスタンのペシャワールで、NGOとして医療の支援をしていた時に、もう20年以上前ですが、お会いしています。もう一人の若い医師とともに医療支援に力を尽くされていました。その頃は、中村さんは、ハンセン病患者の治療などをされていました。
私が、アフガン難民の取材のために、提案が通らなかったため休暇をとって、知り合いの女医さんの所に泊めていただいて取材をしていた時にお会いし、活動とお話に感銘を受けました。手元に、中村さんが書かれた「ペシャワールにて~癩(らい) そしてアフガン難民~」「医者 井戸を掘る」があります。
中村さんは、現地に溶け込んで人々のための活動に専念されていました。アフガン難民と接したことでアフガニスタンに拠点を移し、2000年の干ばつで農地が砂漠化すると、中村さんを支援しようと設立されたペシャワール会は水利事業を始めて、これまでに約1600ヶ所の井戸を掘っています。
中村さんは、いつもその先頭に立って活動し、2003年からは農業用水建設のために、土木を独学し図面を描き、自ら重機を運転していたそうです。若い人たちに、仕事の場も提供していました。アフガンの人たちにとっては、「命綱」とも「神様」とも慕われていて、2018年にアフガン政府から勲章を授与され、今年10月にはアフガン政府から自由に入国できる名誉市民権を授与されたばかりでした。
アフガニスタンでは、治安が悪化していて、戦闘やテロに巻き込まれた民間人の死傷者は、2014年から5年間で1万人を超え、今年は、援助関係者27人が死亡し、31人が重軽傷、33人が誘拐された、と報じられています。
そうした中でも、中村さんは、清潔な水と食糧があれば治る病気でも、ないために亡くなる人が急増すると「とにかく生きておれ。病気は後で直す」と、飲料水確保のための井戸を掘るなど、地元の人たちに寄り添ってきました。
諸外国で献身的に活動しているNGOの日本人たちが多くいますが、中村さんは、その多くの人たちからも尊敬され、お手本とされている方でした。最近も、まだ20年は活動する、と話されていたということで、失ったことは、ほんとうに大きな損失です。
ペシャワール会では、遺志を継いで活動を続ける、としていますが、中村さんがいないとできなくなることもあると思われます。それでも、この事件によって、NGOの活動を制限する方向にはいかないでほしいと思います。中村さんも、望んでいないでしょう。何とか可能な限りの安全を確保しながら活動できるようにバックアップすることが大切だと思います。
中村さんは、運転手やスタッフとともに灌漑事業を進める場所に向かっていて、襲撃された、とのこと。ジャララバードがあるナンガルハル州は、反政府勢力タリバン、過激派組織イスラム国(IS)の支部組織、アフガン政府軍が三つ巴で戦う激戦地、と報じられています。犯行声明は出ていず、タリバンは自分たちではないと否定していて、ISの支部組織の犯行か、というニュースも流れています。
ペシャワール会では、2008年に、日本人スタッフの伊藤和也さんが武装グループに拉致され、その後遺体で発見されてから、警備員も同行してセキュリティーには気を配っていた、ということですが、その警備員、運転手、スタッフなど車に乗っていた6人全員が射殺された、ということです。
中村医師が、パキスタンのペシャワールで、NGOとして医療の支援をしていた時に、もう20年以上前ですが、お会いしています。もう一人の若い医師とともに医療支援に力を尽くされていました。その頃は、中村さんは、ハンセン病患者の治療などをされていました。
私が、アフガン難民の取材のために、提案が通らなかったため休暇をとって、知り合いの女医さんの所に泊めていただいて取材をしていた時にお会いし、活動とお話に感銘を受けました。手元に、中村さんが書かれた「ペシャワールにて~癩(らい) そしてアフガン難民~」「医者 井戸を掘る」があります。
中村さんは、現地に溶け込んで人々のための活動に専念されていました。アフガン難民と接したことでアフガニスタンに拠点を移し、2000年の干ばつで農地が砂漠化すると、中村さんを支援しようと設立されたペシャワール会は水利事業を始めて、これまでに約1600ヶ所の井戸を掘っています。
中村さんは、いつもその先頭に立って活動し、2003年からは農業用水建設のために、土木を独学し図面を描き、自ら重機を運転していたそうです。若い人たちに、仕事の場も提供していました。アフガンの人たちにとっては、「命綱」とも「神様」とも慕われていて、2018年にアフガン政府から勲章を授与され、今年10月にはアフガン政府から自由に入国できる名誉市民権を授与されたばかりでした。
アフガニスタンでは、治安が悪化していて、戦闘やテロに巻き込まれた民間人の死傷者は、2014年から5年間で1万人を超え、今年は、援助関係者27人が死亡し、31人が重軽傷、33人が誘拐された、と報じられています。
そうした中でも、中村さんは、清潔な水と食糧があれば治る病気でも、ないために亡くなる人が急増すると「とにかく生きておれ。病気は後で直す」と、飲料水確保のための井戸を掘るなど、地元の人たちに寄り添ってきました。
諸外国で献身的に活動しているNGOの日本人たちが多くいますが、中村さんは、その多くの人たちからも尊敬され、お手本とされている方でした。最近も、まだ20年は活動する、と話されていたということで、失ったことは、ほんとうに大きな損失です。
ペシャワール会では、遺志を継いで活動を続ける、としていますが、中村さんがいないとできなくなることもあると思われます。それでも、この事件によって、NGOの活動を制限する方向にはいかないでほしいと思います。中村さんも、望んでいないでしょう。何とか可能な限りの安全を確保しながら活動できるようにバックアップすることが大切だと思います。