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「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外

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「ところで、日本に近代市民社会は来ましたっけ?」

 ただ、この書籍を読んでいて改めて気になった点がある。

 ブラウンは、ソクラテスやアリストテレスからはじまり、近代市民社会へと脈々と受け継がれてきた政治のロゴスを踏まえたうえで、アメリカの新自由主義について議論している。なるほど。アメリカやイギリスやフランスには実際そのようなロゴスの継承があって、近代市民社会が成立してきたのだろう。

 ということは、この話は日本や韓国などにはあまり当てはまらないのではないだろうか。

 日本にも、近代市民社会を成立させるために頑張ってきた先進的な人々がいたことを、私は知っている。戦前には自由民権運動や大正デモクラシーがあったし、戦後も大都市圏の住宅地では市民運動が盛んに起こっていた。そうした人々には近代市民社会は到来し、彼らは実際、市民だったのだろう。 

 だが、そうやって近代市民たりえたのは、日本国民のいったい何パーセントぐらいだったのだろうか? 大正デモクラシーは、どこのどういう人々に、どれぐらい受け容れられたのか? 戦後の市民運動は、どれぐらいの期間、どの程度の人々に支持されていたのか?


団地の空間政治学 (NHKブックス)
作者:原 武史
出版社/メーカー: NHK出版
発売日: 2012/09/26
メディア: 単行本(ソフトカバー)

 たとえば『団地の空間政治学』を読むと、戦後のニュータウンにおける市民運動の熱気が伝わってくるし、そのような市民のマスボリュームが小さくなかったことが窺われる。しかし、そのような市民運動の全盛期でさえ、地方では保守政党が支持され、その支持のありようは近代市民社会というよりは前近代的な、いささか権威主義的なものだった。少なくとも私が学生だった頃の北陸地方の自民党政治とは、そのような雰囲気のものだったと記憶している。

 そして各都道府県の自民党支持率の推移などを見るにつけても、この国が近代市民社会たりえた期間は短く、その程度や範囲は限られていたのでないか、と思わざるを得ない。

 周知のように、現在の自民党は「若返り」を果たしている。多分に前近代を引きずっていた自民党は、前近代ではない何者かになった。だからといって自民党が近代市民社会の政党になったようにもみえない。小泉元首相の改革からこのかた、自民党はおそらく、ブラウンのいう新自由主義に親和的な政党へと変貌し、そのように政策を推し進めてきた。

 [関連]:若者はなぜ自民党を支持するのか|研究・産学連携ニュース|中京大学

 そんな自民党を支持している若い人々は、みんなホモ・エコノミクスとしてカリカリに訓練されているのかもしれない。「仕方なく自民党を支持している」「ほかに頼れる政党がないから」と主張する人もいるだろう。だがそもそも「自民党が他の政党よりマトモにみえて、他の政党より仕事をしているようにみえる」その判断基準じたいがブラウンのいう新自由主義的ロジックに染まっていれば、非-新自由主義的な政党は正統性の乏しい、マトモではない政党とうつるだろう。

 だから私は、20世紀中頃に市民運動に参加した人々を例外として、この国の政治は前近代から新自由主義的状況にジャンプしたのではないかと考えているし、ひいては、多くの人々の意識や習慣も近代市民社会を経由することなく、前近代から新自由主義的状況にジャンプしたのだろう、と想像している。

 ブラウンの議論のうち、近代市民社会についてのくだりは、日本のかなり広い範囲には該当するまい。資本主義と並び立ってしかるべき近代市民社会のロゴスや、ホモ・エコノミクスと並び立ってしかるべきホモ・ポリティクスが根付かないうちに、モノも人も思想も習慣もとことん資本主義化した社会がやって来てしまった。

市場価値を問い続ける社会からの疎外

 だいぶ長い文章になってしまったので、そろそろ終えよう。

 資本主義化の徹底によってベネフィットを得た人も多かろう。が、この状況に疎外されている人もまた多かろう。そもそも新自由主義が徹底した国はどこも、たくさんの人々が疎外されていると同時に、そのような状況が新自由主義的ロジックにもとづいて正当化され、「筋が通っている」とみなされている。政治も人間も資本主義に飲み込まれてしまった社会のなかで、資本主義の徹底に抵抗するのは、カトリック全盛期のヨーロッパでカトリックに抵抗するのと同じぐらい難しいのではないだろうか。

 人間という存在は、法人でも企業でもない。生身の、こころを持った、実存的存在である人間は、市場価値というモノサシのなかで簡単に疎外されてしまう。新自由主義が徹底した国ではたいてい、抗うつ薬が劇的に売り上げを伸ばしている。そのような疎外や抑鬱も、「筋が通っている」とみなされてしまってはどうしようもない。

 「自分の市場価値を測ってみませんか」というメールが届く社会を、その「筋の通っているさま」を含めて批判するのは、とても難しいことのように思える。だからといって、この社会状況を黙って肯定して構わないものだろうか? とても、そんな風には思えない。


資本主義リアリズム
作者:マーク フィッシャー
出版社/メーカー: 堀之内出版
発売日: 2018/02/20
メディア: 単行本(ソフトカバー)

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