記事

「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外

1/2

 この手のメールを受け取ったことは、一度や二度ではない。けれども今回、携帯キャリア会社からこのメールが届いたことにはちょっと驚いた。さんざん使っているPCのメアドに届くなら理解できるし、珍しくないことなのだけど、ほとんど使っていない携帯キャリアのメアドに「自分の市場価値を測ってみませんか」が届くということは……全国のあらゆる人間にこんなメールが送られているのだろうか。

 人間の市場価値とは、どういうものか。

 お金をどれだけ稼げるか、どれだけ人気者か、どれだけ他人に好ましい影響を与えられるか、等々によって現代人は他人を値踏みし、と同時に値踏みされることにも慣れている。就活や婚活などはその典型で、純粋な就労能力だけでなく、性格や容姿、趣味や身振りなども含めた、トータルとしての人間の市場価値が測られる。いまどきは、SNSの被フォロワー数なども人間の市場価値の一部とみなされるかもしれない。

 だが、こうした値踏みの習慣が昔から一般的だったわけではないし、これほどあからさまだったわけでもない。少なくとも、携帯キャリア会社をとおしてあらゆる人間に「自分の市場価値を測ってみませんか」などというメールがばらまかれ、それが自然に受け取られるほど一般的ではなかったはずである。

 この、人間が値踏みされる習慣や通念について、最近読んだ『いかにして民主主義は失われていくのか』という本にスケールの大きい見取り図が記されていたので、それを引用しながら、私なりの考えを膨らませてみる。

あらゆるものの市場価値化としての「新自由主義」


いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃
作者:ウェンディ・ブラウン
出版社/メーカー: みすず書房
発売日: 2017/05/26
メディア: 単行本

 政治学者のウェンディ・ブラウンは著書『いかにして民主主義は失われていくのか』のなかで、新自由主義のロジックが社会に徹底されるようになったことで、民主主義が危機に直面している、と述べる。教育や農業の現場で起こっている新自由主義的変化を紹介したり、人間の考え方や暮らしかたそのものの市場化(ホモ・エコノミクス化)のプロセスを説明したり、なんとも読み応えのある書籍だった。

 資本主義のロジックが人間に徹底されること、ひいては新自由主義のロジックが人間に徹底されることとは、人間がお金にがめつくなること、ではない

新自由主義とは理性および主体の生産の独特の様式であるとともに、「行いの指導」であり、評価の仕組みである。

『いかにして民主主義は失われていくのか』P14
 本書が提案するのは、新自由主義的理性がその相同性を徹底的に回帰させたのだということである。人も国家も現代の企業をモデルとして解釈され、人も国家も自分たちの現在の資本的価値を最大化し、未来の価値を増大させるようにふるまう。そして人も国家も企業精神、自己投資および/あるいは投資の誘致といった実践をつうじて、そうしたことを行うのである。

(中略)

 いかなる体制も別の道を追究しようとすれば財政危機に直面し、信用格付けや通貨、国債の格付けを落とされ、よくても正統性を失い、極端な場合は破産したり消滅したりする。同じように、いかなる個人も方向転換して他のものを追究しようとすると、貧困に陥ったり、よくて威信や信用の喪失、極端な場合には生存までも脅かされたりする。

『いかにして民主主義は失われていくのか』P14-15

 ブラウンのいう新自由主義 Neoliberalism とは、学校も、政府も、個人の価値基準や習慣も、すべてが企業化、法人化するような、そのようなものである。たとえば新自由主義のもとでは、学校の良し悪しとは、どれだけ自分の頭で考えられる自由な人間を作り出したかではなく、どれだけ収入の大きな人間を作り出したかによって測られる。

 人間もまた然り。人間が、生産価値や消費価値といったもので測られることはそれまでにもあったけれども、新自由主義の浸透した社会ではもっと進んで、投資効果や費用対効果にもとづいて人間が値踏みされる。人間の行動原理も新自由主義的になり、企業としての自分、法人としての自分のバリューを拡大することが現代人の関心のまとになる。学校を選ぶのも、パートナーを選ぶのも、インスタグラムにアップロードする写真を選ぶのも、すべてこうしたバリューの拡大という関心に基づいたものとなる。

 ブラウンはさらに踏み込んで、そもそも今日のホモ・エコノミクスほど徹底的に新自由主義的となった個人は、もう「関心」というものを持たないかもしれない、とも述べている。企業化・法人化してしまった個人に、ほんとうに「心」などというものは必要だろうか? 

 政治の良し悪しも、どれだけ資本主義経済に仕え、貢献したのかによって測られることになる。ガバナンス、ベストプラクティスといった企業のボキャブラリーが政治のボキャブラリーになっていくと同時に、経済合理性の追求が政治の至上命題になっていく。

 端的に言えば、ベストプラクティスは、統治、ビジネス、知の活動を非市場的価値や目的をさりげなく追放する市場のエピステーメーへ親和的にするだけでなく、合併させてしまうのである。ベストプラクティスが新自由主義体制において、かつては明瞭に区別されていた統治、ビジネス、知の意図や目的を重ね合わせるとき、それはこうして重層化によって、規範への挑戦を新自由主義的理性へと去勢するか、あるいは逸脱させてしまうのである。

(中略)

 たんなる技術であると主張しながら市場価値を携えることによってこそ、ベストプラクティスはある種の規範を喧伝し、規範や目的についての議論をあらかじめ排除するのである。
『いかにして民主主義は失われていくのか』P159

 ブラウンは、人間の経済的特徴は近代以前から存在してはいるが、それは政治的な特徴と並び立っていたのであって、近代市民社会が実現した後も人間はホモ・エコノミクスであると同時にホモ・ポリティクスであった、とみなす。ところが人間も政治も資本主義のロジックに飲み込まれ、経済合理性に仕えるようになったことによって、近代市民社会を成立させていた民主政治が危機に直面している、というのである。
 
 『いかにして民主主義は失われていくのか』には、政治、経済、個人といった言葉にくわえて、統治、規範、様式といった言葉が多用されていて、ちょっと読みにくいところがあるかもしれない。しかし「自分の市場価値を測ってみませんか」というメールが届く社会、お互いに値踏みしあうことが当たり前になった社会のことを、よく説明していると私は思う。大学英語民間試験や東京オリンピック周辺で起こっている現象とも相性が良い。
 
 いろいろな意味で、日本もまた、新自由主義化しているのだろう。

あわせて読みたい

「日本社会」の記事一覧へ

トピックス

議論新型コロナウイルスに向き合う

ランキング

  1. 1

    ナイキCMを100%褒め称える危うさ

    倉本圭造

  2. 2

    凋落の新聞社 報道の行く末とは

    ヒロ

  3. 3

    10代死亡はミス? 厚労省の大誤報

    青山まさゆき

  4. 4

    引退後も悪夢 アスリートの苦悩

    山本ぽてと

  5. 5

    堀江氏「医療崩壊の原因は差別」

    ABEMA TIMES

  6. 6

    渡部建の目論みに冷ややかな声

    女性自身

  7. 7

    コロナ報道の正確性に医師が疑問

    名月論

  8. 8

    NHK捏造か 軍艦島の疑惑説明せよ

    和田政宗

  9. 9

    海外は大麻OK 伊勢谷被告の驕り

    渡邉裕二

  10. 10

    細野氏「国会機能が明確に低下」

    細野豪志

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。