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中曽根康弘氏と出会った「われら10代」


 中曽根康弘氏の死去が、意外に大きなニュースになった。新聞に出た略年譜によると、1947年(昭和22)に28歳で衆院議員に当選以来、2003年に引退するまで、55年も議員でありつづけ、1982年から87年までは首相の座にあって、電電公社の民営化や、旧国鉄の分割・JR化を進めるなどの実績を残したということだ。

 その中曽根氏を、私はNHKで「みんなのうた」から「われら10代」へと担当を変ったときに、その初回(昭和38年9月)のゲストとして番組に招いたことを思い出した。当時は井上ひさしさんとともに、井田一衛さんという構成作家がついていた筈だが、台本を見たら、どちらの名も出ていない。自分で勝手に台本構成をしてしまったらしい。

 この回のテーマは、「進路」だった。17~8歳程度の若者を集めて、いろいろな職業の先輩たちの話を聞いた上で、最後は自由討論をするというのが基本形だった。中曽根氏に声をかけたのは若手の政治家の代表のつもりで、他のゲストはテレビ司会者の三国一朗さん、作家で歌手の戸川昌子さん、将棋八段の加藤一二三さん、そして経営学者の坂本藤良氏だった。さらに、当時「高校三年生」で売り出したばかりの舟木一夫を「10代の若者」の中に入れておいて、そこから立ち上がって歌う場面を2回用意しておいた。

 この番組で、中曽根氏がどんな話をしてくれたかは、私に何の記憶もない。ただしよく覚えているのは、ゲストにつけたテロップの肩書きで揉めたことだった。中曽根氏につけたのは「立身出世型」だったが、これは違うというのだ、それでは何ならいいですかと相談して決まったのは「猪突猛進型」だった。要領の良さではなくて、中身で勝負するという意気込みがあったのだろう。

 考えてみれば、当時は中曽根氏も、若くて当選しただけで知られる無役の若手議員の一人だったわけだ。NHKのスタジオに入ると、かなり地位の高い人でも、職員が決めたことにクレームをつけることは少ない。違和感を隠さずに、紹介の肩書きを変えさせたのは、芯を通す強さがあったということだろう。この人が将来は首相になるなどが、その時点でわかるわけがない。

 この日、若い政治家が一人、若いディレクターが仕切るスタジオを、かすかな接点を残して通り過ぎて行った。101歳という長寿を、私もあやかりたいものである。

 当時のNHKには、すでにビデオテープは導入されていたのだが、高価な貴重品(2インチ幅の巨大なテープ)だから、放送が終れば消去することになっていた。だからこの時代の番組は、どこにも残っていない。 

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