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富野由悠季監督が描いてきたもの

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富野監督は、ガンダムをはじめとした作品に、子供たちへの未来に対する警鐘を込めているという。
意図はわかるが、子供たちが富野作品からそのメッセージを受け取って、考えるきっかけになっているか?……というと疑問符がつく。

最初のガンダムのときは田舎の実家に住んでいたのだが、地元の放送局で放送されず、リアルタイムでは見られなかった。
そこで放送を見られる県境に住む知人に頼んで、VHSのビデオで録画してもらって郵送してもらうという方法で見ていた。イデオン、ダンバイン、ザブングルもこの方法で見た。
ガンダムは放送終了後にブームとなり、地元の放送局でも放送された。

その後のガンダムシリーズはほとんど見ているし、富野作品はほぼ全部見ている。
好きな作品は多いし、富野ファンではある。
それでも、というか、だからこそいうのだが……

ガンダムにしろ「Gのレコンギスタ」にしろ、建設的な未来が描かれているとは思えない。
ロボットものという枠組みがあるにしても、物語で描かれているのは「戦争」であり「殺し合い」だからだ。
しかも、少年少女たちが戦場に駆り出される戦争だ。
ガンダムが衝撃的で夢中になったのは、アニメなのに戦争のリアル感があったためだ。
主要なキャラクターが戦死するたびに、なんともいえない喪失感や焦燥を感じた。
「死」を感じられるアニメだったんだ。

作品の舞台と時代は変われど、彼らは戦いに明け暮れ、戦争に終わりは見えない。
人間は戦争をする生きものだ。……と、そういうメッセージのように受け取れる。
環境問題や社会の問題を含んでいたとしても、戦争の中で、殺し合いの中で、そうした問題意識は忘却される。
世界を変えるためには、武器を持って戦うしかない。
ガンダムの単刀直入なメッセージは、これではないか?
一方の側の理想を実現するためには、対立する側を殺して排除するしかない。それはシャアのロジックでもあった。

「ニュータイプ」という設定が出てきたときに感じたのは、居心地の悪い不快感だった。
安っぽい設定にも思えた。
私の解釈としては、血なまぐさい戦争が続いているから、殺し合いの中に合理的な理由づけ、あるいは回避策としてニュータイプを出したのではないか?……ということ。

不毛な戦いの中から、人類の革新が芽生える。そう理由付けることで、殺し合いの贖罪にしたいのではないか。
そんなバカな話はないわけで、文明が起こって以降の人類史の中で、どこかで戦争が行われてきた。多くの人が戦場に駆り出され、多くの人が死んだ。戦場の極限状態で、気が狂う人はいても、人類の革新に目覚める人などいない。戦争とはそういうものだろう。

ニュータイプという設定は、戦争をオブラートに包み、幻想を見させた。
リアルな戦争から逃避して、ファンタジーにしてしまった。
そういう意味では、富野監督はリアルに徹しきれなかったのだと思う。

願わくば、富野監督には、ロボットものではなく、戦争物でもない、希望がもてる建設的な未来の物語を作ってみて欲しい。

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