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誰もが落ちうる奈落の底とその先の救い:吾妻ひでお『失踪日記』 - 高井浩章

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吾妻ひでお『失踪日記』
イースト・プレス/1254円

 吾妻ひでお氏が10月、69歳で亡くなった。

 今回は追悼の念をこめて本コラムで「いつかは」と考えていた『失踪日記』(イースト・プレス)とその続編『失踪日記2 アル中病棟』(同)を取り上げたい。

 帯で「全部実話です(笑)」とうたう『失踪日記』は3部構成で、第1部と第2部が吾妻氏自身の失踪時の体験記、第3部は自らのアルコール依存症の発症と治療のプロセスがテーマだ。2005年2月の発刊と同時に大きな話題を呼び、 主要な賞を総なめしたので、手に取った方も多いだろう。

 『失踪日記』の第3部は入院中のシーンで終わっており、その後の日々も含めて詳細に書きこまれた続編『アル中病棟』は8年後の2013年に300ページを超える書き下ろしの大作としてリリースされた。

卓越した客観視の力

 最初に指摘しておきたいのは、2作とも極めて完成度が高く、マンガの面白さを存分に楽しめることだ。

 何よりルポマンガの生命線である体験談の数々が抜群に面白い。

 凍死しかねないようなホームレス生活やアルコール依存症の専門病院の内部など、「知らない世界」を豊かなディテールで疑似体験する感覚は花輪和一の『刑務所の中』(青林工藝舎、講談社漫画文庫)を彷彿とさせる。陰惨になりかねないテーマを明るいギャグタッチに消化している点も共通項だ。

 エンターテイメント性を支えているのは、作者のすべてを客観視する卓越した能力の高さだろう。自身を含め、登場人物を等身大で描く距離感が絶妙で、随所に入る軽いギャグから悪い冗談のような現実まで、軽妙な筆運びで飽きさせない。

 メリハリがきいたコマ割りと作画も独特の読み味につながっている。

 『失踪日記』は1ページを4段、『アル中病棟』は3段に均等に割る古典的なコマ割りを採る。小さなコマ割りの中にキャラの全身をチマチマと描きこむ表現手法は、読者に一コマ一コマを丹念に追わせるリズムを生む。そのリズムが、破調のように差し込まれる大ゴマの一枚絵のインパクトを高めている。特に『アル中病棟』の最後に配された3連続のページ全体を使った大ゴマは、余韻と陰影をもった極上のラストシーンとなっている。

 脇役たちのキャラの立ち具合も大きな魅力だろう。両作品とも登場するのは実在の人物をモデルにした人たちだが、「事実は小説より奇なり」を地で行くような強烈なキャラがそろっている。奇妙な人々の言動を過度にカリカチュアライズすることなく、それでいて見事に「マンガのキャラ」の枠内に収めている。読み進めるうちに、実際に対面したら逃げ出したくなるであろう変人・奇人たちに、不思議と愛着が湧いてくる。

 興味深いのは、この愛嬌あふれる造形力が、男性キャラの描写でうまく作用していることだ。吾妻ひでおは、いわゆる「ロリ系」の絵柄で多大な影響力を及ぼした作家だが、看護師などの「かわいいキャラ」はどこか記号的で、正直、女性キャラは「謎の修道女」など一部を例外にあまり印象に残らない。

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