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NPB復帰を目指す新庄剛志氏の〝2002年の黒歴史〟とは - 新田日明 (スポーツライター)

球界が〝SHINJOの謎かけ〟に揺れ動いている。自身のインスタグラムで現役復帰宣言した元プロ野球選手の新庄剛志氏だ。2006年を最後に北海道日本ハムファイターズで日米通算16年間の現役生活にピリオドを打ったが、48歳となる来年にトライアウトを受験して復帰を目指すという。すでに大きな反響を呼んでおり、日本球界内でも有識者やOBたちの間で賛否両論の意見に分かれている。

しかし本人は広がる波紋など、どこ吹く風だ。一部には「単に注目されたいからではないのか」などと冷ややかな見方もあるとはいえ、案外多くの人たちが新庄氏の挑戦に真剣さを感じ取っているようだ。

新庄氏は現役時代から「サプライズ」がトレードマークだった。プロ生活をスタートさせた阪神タイガースでは誰もが認める実力とルックスを兼ね備えて一躍、人気スターへと急成長。その一方で1995年オフに「野球に対するセンスがないって見切った」と突然口にした引退宣言騒動など突飛な言動も目立ち、これが徐々に新庄氏独自のカラー形成につながっていった。そして、こうした数々の破天荒な振る舞いも実は本人なりに熟考した末の計算に基づく行為であったことが後に明らかになっている。

決して単なる思い付きだけで突っ走るような破滅型のタイプではない。どのような道に進めば自分の真価が発揮でき、かつ世間に大きなインパクトを与えられるか。新庄氏は、その答えを見つけ出すことのできる〝自分プロデュース〟の天才であり〝千里眼〟の持ち主だ。しかも決して唯我独尊ではなく、周囲を人一倍気遣いながらフォローするフォア・ザ・チームの精神も何気に忘れていない。新庄氏の真骨頂はそこにある。だから筆者も多くの人たちと同じく、アラフィフの現役復帰宣言を単なるお笑い草とは思えない。

そんな新庄氏の礎を築き上げたのは、やはりメジャーリーグ挑戦だ。2000年オフにFA宣言し、国内球団の移籍が有力と見られていた中、メジャーリーグのニューヨーク・メッツへ移籍。数々の破格待遇を蹴って、当時メジャー選手最低補償額の条件で海を渡る決意をした選択には「無謀」との厳しい指摘も多々出ていた。

だが、ニューヨークでは大方の見解を覆す活躍を見せ「SHINJO」の名を異国の地で轟かせた。阪神時代から人知れずメジャー移籍願望を持ち続け、目の前の大金よりも夢を実現させた「サプライズ」でも多くの人のハートをつかみ、メジャー1年目の成功によってスーパースターへの階段をかけ上がった。

「ニューヨークの次に好きな都市がサンフランシスコ」

しかしながら順風満帆にいくかと思われたメジャーリーグでは自身にとって〝黒歴史〟とも言える辛い境遇も味わっている。2年目のサンフランシスコ・ジャイアンツに在籍した2002年のシーズンだ。前年オフにメッツからのトレード移籍が決まると新庄氏は「ニューヨークの次に好きな都市がサンフランシスコ」とコメントし、新天地でプレーすることを喜んでいたが、待ち受けていた現実は想像と大きく違っていた。

オープンな雰囲気でチーム内に自由な空気が漂っていたメッツとは違い、この頃のジャイアンツのムードは明らかに重くどんよりとしていた。チームは強かったが、主力選手たちが火花を散らし合って丁々発止になっていたのだ。

「白人至上主義者」とホームラン王

当時のジャイアンツで幅を利かせていたのは、もちろん主砲で3番のバリー・ボンズ。前年の2001年にMLB史上シーズン最多記録の71本塁打を放ったスーパースラッガーは王様となっており、自身のロッカー前にはボンズ専用の巨大テレビとソファが設置され、容易には誰も近づけない存在になっていた。

このボンズに真っ向から反発したのが同じクリーンアップに座っていた4番のジェフ・ケントである。米メディアで「白人至上主義者」と報じられたこともあり、黒人選手のボンズと犬猿の仲だったのは当時を知るジャイアンツ関係者ならば誰もが知るエピソードだ。2人は幾度か乱闘騒ぎまで起こしている。そして、この両者の争いに新庄氏は意図しない形で巻き込まれてしまっていた。

ケントは一部の白人のチームメートと徒党を組み、他の黒人選手やラテン系選手同様に有色人種の新庄氏を明らかに煙たがった。その新庄氏の取材目的で大挙して現地に赴いていた日本人メディアに対しても露骨に嫌悪感を露にしていたほどだった。当時の状況を詳細に知る日本人のMLB球団スタッフは、こう打ち明ける。

「この時代、ケントは日本人記者が自分の囲み取材に加わると『新庄なんかを取材するジャパニーズは全員出ていけ』と暴言を吐くなど、とにかく態度が酷かった。メッツではとにかく陽気で楽しく野球をやっていた新庄さんが、サンフランシスコでは明らかに〝別人〟になっていた。新庄さんはケントから相手にされないどころか、嫌がらせを受けたりもしたようです。

それでも腐ることなく野球に集中し、献身的にプレーし続けていたのが新庄さんの凄いところ。〝こういう文化もあるんだ〟と言い聞かせ、すべてを何とか前向きに受け入れようとしていた。そういう新庄さんの人間性を高く評価したのが、同じ有色人種のボンズだった。そのボンズを筆頭に他の黒人選手やラテン系選手、そしてケントを『レイシスト』と批判して反発する一部の白人選手が加わって〝ボンズ派〟となり、新庄さんもそこに組み込まれる格好となった。

ただ、それによって〝ケント派〟との対立が一層深まってしまいましたよね。そんな状況下で新庄さんは我慢してプレーし、チームもワールドシリーズ進出を果たせたのだから逆に凄いと思います。ただ、この2002年シーズンは新庄さんにとって本当に過酷で辛い時代だった。本人の性格上、そんなことはまず口にしないでしょうが…」

人間的に成長

今の時代ならばモラルハラスメントにも匹敵するような心ない中傷にもめげず、黙ってプレーし続けた。ジャイアンツで経験した〝暗黒の2002年シーズン〟を糧にしたからこそ、新庄氏は人間的にひと回りもふた回りも逞しさを増したのだろう。翌年のメッツ復帰を経て2004年からの日本ハム移籍で国内Uターンを果たし、プレーとパフォーマンスの「新庄劇場」で北の大地を盛り上げ、一世を風靡したのは周知の通り。

これについても、当時の状況を知る関係者によると「新庄さんはパフォーマンスをする時も必ずチームメートや球団関係者に断りを入れていた」という。やはりジャイアンツ時代のような暗いムードではなく明るい雰囲気作りに心血を注ぎ、周囲への気配りも怠らないことが全てをプラスの方向へ導くと悟っていたからだと解釈できる。

2002年シーズンのアンチテーゼも新庄氏のバックボーン。そうした確固たる意志とともに数々の歴史を築き上げてきた元スーパースターが起こそうとしているネクストサプライズはNPB復帰だ。ぜひ実現を期待したい。

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