【ようやく得た職を奪った原発事故】
敗訴が確定し、伊藤さんは「財政的に余裕が無い中であれだけやれたという自己満足はあるが、それにしても悔しい」と次のようなコメントを寄せた。
「ようやく手にした職場を原発事故で奪っておいて、就活しなかったとか就労の必要が無かったなどと一方的に言われるのは納得いきません。なぜ仕事を奪われた私が就職活動をしなければいけないのですか? 奪われた仕事と同等の職を求めるのはわがままですか?
人が仕事を決めるにあたって重要なのは報酬だけではありません。やりがいや満足感など自分が切望する職を得たにも関わらず、私は原発事故で奪われました。にもかかわらず、東電から一度たりとも謝罪を受けた覚えはそもそもありません。
私が失ったのは、人生を通して人間関係を構築し、信頼関係を築いて得た『職』であり、ハローワークの窓口で容易に得られる職ではありません。それを失わせしめておいて、職安に2回しか行っていないとか職を得る必要が無かったなどと言うのは加害者の態度として到底受け入れられません」
会社の名誉のためにも反論したい、として「会長は将来の食料不足を慮り、日頃から『米は自給しよう』と話していました。その実現の場所が『いいたてふぁーむ』であり、決して思い付きで杜撰な計画ではありません。判決では、2015年以降の事業継続を『経済基盤を有しない』と一方的に言っているが、被告の言い分のみを見ているもので全く承服出来ません」と改めて主張。
自身の年金に関する裁判所の判断にも「年金の受給はあるとしても、老後の蓄えなどを考えると健康な限り働いて収入を得ようとするのは当然です。『就労の必要のない経済状態にあったとしても自然かつ合理的な事情がある』なんて、一方的な言いがかりです」と反論した。また、弁護団に対しては「大河陽子弁護士はじめ8名の弁護団が3年間にわたって無償で活動して下さいました」と感謝の言葉を口にした。
東京地裁に提訴した2017年8月、伊藤さんは記者会見で次のように語っていた。
「一方的に加害者が決めた。こんな馬鹿な話がありますか。原発事故から4年で勝手に打ち切っておいて『伊藤さん、運が悪かったね。後は自分で就活しなさい』ですよ。でも、もう70を過ぎて、むしろ〝終活〟の年代。なのに一切、賠償請求を受け付けてくれない。なぜ就労補償を4年で打ち切るというのを勝手に加害者側が決めて、押し付けて、『ハイ分かりました』で済まされるのか。私に何か過失があれば別だが、失ったものを請求するのは当然です。こんな不条理を甘受しなければいけないのですか。被災者が負うべき責任は一切無いと私は確信しています」
しかし、伊藤さんの損失を裁判所は認めなかった。復興大臣だった今村雅弘衆院議員は、2017年4月4日の記者会見で「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない」と語っている。だが、現実には司法は原発事故被害者に厳しい判決を突きつける。なぜ被害者がここまで闘わないといけないのか。
(了)