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メディア・リテラシーなど後回しで良いという価値観 本当の「ゆとり」教育を目指すウォルドルフ・スクールとは?

シリコンバレーで「コンピュータの無い学校」が人気になっているという記事が、話題になっています。

しかし、この記事はそこに取り上げられたウォルドルフ・スクールの教育内容に関して、極めて不十分な紹介しかされていないので、敢えてこのエントリーを書く気になりました。

なお、僕には二人、息子が居て、その両方がマリン・ウォルドルフ・スクールに通ったので、通算10年間、この学校にお世話になりました。

その意味で、僕の意見にはバイアスがかかっています。

僕の上の息子はもともとマリン郡の公立小学校に通っていたのですが、「ちょっとアスベルガー症候群のような、ともだちとうまくやっていけない兆候がある」とワイフが懸念したことから、いろいろ探して、マリン・ウォルドルフ・スクールに入れました。

この学校はオーストリアの哲学者で、教育者でもあるルドルフ・シュタイナーの教育理念に基づいた学校です。

その学校は日本では「シュタイナー学校」と言われることの方が多いですが、世界的には「ウォルドルフ学校」の名前の方が一般的です。

ウォルドルフはシュタイナーの考えに共鳴し、そのコンセプトを最初の学校として具現化させたウォルドルフ・アストリア・タバコ工場付属学校から来ています。なお、ニューヨークにある五つ星ホテル、ウォルドルフ・アストリアとは同じ起源です。

ウォルドルフ・スクールが最初に開校したのは1919年で、皆さんには先ずその時代背景を考えてみて頂きたいと思います。

当時は第一次大戦の直後で、ヨーロッパではこの悲惨な戦争や人間の残酷さに対する反省が生まれていました。つまりシュタイナー教育は「二度と戦争を起こせないような子供を作る」ことを目的としていたのです。言い換えれば、教育というものを通じて、人間の犯した罪、過去の傷からどう癒えるか?ということを究極の命題としたわけです。

普通、ウォルドルフ・スクールを参観に来た親は「そういう教育って、どうなのよ?」という猜疑心を持つ場合が多いです。

なぜならウォルドルフの主義は「詰め込み教育反対」だからです。そう言うと日本語にすると「ゆとり」という言葉になってしまいますが、日本の文部省などがやっている「ゆとり教育」とウォルドルフの教育は、似ても似つかぬものだと思います。

ウォルドルフ学校ではLove(愛)という言葉を生徒も教師も父兄も、ぜんぜん照れずに使います。この場合の愛とは、男女の色恋沙汰の恋愛ということより、もっと広義な「愛」で、強いて言えば「人類愛」という感覚に近いです。

そこでは単に与えられたドリルをこなし、マルチプル・チョイスのテストで「正解」を選ぶだけにとどまらず、正解の無い問題に取り組み、探究心や問題意識を持つことが最上とされます。

自分に自信を持てる子供、打たれ強く芯の強い子供、他人や社会と意思疎通でき、相手の立場をわかり、つながるちからの強い子供、そういう子供を育てる事が究極の目標であり、学力は「自ずと、後からついてくる」と考えます。

このように、テストの点数をわざと無視した教育(低学年では通信簿の五段階評価などは、ありません)に、競争社会に晒されている親は普通、強い不安を感じます。

ウォルドルフ教育は幼稚園から始まります。そこで重視されているのは美しい教室の環境と温かな人間関係です。

算数だろうが、科学だろうが、文学だろうが、全てにおいてアーチスト的なアプローチでなくてはならず、「トータルな人間」として問題解決に当たることを教えます。下の動画の3分20秒付近にも出てきますが:

「この課題をやれ、次にあれをやれ。この正解はこれしかない。こういう風に考えるのが正解だ」という押し付けは、一切しません。(ボニー・キャンベル、卒業生 動画3:20)

生徒は「これは自分の作品なのだ」という風にプライドを持てるプロジェクトに取り組みます。具体的にはお絵かき、編み物、園芸、木工 ユーリズミ(ダンス 動画7:30)などになります。

ウォルドルフでは8年間、同じ担任の先生が一貫して同じクラスを教えます。クラス替えや担任の変更は、基本、ありません。

また、木工などの一部の専門的なものを除いて、ひとりの担任の先生がいろいろな学科を全て教えます。これはクラスメート全員と先生が、8年間べったり同じメンバーで勉強し合うことを意味し、いじめや仲間外れのリスクが低くなる効果があります。なぜならクラスは少人数制で、先生の目が行き届いており、いじめっ子は徹底的に矯正させられるからです。(ウチの子供の場合も、「学校でいじめられているのではないか?」という不安は全くゼロでしたが、「ひょっとして、ウチの坊主が誰かを虐めていないか?」という点はとても神経を使いました)

ウォルドルフ教育では「小学校低学年では、先生が100%自分のことを支えてくれるという信頼感、安心感を植え付ける事がたいせつにされます。その信頼感や安心感がベースになるから、高学年になったとき、他人から笑われるのではないか?と心配することなく、自分の意見を展開し、自主的に探究心をもって興味分野を極めようとする心が生まれるのです」(メグ・ウエバー、教師 動画8:20)

さて、ここまではメディア・リテラシーを後回しにする教育を論ずる前の、前段階の説明でしたが、「なぜスクリーンは駄目か?」にいよいよ入ってゆきます。

先ず、ウォルドルフ教育が「テレビやコンピュータは駄目」と禁止していることについては「あの学校では、過保護に護られ過ぎている」という世間の目(ボニー・キャンベル、卒業生 動画0:40)が常にあり、ウォルドルフ学校はその社会からのプレッシャーと闘っています。

現代人は一日に七時間半もスクリーンを見つめていると言われますが、子供のこころはスポンジのように吸収力があるので、メディアから悪い事も全て吸収してしまうことが懸念されるわけです。

「子供が子供らしくできる期間が大人の世界に浸食されてしまう」

これがウォルドルフ学校が危惧している事なのです。大人の世界は嘲笑的で、シニカルで、相手を傷つける悪意に満ちているので、「本来、テクノロジーは人々を呪縛から解放し、世界を繋げるべきなのに、実際にはそれと正反対の効果をもたらしてしまっている」のです(ジョージ・タナカ、父兄 動画1:30)

メディアを通じて子供は1日に何十回も「この商品を持っていないと、あなたは遅れている」というメッセージをうけとります。そうしているうちに子供が自分のあたまで考える能力をメディアに奪われてしまうわけです。典型的な子供は僅か4秒でスクリーンの映し出すメッセージを解釈してしまうと言われますが、もし世の中が、その映像が映している表面的な事象より複雑だとしたら、僅か4秒の直感による決めつけは、思考停止をもたらすキケンがあるわけです。いわゆるネイチャー番組ですら、ステロイドでパワーアップされた、ハイライト的な、「絵になる」瞬間だけを切り取って視聴者に提示されており、実際の自然はもっとドラマチックではない、ゆったりとして、繊細なものです。

ウォルドルフ教育は子供の自由な想像力をたいせつにし、オープン・マインドを守ろうとします。そこでは「子供心」を尊重し、子供らしい幼年期を子供に与えることに気を配ります。

それは言い換えれば、メディアから「こうすれば自分が美しく見える」とか「これを持っていないとカッコ悪い」という風に自分の好みや外見を「指図される」ロボット人間にならないことを意味します。

なお、ウォルドルフ教育は、いわゆる進学校ではありませんから父兄は「有名大学へ入れるのか?」とか「カリキュラムがゆるすぎるのではないか?」ということを不安がります。

これに対して先生のひとりであるクリスティン・ディアソンは「有名校進学に有利なやり方だけに焦点をあてる方法は我が子の将来を「空売り」する行為にほかならない。実際には成人してからの全人的な能力の最大化を目指さなければいけない」(動画11:00)という考え方を示しています。

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