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特集
いのちを食べて生きる
焼き肉にハンバーグ、コロッケーー。寿司や鍋もそうでしょう。毎日の食べ物には動物や魚などの「いのち」が多く含まれています。まさしく「いのちを食べて人は生きる」。口に運ぶまでの過程には様々な人が携わっています。そんな人の姿を取材してみると、葛藤や喜び、そして、色濃い人間ドラマに出会いました。

食肉を解体する「屠畜」 作業 その担い手に向けられ続ける理不尽な差別

  • 2019年11月19日 07:07
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肉や魚、人によっては米や野菜も含むかもしれない。私たちが口にする食べ物は、“いのち”を犠牲にしたものも少なくない。命を食べて命は生きる――。日々の生活で、そんなことを考える機会は少ないし、毎日それに感謝して生きねばならないとなれば少し窮屈だ。

それでも、例えば、焼肉。牛や豚の赤肉からホルモンと呼ばれる内臓類まで、余すことなく食べている。命をいただくことで、人間は自分の体を作る。その繰り返しだ。こうした営みは、牛や豚を解体する屠畜と呼ばれる作業があって初めて成り立つ。

大阪府貝塚市に、牛の飼育から屠畜、さらには店頭販売までを家族ぐるみで行ってきた精肉店がある。「牛がかわいそう」「残酷だ」。そんな理不尽な言葉やいわれなき差別に苦しみながら、大切に飼育した牛を食用にするかけがえのない作業を担ってきた。

精肉店はドキュメンタリー映画の舞台ともなった。映画を追体験するように店を訪ねてみた。出会ったのは、差別に向き合いながら何よりも人や動物の命を大切にし続けてきたある一家の姿だった。

屠畜場に向かって牛をゆっくりと引く北出昭さん(やしほ映画社提供)

ドキュメンタリー映画に記録された貴重な屠畜の様子

次男の昭さん(当時58歳)が黒毛の牛を「よしよし」と野太い声でなだめながら引っ張り、精肉店前の道路をゆっくりと進む。向かう先は歩いて5分ほどの距離にある貝塚市立屠畜場。屠畜場に入れた牛を落ち着かせると、昭さんは自らの腕で牛の眼を覆ってやった。その隙に、長男の新司さん(当時59歳)が牛の眉間をめがけてハンマーを振り下ろした。

今から7年前の2012年3月。屠畜場は102年の歴史に幕を下ろした。その閉鎖前、最後に行われたのが北出精肉店による作業だった。その当時の2回にわたる解体の様子が、映画「ある精肉店のはなし」(13年11月29日公開)の中に記録されている。

気絶した牛が巨体を倒れこませると、体内の血を抜く「放血(ほうけつ)」作業を素早く行う。床に充満する血を水で流し始めると、そこからは時間の勝負。かわいがった牛がたくさんの人に「あの肉おいしかったよ」と言ってもらえるように肉の鮮度を意識する。

新司さんが牛の解体作業で使ってきたナイフなど

牛1頭を40~50分で解体 受け継がれた“いのちの職人”の技

作業には、長女の澄子さん(当時62歳)、新司さんの妻・静子さん(当時66歳)も加わる。分担して牛の脚や腕を固定し、新司さんと昭さんが使い込んだナイフで皮をむいていく。牛の腹の部分を開くと、内臓が姿を現した。小腸や大腸、そして胃。いわゆるホルモンだ。

昔から内臓の処理は女性と子どもの仕事だった。頻繁にナイフを使い分けながら、部位ごとに分けていく。大きな水槽で、長さ25メートル以上に及ぶ小腸を洗ったり、頭部から舌(タン)を切り出したり。この時ばかりは、女性2人の表情も真剣そのもの。黙々と作業は進んでいく。

皮をむいた牛は天井からつるして、最終的には「枝肉」と呼ばれる半身の状態にする。電動のこぎりを持つのは新司さん。飼育してきた牛の背骨に刃を入れる。良質な商品にするため、肉を傷つけないように慎重にチェーンソーを扱う。

次第に、鮮やかな赤色の肉があらわになっていった。それは私たちが、スーパーなどで目にする「ステーキ用」「カレー用」として見慣れた肉そのものだった。解体作業にかかる時間は毎回40~50分。黙々と牛と向き合う4人の眼差しは、“いのちの職人”という言葉がふさわしいかもしれない。

(やしほ映画社提供)

被差別部落として他地域と分断 住民を苦しめる理不尽な差別

貝塚市がある大阪府南部。1994年に開港した関西国際空港が一つのランドマークだ。だが、それ以上に人々を魅了するのが全国的には岸和田市で有名なだんじり祭り。泉大津市や和泉市、熊取町など、それぞれの地域に古くから大切にしてきただんじり祭りがあり、貝塚でも毎年10月に催されるそれは住民の一大イベントだ。

北出精肉店がある地域のだんじり(山車)は、とかく豪華絢爛だ。高さは3.7メートル、幅は2.3メートル。正面には、武田信玄と上杉謙信が争った川中島の合戦の模様が描かれ、内部の木彫りのこだわりぶりは際限がない。そんな立派なだんじりには、差別に苦しまされた地域の人たちの意地が込められている。

第二次世界大戦の終戦当時、貧しかった地域の人々の主な職業は、下駄や雪駄の表作りに、靴や下駄の修理が主だった。廃品回収を営む女性も多かった。そして、北出さん一家のように屠畜業。被差別部落としてよその地域と切り離され、発展や生活環境の改善も随分と遅れた。無病息災や豊作を祈願する特別な行事でもあるだんじり祭り。それへの参加も認められない時期もあったという。

1949(昭和24)年のこと。当時のだんじりは高さ1.6メートル、幅1.2メートルと小ぶりだった。「小さいだんじりのままでは、子どもたちもかわいそうやし、くやしい思いをはねのけたい」と、住民ら数人がだんじりを作り直すことを提案した。150万円を目標に定めたが、やはり地域の住民の多くは貧しい。それでも800件を回る中で集まったのは想定を上回る200万円。住民たちが今もだんじりを大切にするのはそんな背景からだ。

死んだ牛馬の処理を担った一家 自らの境遇を考えさせた水平社宣言

北出家は代々、死んだ牛や馬の処理を担ってきた。古くは江戸末期までさかのぼる。当時の牛や馬と言えば、人間が営む農業を手伝い、物流を担うなど生活には欠かせない存在だ。そんな牛や馬の死体を処理する生業には、“穢れ(けがれ)”思想に基づく根拠のない差別の視線が注がれた。「貴重な動物を処理する作業だからこそ、差別につながったんかもな」。新司さんはそう話す。

新司さんは精肉店の7代目店主だ。先代の父・静雄さんの背中を見て育ち、幼いころから家業の屠畜を手伝ってきた。昭さんと一緒に近くの家畜市場に連れられ、“牛を見る”目を養った。

生きた牛や豚を、解体して食用にする不可欠な作業。精肉店裏の牛舎では、商品にする牛を育てた。牛の世話に休みはない。毎日が仕事だ。家族一丸となって仕事に打ち込んできた。容赦のない差別をもろともせず、とにかく仕事に打ち込んだ。

物心がついて高校生になった新司さんはある言葉を知った。そして、それが自分の境遇について深く考えるきっかけを与えてくれた。

ケモノの皮剥ぐ報酬として、
生々しき人間の皮を剥取られ、
ケモノの心臓を裂く代価として、
暖かい人間の心臓を引裂かれ、
そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のうちにも、
なほ誇りうる人間の血は、
涸れずにあつた。
そうだ、そして吾々は、
この血を享けて人間が
神にかわらうとする時代にあうたのだ。

犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。
殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で知られる水平社宣言。差別に苦しまされ続けた被差別部落の人に団結を呼びかけながら、人権の尊さを示し、日本初の人権宣言ともされる。

1930年に大阪で開かれた水平社全国大会の様子=共同通信社

かけがえなくも不可欠な作業 日を当てたある女性映画監督

地域で暮らして差別を受け続けるより、他の地域に移り住む人生を考えたこともある。それでも、悩み抜いた新司さんが選んだのは、貝塚の生まれ育った場所で牛の命と向き合う日々だった。予断と偏見に満ちた部落差別を解消したい。それはたやすいことではなかった。それでも、当事者である自分が声を上げ続けることで、家族や地域の境遇を少しでも変えたかった。

根強い差別を受け、日が当たっているとは言いにくい境遇だった。それに屈することなく、精肉店主としての生業を地道に続け、部落解放同盟の一員としての活動にも力を注いだ。そんなある時、出会ったのが一人の女性映画監督だった。

取材の依頼を承諾 1年半の密着の末に108分の映画に

纐纈あや監督が北出精肉店を知ったのは、映画が公開される数年前。家族で協力しながら屠畜場を使って、昔ながらの生産直販形式で営んでいる情報を得たことがきっかけだった。額に汗をにじませながら真剣に解体作業にあたる北出さん一家を映像に記録したい――。そんな願いから密着取材の依頼を持ちかけた。

当時から、インターネット上を中心に被差別部落の人や在日コリアンの人などを狙った差別的な文言があふれ、旧同和地区(被差別部落)を特定するような書き込みも散乱していた。状況は今も昔も全く変わっていない。

北出精肉店の敷地内にある「獣魂碑」。解体した牛を大切に供養してきた

特に、屠畜にまつわる取材は、動物の生死にまつわるものであり、さらには現在でも根深い被差別部落問題を背景とする場合が多く、許可が下りることは少ない。それでも、新司さんは許可を出した。作業の全容や、家庭でのだんらんの様子などすべてをつまびらかにすることもいとわなかった。屠畜に対するあらゆる偏見を受け止める覚悟からだ。

地域へのあらたな差別生まぬか? 映画化への懸念乗り越え

一つ大きなネックがあった。北出さん一家に密着し映画として公開することで、地域が被差別部落であることを社会に対して明らかにし、地域の人への新たな差別を生む可能性があることだ。纐纈さんの熱意と、自らの生業を世に問いたい北出さん一家の思い、それらが一致することで、地域の理解も得られた。1年半にわたる取材は108分の作品として結実した。

素早い手さばきで牛を解体していく高い技術や、地域に愛される精肉店としての姿。そして、北出家、地域を苦しめ続けた部落差別。命を育む一つの生業をめぐる、根拠のない差別の実態を克明に映し出した。

牛肉に慎重に刃を入れる新司さん

それと同時に、決して差別に屈しない北出家や、地域の人の強さが浮かび上がった。かつては三日三晩眠らずに踊り明かしたという盆踊り大会は、就職や結婚などで地区を出た住民も戻ってくる恒例行事だ。住民が思い思いの仮装を楽しみ、映画では澄子さんはピエロに扮した。今では大阪府の無形民俗文化財だ。

本来は、先祖の霊を慰める目的の盆踊り。この地域では差別の苦しみを踊って紛らわさせるための意味を併せ持つ。そこに凝縮されているのは、差別の理不尽さに対して、たくましく、かつ、しなやかに生きてきた住民の姿だ。

102年の歴史に幕 小さな屠畜場の終焉

北出精肉店が使ってきた貝塚市立屠畜場は、12年3月をもって閉鎖された。その始まりは村立として設立された1910(明治43)年にまでさかのぼり、2度の建て替えを経た最後の建物の時代には、年間300頭あまりが解体されたものの、閉鎖される晩年、解体を行うのは北出精肉店のみで、年間20頭ほどにまで減少していた。

解体され更地となった貝塚市立屠畜場の跡地。隣には保育園が建てられ、子どもたちの声が響いていた

屠畜場の閉鎖とともに、地域から屠畜文化は途絶えた。こじんまりとしていた屠畜場は現在では更地となり、その横に新設された保育園から子どもたちの元気な声が響き渡る。跡地では、今から83年も前に地元業者の人たちが建立した「獣魂碑」だけが静かにたたずみ、屠畜業で栄えた往時を今に伝える。

食肉の解体作業を行わなくなった北出精肉店は、現在、全国から仕入れたブロック肉を加工して販売する営みを地道に続けている。かつての牛舎も解体し、店舗の外装も一新され、映画が映し出す7年以上前と比べてその姿は大きく変わった。

映画化を機に北出一家ファンが誕生

「みんな、ワシらのこと、怖いって思ってたんやろな」。北出さん一家への取材で、今も心に残る言葉がある。新司さんが、精肉店や、屠畜場の跡地などを歩いて案内してくれた際、地域が発展から取り残された状況を説明する中で口にした。

映画の公開から6年が過ぎた今も、北出精肉店は本来の肉目当てのお客さんではない“お客さん”が絶えない。映画を見て店が気になった人たちで、私が北出さん宅に泊まり込みで取材を行った10月上旬にも夜の食卓には北出さん一家との会話目当ての男性が現れた。国家公務員ながら缶チューハイ片手に精肉店を訪れたのが出会いで、すっかり北出さん一家のファンになったのだという。新司さんは「北海道から、沖縄までいろんなとこから来てくれるんや」と笑顔だ。

牛の皮を活用した太鼓づくりに精を出す昭さん。「太鼓屋 嶋村」が屋号だ

忙しい仕事の合間であっても、新司さんは地域を案内し、昭さんは牛の皮を使った自慢の太鼓作りを見せてくれる。その意味でも、映画が、屠畜や食肉業に対する偏見や差別を問いただしたことは確かで、差別に苦しまされてきた北出さん一家や地域の人の苦悩を少しは和らげたのだろう。新司さんによれば、懸念されていた住民への新たな差別も生まれることもなかった。

1枚の肉に詰まる動物の命と解体した人の思い

今、締め切りに追われながら、この原稿のまとめ作業をしている。あえて、宅配でカルビ焼肉定食を注文した。箸を進めると、新司さんの力強い言葉が思い返される。「残酷や、ひどいと言うんなら肉を食べるなよと。僕はそれが言いたいんや」。その眼差しは強くも優しくもあり、命を扱うことへのプライドが宿っていた。

たったひと切れの薄い肉。これも犠牲となってくれた尊い牛の命、そして、顔も見えぬ誰かが汗水を流して解体してくれたからこそ、目の前に並んでいる。

これからもおいしく、大切にいただこう。

北出新司さん

2013年の「いい肉の日」(11月29日)に上映が始まってから、今月29日で丸6年。映画「ある精肉店のはなし」は今も全国各地で上映が続けられ、ドキュメンタリー映画としては異例の作品となった。監督の纐纈あやさんに撮影における葛藤や、北出さん一家とのやり取りを振り返ってもらった。

「頭をガツンと」 屠畜作業を見た衝撃

――屠畜場の見学会をきっかけに、撮影が本格化しました。

見学会が終わった後、参加した40~50人が集まって、屠畜場や地域の歴史について学習会のような時間がありました。参加者の人たちが「素晴らしかった」「ナイフさばきが見事だった」と興奮しながら話すのですが、その時の新司さんと昭さんの様子が印象的でした。ただキョトンとして。「いやいや、すごいことじゃありません」と居心地が悪そうで。「皆さんだって、やってれば誰でもできる仕事です」ってさらっとおっしゃるのです。

そして、「すごいと賞賛される仕事でもないけど、蔑まれるような仕事でもないと思ってやっています」とおっしゃって、その言葉がとても印象的でした。見学会の前から、いつか屠場の映画を作りたいと思っていました。ですが、北出さんたちのその話を直接聞いて、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。

みんながお肉を食べているのに、その仕事を見ることができない。「それを映像で見せてやろう」というか、「映像にしてやろう」みたいな気持ちというのは、自分自身が特別視していたんだと気づかされたのです。

でも、同時に北出さんたちとだったら、ナイーブで映像化も難しいこのテーマに対して、色々なハードルも乗り越えていけるのではと思いました。

屠畜場で働く人の北出一家に対する敬意

――北出家の登場人物はみんな個性豊かで、信念があります。

屠畜場で働いてる方は思いが色々あるし、職人気質の方たちです。屠畜場と一括りにしても、地域によって歴史も違うし働いてる方の雰囲気も異なる。今では、被差別部落の出身ではない人もたくさん働いていらっしゃる。私が出会った屠場で働く方々は、みなさん個性がありプライドを持った方たちですが、映画を見ると北出さんたちの仕事ぶりや家族の様子に「うん」と納得してくれます。

先祖代々そういう仕事をしているっていう歴史的な部分はもちろん、自分たちで育ててそれを解体して、自分たちの手で売るという部分で、北出さん一家に敬意を表してくださるんですね。仕事ぶりや、家族や地域が差別とずっと向き合いながら、力を合わせて支え合いながら生きてきた姿。そこに共感してくださるんだと思います。

信頼関係築いて映画化を実現

――6年間も上映が続くのはドキュメンタリー映画では異例です。

北出さんたちの生き方や、屠畜の歴史を背負ってきたという重みが映画を守ってくれています。

生活の中にカメラを向けられ続けるというのは大変な負担です。見ず知らずの人間がカメラを持って、あけすけにいろんなところを映す。それを可能にするのは、ひとえに信頼関係しかありません。

この人間は自分たちの色々なものを撮らせて大丈夫か、撮った映像をきちんとしたものとして出してくれるのか――。そのあたりは北出さんご自身も見定めていらっしゃったと思います。これはドキュメンタリー全般に共通しますが。

特に今回は、被差別部落ということで取り上げ方によっては差別の対象になり得るということが常にありました。だから、最初の時点で私がどんな思いでここに入るのか、どういう映画を作りたいのか、そして、決して裏切ること、傷つけることはしないと伝える必要がありました。

(やしほ映画社提供)

「残酷」という言葉が持つ残酷性

――映画では、北出さん一家の表情が印象的です。

映画を観た方には、自分の暮らしの延長線上にこの仕事がある、ということをいかに感じてもらえるかが重要でした。北出さんたちや屠畜場で働く人たちからよく聞く話ですが、自分たちの仕事を伝えると、「残酷ですね」と言われ、それにとても嫌な思いをするのだと。

しかし、その「残酷」という言葉が出てしまう背景は何かと考えたら、自分が食べているお肉と屠畜場の仕事というものが、その人の中で結びついてないからだと思うのです。みんながお金を使ってショートカットして食肉を解体するということを人に委ねているわけです。

屠場の仕事は、自分たちが食べるという行為と当たり前に直結している仕事であり、そこで働く人は私と全く変わらない日常があって、家族があり、暮らしがあるわけです。しかし、屠畜・解体を概念で捉えると、途端に自分という存在から離れたところで言葉を繰り出してしまうことがあったと思います。

――今回の映画はDVDにはできないそうですね。

北出さんや地域の人と話して、テレビとは違って、自分の意思で見たいと思う人を対象にしてほしいとのことでした。やはり、映像だけが独り歩きした時に、様々なことが起きる可能性がありますから。

北出一家と作り上げた映画「ある精肉店のはなし」

――新司さん、昭さんの一生懸命さや誠実さ、澄子さん、静子さんの明るいキャラクターは映画で見たままでした。

映像というのは、作り手が何を思ってどういう意図でその映像を使うかで全く意味が変わります。撮影もそうで、屠場の仕事を残虐なものとして見せようと思えば撮り方も変わるわけです。いかようにもショッキングにできるし、編集でもそれができる。目の前にあることがそのまま撮影されたと思われがちですが、あくまでも制作者の意図を含んだ映像なのです。

「日常を撮りたい」と機会あるごとにお伝えして、北出さんご家族もそのことを理解して協力してくださいました。それは、北出さんたちが私の意図をくんで、「日常のような」顔をしてくださっているわけです。でも、実際には私だけじゃなくて、カメラマン、録音マン、アシスタントの計4人がいる。普段の状況ではない。でも「纐纈が普段の姿を撮りたい」と思って、ある意味で普段の顔をしてくれているわけです。だから、この作品は北出さんたちと一緒に作り上げたものなんです。

今年も「いい肉の日」が迫り、「ある精肉店のはなし」は各地の映画館で上映される。

ポレポレ東中野(東京都中野区東中野4-4-1)
11月23日(土)~12月6日(金)
いずれも17:00から
※23、29日の上映後、纐纈あや監督の舞台挨拶がある

第七藝術劇場(大阪市淀川区十三本町1-7-27)
11月30日(土)~12月6日(金)
いずれも10:00から
※12月1日の上映後、北出新司さんの舞台挨拶がある

両会場以外にも単発の上映会があり、詳細は「ある精肉店のはなし」の公式ホームページ=https://www.seinikuten-eiga.com/

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