人生で大切なことは泥酔に学んだ
作者: 栗下直也,早川志織
出版社/メーカー: 左右社
発売日: 2019/07/01
メディア: 単行本
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Kindle版もあります。
人生で大切なことは泥酔に学んだ
作者: 栗下直也
出版社/メーカー: 左右社*
発売日: 2019/07/01
メディア: Kindle版
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内容紹介
酒癖がヤバいのにどう生きていくか。それが問題だ――。
泥酔の星(?)栗下直也が描くアクの強い偉人の爆笑泥酔話27。福澤諭吉から平塚らいてう、そして力道山まで
日本は失敗が許されない社会といわれ、一度、レールを踏み外すと再浮上が難しい。
しかし、悲しいかな、酒を呑んでしくじったところで人生は終わらない。
出世に通勤、上司、危機管理、宴会から健康。
笑え。潰れるな。バカにされても気にするな! ! ! !
彼らはしくじりながらも、それなりに成功を収めた。現代とは生きていた時代が違うと一刀両断されそうだが、彼らは彼らで当時は壮絶に叩かれたり、バカにされたりしている。プライバシーなど皆無な時代なのだから想像するに難くない。それでも前を向いて生きた。ーー「はじめに」より
登場する偉人たち
太宰治・福澤諭吉・原節子・三船敏郎・小島武夫・梶原一騎・横溝正史・平塚らいてう・河上徹太郎・小林秀雄・永淵洋三・白壁王・源頼朝・藤原冬嗣・力道山・大伴旅人・中原中也・梶井基次郎・辻潤・黒田清隆・米内光政・古田晁・泉山三六・藤沢秀行・梅崎春生・葛西善蔵・藤原敏男
僕がアルコールを飲むことができる年齢になってからの約30年でも、日本での「酔っ払いに対する世間の見かた」は、だいぶ変わってきたような気がします。
飲み会では「今日は車なのでウーロン茶で」という人が多くなりましたし、「俺の酒が飲めないのか!」と無理に酒をすすめることは「アルコール・ハラスメント」と糾弾されるようにもなってきたのです。
思えば、一昔前の日本の酔っ払いへの寛容さのほうが、異常だったのかもしれません。
その一方で、ストロング・ゼロのような濃い、安く酔える酒がコンビニで売られていて、ヒット商品になっているという現実もあるんですよね。
本書は偉人の泥酔ぶりから、処世術を学ぼうというコンセプトだ。
通勤や、出世、宴会での振る舞い、リスク管理、健康など、社会人に身近な題材と偉人の酒での失敗を学び、学べるものがあったら学ぶというわけだ。
若者を中心に酒離れが進んでいるとはいえ、いまだに日本の企業社会は酒との距離が近い。自分が呑み過ぎてしまったときはもちろん、同僚や上司や取引先が酒場で豹変してしまった場合にいかに向き合うかが、あなたの社会人生活を左右するといっても過言ではないだろう。
もし、あなたが下戸であったり、呑まなかったりしても、ヤバい上司との接し方など参考になることも多いはずだ。
扱う人物も小説家、政治家、スポーツ選手、俳優、思想家など幅広く、人物伝として読んでも、意外な発見があるのかもしれない。
作家の太宰治は無銭飲食で友人を置き去りにし、政治家の黒田清隆は妻を斬り殺した疑惑をかけられ、俳優の三船敏郎は夜な夜な家族の困惑を無視して日本刀で素振りを続けた。「批評の神様」と呼ばれた評論家の小林秀雄は一升瓶を抱えて、水道橋駅のホームから落下した。いずれも酔っていたとはいえ酷すぎるが、それでも立志伝中の人として教科書に載ったり、業界ではレジェンド扱いされたりしているのだ。
この本は、日本の古今の有名人の(主にタチが悪い)飲酒によるトラブルや泥酔時のエピソードを集めたものです。
「偉人」にも、お酒に関する失敗のエピソードがある人は少なくないし、「酔って妻を斬り殺してしまった疑惑」がありながらも首相になった、黒田清隆さんという人もいます。 それはあまりに極端な例かもしれませんが、中島らもさんのように、アルコール抜きで作品を語るのが難しい作家もいるんですよね。
「そんなアルコール依存になっている人の作品に価値はない」と言いきれるほど、読者の側も潔癖ではない。
それでも、「酒の上での失敗」が、武勇伝として面白がられる時代ではなくなってきているのもまた事実なのでしょう。
この本で最初に登場するのは太宰治さんなのですが、太宰さんは、1936年に創作に専念するために熱海の温泉宿にこもっていた際、太宰さんの妻から滞在費を届けるように頼まれた檀一雄さんを巻き込んで、どんちゃん騒ぎをしてあっという間にお金を使い込んでしまうのです。
持ってきてもらったお金では到底足りず、菊池寛さんのところでお金を借りてくる、と、太宰さんは檀さんを宿舎に「人質」として残し、出かけていきます。
ところが、何日経っても、帰ってこない。
そこで、檀さんは、しびれを切らしたツケのある小料理屋のオヤジさんと一緒に、太宰さんを探しに行き、まず、太宰さんの師匠筋である井伏鱒二さんの家を訪れます。
檀は井伏の妻に太宰が最近こなかったかと訊くと「いますよ」とまさかの反応が返ってくる。私は障子を開け放った。
「何だ、君。あんまりじゃないか」と、私は激怒した。<中略>太宰は井伏さんと、将棋をさしていた。そのまま、私の怒声に、パラパラと駒を盤上に崩してしまうのである。
指先は細かに震えていた。血の気が失せてしまった顔だった。オロオロと声も出ないようである。
人のことを熱海に放置して将棋。あんまりである。泰然自若としていれば救いがあるが、見つかるとオロオロするあたり、やっぱりショボい。おまけに、若干、気持ちが落ち着いたのか、井伏が席を外した隙を見計らい、檀にこう囁くから始末に終えない。
待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね。
ちょっと格好良い台詞に聞こえるし、それっぽいことをいっているように聞こえる。ぜひ、恋人とのデートをすっぽかしてしまったときや、酔って知人をどこかに置き去りにして、後日、糾弾されたときにはこの台詞を使ってみてほしい。間違いなく切れられます。
ちなみに、太宰さんが、このときの心情を作品に昇華させたのが、あの『走れメロス』なのだそうです。
転んでもタダでは起きない、というか、元ネタがこんな話だと聞くと、拍子抜けしてしまうというか……